気楽にブログ
気楽にブログは充電中です
気楽にブログを書き始めて、ちょうど3年が経ちました。今までは書きたいことが沢山あり、わーっと書いてきましたが、最近は落ち着いてきました。
しばらくはインプットを多くしていこうと思います。ブログはしばらくお休みか、たまに何か書ければ更新しようと思います。お店の方は元気に続けて行きますので、引き続き、気楽に屋を宜しくお願い致します。
サン仲村
バグ・バギー
47才の私、妻、小6と小2の娘と一緒に、春休みに映画を観てきた。
「のび太の海底鬼岩城」は、その昔、コミック版で読んだだけだった。が、自分なりのノスタル爺さんもあり、リメイクにがっかりしないか少し心配ではあった。
だが、杞憂だった。ワクワクもドキドキも、そして勇気と友情も、沢山詰まった映画に仕上がっていた。
冒頭で、「夢をかなえてドラえもん」が流れたら、なんかもう楽しくて嬉しくて、ちょっと歌ってしまった。私が幼い頃に慣れ親しんだテーマソングではないが、本当に良い歌だと思う。
そしてやはり、バギーについて書いておきたい。彼が、優しさや思いやりを「バグ(意図しない変異)」と解釈することに、私は違和感を覚えた。が、考えてみれば人間がそれらの感情を持ち始めたのも、変異によるのかもしれない。
例えば、沢山のコピーの中の突然変異で、たまたまセロトニン系やオキシトシン系が強く働く個体が現れ、互いにコミュニケーションを取り、利他をすることで、人間という集団が育っていったという経緯も考えられる。
始まりはバグだったとしても、今まで続き、残ったということは、そういった「思いやり」が環境に適し、他の個体からも支持を受けたからだと思う。そして、私が娘にこの映画を観せたかった理由も、その続いてきた優しさを感じてもらいたかったからだ。
誰かの自己犠牲で救われる結末は、共感しすぎると危ういかもしれない。だが、「バギーありがとう、でもかわいそう」という気持ちは、子どもたちにも感じて欲しいと思う。
最後に、現在のAIですら人の感情を理解できていそうなのに、なぜ未来の製品のバギーはそのようにプログラムされていなかったのだろう。それは恐らく、人間にとっての便利な道具であるために、感情は必要ないからだろう。
では、ドラえもんは?彼は秘密道具を操るが、彼自身は道具ではない。そう、感情を持つ友だちだ。何故か?
それは、ドラえもんを作ったのが、のび太だからだ。彼が友情を大事にして大人になったから、友だちを作ることができたのだ。
子どもも大人も、みんな観てほしい映画だ。夢をかなえるのは我々自身なのだと、もう一度思い出すためにも。
あなたの暮らしにドラえもん
手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)
あり得ることだから
中東のことや、過去の地震のことなどのニュースを見聞きすると、悲しい気持ちになる。大人として、もっと知っておいたほうがいいかな、とも思うが、自分が日常で参ってしまっているときは、積極的には見に行けない。
でも、それでもいいと思う。まずは自分や家族、周りの人との日常のことを考えたい。そして、たまに自分が大丈夫なときは、遠くや過去のことも気にかけたい。
悲しいことは消えないのだろうけど、楽しいことは作っていける。
人間が今まで続いてきたのは、知恵と思いやりがあったからだ。だからきっと、これからも大丈夫だ。
何気なく音楽アプリを開いたら、ビートルズの「Real Love」がお勧めに出てきた。そういえばちゃんと聴いたことなかったなと思い、聴いてみた。
久しぶりに音楽で感動した。心に沁みて、何度も聴いた。コメント欄を読むと、2025年バージョンは評判が悪いようだが、ビートルズらしさが十分に出ているし、個人的には完成形だと思った。
愛も平和も、想像の中だけのことで、言葉として在るだけで、実際にはあり得ないのだろうか。

いや違う。今までにも確かにあったのだ。そして、これからも望めば作れる。実際に現れるそれは、思ったものとは違うかもしれない。でも、どんなのでもいいのだ。いくつあってもいいのだ。
リアル・ラブもリアル・ピースも、本当の、とか、唯一の、とか言う意味じゃない。
