気楽にブログ
ですから、たいてい文です
5歳の娘がSnow Man のファンになった。私はと言えば去年から、浜辺美波と岡潔のファンになった。
というわけで、「人間の建設」岡潔・小林秀雄 新潮文庫 を厚木の有隣堂で購入した。
いわゆる対談本で、論戦・論破というものではない。そして帯のコピーにあるような「すれ違い」では決してない。お互いに敬意を払い、共通している考え方を探りながら、「相手が世の中をどう捉えているか」を知りたい!と思っているように感じた。
相手の言葉によって新たな気づきが得られ、相手に語ることによって自分の確認になる。そんな豊かな対話が、ここに記されているように思う。自説の正しさで相手をやり込めるのではなく、やりとりの中から新しさをお互いに得る。それが、対話による「建設」なのだろう。感情を排した表現や抽象的な話ではなく、お二人から「直感と情熱」という言葉が出てくることが、何だかとても嬉しかった。
それぞれの発言に岡、小林、岡、小林、となっており、後でもう一度読み直すため、感銘をうけた発言に、私は◯をつけて読んでいった。そうしたら結局◯だらけになってしまったが、少し岡の方への◯が私の場合、多かった。文系の私なのに。やはり岡のファンだからだろうか。
評論家の小林秀雄は、音楽や絵画に関心がある。そしてそれを、何とか文章にしていく。そのときに、作品を言葉で表すのはとても難しい。だから文学評論も含め、「作家」に着目して文章を書いていく。それに対し、岡潔は数学者である。そして岡もまた、絵画や文学、音楽、そして仏教や俳句にも興味がある。彼もまた「作家性」「人間」にとても関心がある。
だから、数学のような、最も人間の感情と離れていそうな対象に対しても岡は、人が数学をするのだから「情緒が大切だ」と言うのである。二人が自然科学・物理学に対して少し批判的なのは、情緒・人間を置き去りにして進めている面があると、感じているかもしれない。やはり自然科学が原爆を作るに至ったことは、その時代を生きた人にとって、大きなインパクトなのだろう。
二人に共通する「人間」への興味を表すのに「言葉」がツールとなっている。
私が最もウケた、というか驚いたのは次の箇所で
小林が「岡さんの数学というのは数式で書かれる方が多いのですか?それとも文章で表せるのですか」と問う場面だ。
いや、数学者なんだから、数式に決まっているでしょ!と私なんかは思うわけだが、この問いには小林の予感があるのだろう。事実、岡はこう答える。
「なかなか数式で表せるようになってこないのです。ですから、たいてい文です」
そうなんかーい!驚愕である。数学と言えば黒板やノートに数式がびっしりではないのか?文と言うより文字や記号という意味なのかもしれないが、それにしても。
小林「そうすると、やはり言葉が基ですね」
岡「言葉なんです。思索は言葉なんです」
と、二人の考えが合致するのである。人間の情緒がまず大切で、言葉を用いて思索する。それによって「建設」していく。理性を使うためにも愛情が必要。そういった個々人の情がまずあって、それが詩や数学となる。だから、「情緒や言葉を育むことが大切」と、本書の最後は、教育のあり方に話が及んでいく。
解説で茂木健一郎氏が書いていたように「声に出して読んでみると心地よい」だろう。氏が言うように「自分が少しだけ賢くなった気がする」かもしれない。また自分の「直感と情熱」が、増大するかもしれない。
よし、知の巨人に近づくために、◯をつけたところを音読してみよう。Snow Manの気分になりたかったら、彼らの歌を歌えば良いように。
手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)