気楽にブログ
便利だから的な
私は気楽に屋の業務とともに、大和市で訪問リハビリを行っている。整体師と理学療法士の二刀流だ。自分のお店にいるだけでは気付けないことも、外で働くことで得ることができている。
で、厚木から国道246を使って大和市に行くのだが、通勤時間帯は混雑することこの上ない。そこで気になるのが、そのときの混雑状況となる。道路を走っていると、金田あたりで「大和橋まで〇〇分」という表示が出る。これをチェックすることで、見通しを立てられる。
大体は35分か45分、休日などは25分ということもある。しかし、ここで分からないのは、45分の次が、何故か53分なのである。25、35、45、53、この並びは、どうにも気持ち悪い。ここは55分でしょうと、いつもツッコミを入れたくなる。
これはテニスのカウントにも言える。15、30ときて、次は40なのだ。そして次は?となると、「0」になる。しかし、実はこれは0ではなく、60であることを私は知っている。60(4ポイント)取ったら1ゲーム。つまり、60進法だ。40が実は45で、それがいつの間にか(言いにくいから)40になったらしい。
60進法というのは、例えば時間で使われている。1時間は60分だ。以前、小学生の娘に、30分が0.3時間ではなくて0.5時間であることを納得してもらうのに、大変苦労した。100分で1時間ではない。60で1となる。この辺り、混乱して当然かと思う。
そもそも、10で1つ位が上がるのは当然の常識のようだが、成り立ちは「両手の指が合わせて10本だったから」という説明がある。実は数学は文化的、意図的、便利だから的、な理由で形作られてきた背景がある。と、大人になってから知った。
例えば12個で1ダースとする見方がある。「12」は2、3、4、6で割れて便利なのだ。確かにお土産は、10個入りだと3人や4人には配れない。もしかしたら、12進法が常識の世界線もあったかもしれない。だが、10という数字は、2と5でしか割れないので扱いにくい一方で、10進法は大きな数を表しやすいというメリットがあるようだ。時を経て、いまでは世界の主流は10進法だ。
というわけで、「数にも歴史や文化あり」という見方ができる。文系おじさんの私も、こういう話なら楽しいと思う。
さて、53分の次は63分なのか、それとも60分、もしくは65分なのか、それによってこの厚木〜大和間の渋滞表示の謎が解けるのか。それを知りたいところだが、でも混むのは嫌だしなあ。
手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)
民主主義ってなあに
我が子よ。みんなで何かを決めるとき(政治)に、心がけたいことを伝えておく。学校でも職場でも、国でも同じだ。
それは、妥協して、折り合いをつけて、落とし所を探ることが必要だということだ。
多数決で決めるしかないときもあるだろう。だが、支持が少ない意見を切り捨てるのではなく、取り込める余地も検討することが大切だ。
どっちが正しいかとか、どっちが多勢か、ではなくて、どっちも取り入れたプランはあるか、と考えよう。
例えばこの夏の旅行だ。パパは海へ行きたい。ママと君たち二人はプールがあるホテルに泊まりたい。この場合、多数決をしたらパパの意見は通らない。というか、この先の仲村家の決め事は、1:3になることが多いと予想できる。
でも、それじゃああんまりパパがかわいそうだろう。だから、ここで妥協だよ。妥協というと負けみたいに思うかもしれないが、そうじゃない。妥当な線で協力する。これがお互いのためなんだよ。
だから、この伊豆のホテルな。海にも近いしプールもある。でも、遠いんだ。パパだって遠いのは嫌だけど、みんなでちょっとずつ我慢すれば、みんなが楽しくなれそうだろ。
折り合いをつけるために話し合うんだ。お互いが少し折れることを前提に、話し合いをすることで、きっと良いように進んでいくと思うよ。
え、今日のお昼はマックで食べたい?だめです、今日のお昼はそうめんです。
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この夏にお勧めのエンタメ本
夏休みと言えば読書だ。普段、ビールを飲んで動画ばかり見ているおっさんの私だが、子どもの手前もあり、かっこつけてみようと思う。そう、自分の中では読書=知的でかっこいい。という図式があるのだ。
よし、スマホは隣の部屋に置いてきた。さてさて、何を読もうか。ここはやはり文学作品だろう。「文豪」にチャレンジしていこう。私大の文系出としては、「あー、芥川ね。彼の晩年の作品はうんたら」くらいは言えるようにしておきたい。「あー、リーマン幾何ね」と言うのは、土台無理なので。
芥川は、河童も歯車も読んだことないからな。どれどれ。。うん、ちょっと自分には早いかな。ある阿呆の一生って、コメディかと思ったけど、ちょっと違うみたいだな。
というわけで、芥川は早々に断念し、いや、引退後の楽しみに回すことにした。短編は読みやすいが、さすが文豪。豪傑に挑むには、こちらも気構えが必要だ。
それならば、夏目か、三島か、谷崎か、志賀直哉か。引きこもり時代のコレクションを漁っていたら、出くわした。
「中島敦」
おお、高校のときに「山月記」を授業で読んだな。そして、この文庫本はいつ買ったか分からんが、きれいだな。ということで読んでないな。
どれどれパラパラパラ。
こ、これは!中島敦と言えば、中国物。を連想するけれど、彼の作品はそれに留まらない。例えば「文字禍」という作品の出だしはこうだ。
「アッシリア人は無数の精霊を知っている」 え、漢文は一体どこへ?