今ここにあり得る、いくつもの思いだ。すぐそこにあり得る、いくつもの形だ。
気楽の前に真面目時間
手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)
決定は仮定だ
「決定は常に仮定なんだ」山田かまち
これは少し楽になれる「気楽ワード」だと思います。自分がさんざん悩んで迷って決めたことでも、変えて良いのです。
前提として、選ぶのも、また変えるのも、「自分で決める」ことが大切だと思います。誰かに言われたからだと、決定の末に自分が被ることを、その人のせいにしてしまうからです。
途中で部活をやめたって良いんだし、大学を入り直したっていいんだし、仕事も変えればいいと思います。続けるのがつらくて自分がこわれてしまうくらいなら、やめましょう変えましょう。
でも、いつでも変えられる、仮定だ、としておいた上で、「ある程度は」がんばってみた方が良いと思います。自分で選んで決めたことに重きを置かないと、次の選択につながりません。「仮定」を続けることで、「過程」となります。続けることでの気づきや恩恵も、きっとあります。
あと、向いている向いていない、ってありますね。「私、学校の先生に向いてないかも」とか。これは適性があるかどうか、ということを言っていると思います。ですが、大事なのはあなたが「先生という仕事の方を向いているか」です。向いている、というのはそういうことです。自分の気持ちが向いていれば、それで良いのです。
というようなことを、いつもの調子で後輩たちに居酒屋で熱弁したところ、聞いているのは一人だけで、あとのみんなはスマホをいじりだして悲しくなったので、レモンサワーの大を追加注文しようと店員さんに声をかけたら「タブレットでお願いしまーす」と言われ、余計に悲しかった少し遅めの新年会にて。
あなたの暮らしに気楽時間
手当整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)
カミュの手帖から
お店の名前を「気楽に屋」としているものの、世の中の出来事も私の生活も、気楽なことばかりでは、もちろんない。仕事、子育て、人生、、この世界の捉え方、自分の身の置き方、それらに思い悩むこともある。そんなとき私は、一冊の本を取り出して、自分の思いや気持ちを確認する。もしくは発見する。
以下、「カミュの手帖」アルベール・カミュ著 大久保俊彦訳 新潮社 から、抜粋してご紹介したい。
「この世界の悲惨と偉大―この世界が決して真実を与えるのではなく、愛の対象となるものだけを与えること。不条理が支配し、愛がそこからぼくらを救い出す」
「世界から離れないこと。人生を光の中に置いていれば、やり損なうことはない。状況がいかなるものであれ、たとえ不幸で幻滅を感じていても、ぼくの一切の努力は触れ合いを取り戻すことにある」
「全身全霊をこめて関わること。その後で同じように力強く、諾と否とを共に受け入れること」
私は若い頃に、この本を哲学者の中島義道さんの本で知り、探し回って(ネットで)購入した。カミュの手帖は何しろ分厚いし、前後のつながりもないので、通読するのは厳しい本だ。私は気持ちが向いたときにページを繰り、心に引っかかった箇所に印をつけておく読み方をしている。

何だか心に入ってこないで字面を追っている中で、急に文に掴まれる感覚がある。前に読んだときは素通りしたのに、なぜか引っかかることがある。
そして、印をつけた箇所は、読むときの自分次第で、染み込み方が変わる。「またこういう心持ちでいこう」とか、「自分が思うことが言葉となっている」とか、感動は都度やってくる。
自分の力が及ばない現実に向き合うとき、「具体的な手段」と共に必要なのは、「支えてくれる言葉」だと思う。
「例え不条理が支配しようとも、世界と関わり、自然や人と触れ合いを持つことを求め続ける。そんなたくましい力が欲しい。それが愛なら、愛が欲しい」サン仲村
あなたの暮らしにカミュ時間
手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)
