気楽にブログ
聞こえてはいます、でも
何かを知る・知らせるために有効な手段として、「音」がある。音が聞こえるからこそ、危険を察知できるし、また危険を伝えることができる。
例えば、良くあるマンガのシーンだ。イカダに乗って秘境の川を下っている。動物たちの鳴き声に混じり、ゴゴゴゴ、ザーッという音が聞こえ出す。「まずい!この先は滝だ!」
または、映画で良くあるシーンだ。監獄からまんまと脱獄し、最後の塀を越える人影。サーチライトが照らされ、けたたましいサイレンが発動される。ウー、ウー、「脱獄者発見!」
このように、知るためにも、知らせるためにも、「音」は有効だ。ここで、日常を考えてみると、音が危険を知らせていることが多いのは、交通の場面だろう。クラクションやサイレン、「バックします」という音声、または車の走る音そのものも、危険を知る・知らせるために有効だ。
というわけで、音はリスク回避のために、とても便利だ。しかし、私はどうにも電子音、警告音、の類が苦手だ。書きたいのはその話だ。
例えば、冷蔵庫を閉め忘れたときに鳴る、あの「ピー」という音。本当に嫌だ。「こっちは卵を割ったあとの指のネバネバを、洗い流しているところなのだ。今すぐに扉に触れたなら、卵のネバネバ&水が、お前(冷蔵庫)につくぞ」と言いたくなる。
電子レンジもそうだ。控えめに「ピピピ」という音だが、「分かってる、ごはんを解凍したのは、忘れてないから。今この即席味噌汁の味噌が、袋から変な感じで飛び出したんだよ。これ拭いたら開けるから。ちょっと待ってくれよ」と、言いたくなる。
しかし考えてみると、私はこのような警告音そのものが嫌いというよりは、「自分が今していることを中断し、直ちに他のことをすることを強いられること」が、嫌いなのかもしれない。
もしかしたら、たとえピーという音が不快な音だったとしても、それが休み時間の始まりを示す合図だったり、好きな子からのメールの通知だったら、嫌ではない気がする。
逆に、不快な音ではなくても、自分の行動を強いられるようなものは、嫌なのだろう。昔、広末涼子の声で起こしてくれる目覚まし時計を使ったことがある。「ねえ、起きてよー」の声は心地よかったが、ちっとも起きられなかった。
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整体サロン 気楽に屋(KIRAKUNIYA)