かと思えば詩もある。
「早口のポパイが如き濁声(だみごえ)を 土曜の午後に聞けば楽しき」 え、私生活?というかどんな状況?
まさに縦横無尽。マルチタレント。宮沢賢治に近い多才性。だが、文豪からはみ出す、一種のエンタメ性がある。自ら楽しんでいるような、読者を楽しませるようなところがある。
この夏は、「中島敦全集 ちくま文庫」で決まりだ。カバーの装画は、土方久功だ。中国とパラオが混在してて、クラクラさせてくれる素敵な本だ。
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かっこいいとはこういうことさ
おれも、50歳に近づいてきた。このままだと「ちょっと変で、ちょっとおもしろいおじさん」になりそうだ。というか、なっている。
それはそれで、望んでいた姿なのだが、違う形も追い求めていきたい。
そう、そろそろ、かっこいい男になりたいと思う。
かっこいい男になるには、かっこいい男とはの「定義」や「具体例」が欲しい。
考えてみたが、定義はかっちりと決まらない。よし、まずは具体例を出していこう。そこから帰納していけば、定理や公理が導かれるだろう。
かっこいい男の例:
反町隆史、竹野内豊、三井寿、剣桃太郎、やはりこの4人が四天王だろう。漫画のキャラが二人いるが、気にしないで進もう。
この4人の共通点を探れば、「かっこいい男の定義」が決まるはずだ。あとは、それを真似れば、おれもかっこいい男になれる。
この4人の共通点は、、、うむ。
「フッ」をかっこよく言えることだな。
よっしゃよっしゃ。早速「フッ」をかっこよく言う練習だ。少し口元を緩めながら、認める余裕を持ちながら、しかし自分の意思は曲げないで、「フッ、まあいい」
できてきた、できてきた。やっぱりかっこよく言えれば、かっこよくなれそうだ。かっこいい人が言うから、かっこいいのではなくて。
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6/28同窓会
<友人の話を聞いて構想中の演劇>
例えば、高校時代の同窓会があって、自分が好きだった人に会えたとする。そして、「昔も今も好きだな」と思えたら、それは素敵じゃないか。以下、男が書いて、まだ出せていない手紙。
世の中が、人々が、こうあって欲しい。そう君が思っても、なかなかそうはいかなかっただろう。
でも君は、せめて自分だけは、「自分が希望する世界にふさわしい人」であろうとしてきたのだろう。
生きていくうえで、それはきついことだと思う。理不尽な出来事や人を前に、どうやって折り合いをつけてきたのだろうか。確かさや正しさを求めて、それが揺らいだときに、どう納得したのだろうか。
希望を持たず、期待をしない。真面目さを放棄する。そんなことで、僕は大人になった気でいた。でもそれは、諦めだったり嘘だったのだ。
久しぶりに話をして、君がまだ、希望や真面目さを持っていることを感じて、素敵だと思った。
疲れてはいるのだろうけど、今でも輝く優しい瞳が、あの頃と同じように、僕を惹きつけた。
過去も未来も変えられなくて、どうにもならないけど、つい「もし」を考えてしまった。そのあと気を取り直して、とにかく自分の心の中に、今日のこの場面を残そうとした。
こんな気持ちになれたこと、その嬉しさだけで僕はいいんだ。そして君には、君のおかげで嬉しい気持ちになれる人がいることを、知っておいて欲しい。
手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)
