気楽にブログ
キャラ化と調和について
マンガ、アニメ、ゲーム、これら日本が世界に誇るコンテンツを特徴付けるているのは「魅力的なキャラ」だろう。
よく言われるように、こんなにも沢山のキャラを生み出している国は他にないだろう(始まりました日本礼賛)。ディズニーも確かにキャラ作りに長けているが、既存の物語から拝借してきたものも多く、独創性は高いとは言えない。エレクトリックパレードはキラキラと壮観だが、もし藤子・F・不二雄の作ったキャラたちでパレードをしたら、軽く凌駕すると私は思う。
そう、藤子・F・不二雄はすさまじい。彼のことは後で語るが、他にはやはり手塚治虫、そして水木しげるは外せない。ジブリもポケモンもサンリオも、この二人の巨匠による動物のキャラ化、不思議な生き物(妖怪)のキャラ化の系譜なしではあり得ないだろう。
手塚治虫はディズニーの大ファンで、影響を多く受けたようだ。だが、私が思うに映画の見せ方という技法が主であって、キャラ作りはむしろディズニーが手塚治虫を真似ている。有名な例として、手塚の「ジャングル大帝」からのディズニーの「ライオンキング」というのがある。
主人公はライオンだ。ライオンがしゃべる。その違和感を、欧米はすぐには受け入れられなかっただろう。ドナルドダックやおさるのジョージを見てもわかるように、動物が流暢に話すことはない。この受け入れ(擬人化)が、とかく日本は得意だ。
そして擬人化までいかなくても、キャラ化なら、それこそ際限がない。欧米でも妖精や怪物、神話からキャラは作られるが、日本のポケモンの多さには遠く及ばない。そして、妖怪となるとさらに多い。なんせ「ぬりかべ」に「一反木綿」だ。もはや生き物ではなく「物」がキャラと化してしまう。
行き着く先は「機械」のキャラ化、そしてロボットだ。車だってしゃべる。猫型ロボットだってしゃべる。キャラ化したものたちが普通にしゃべるのを、日本人が受け入れられるようになったのは、前述した藤子・F・不二雄の功績が大きい。
ドラえもんのようなロボットが感情を持ち、友だちになれる。海底鬼岩城のバギーは車だが、同じく感情がある。チンプイは異星からやってきたし、オバケのQ太郎にいたっては、もはやそれが何なのか分からない。
これらキャラ化がもたらしてくれるもの、それは「受け入れや調和」だ。動物に対しても、宇宙人に対しても、物に対しても、そして機械やロボットに対しても、我々日本人は寛容だと思う。言葉がわかるはずだ、こう考えているはずだ。それが当然のこととして受け入れられて、ストーリーが続いていく。
それはマンガの世界だけではなく、現実につながっていく。西洋は区別することを「分ける」つまり「分かる」と考える。東洋は同一であることから世界を捉える。
もし明日、厚木にUFOが降り立っても、地底人が町田に姿を表しても、我々日本人は特に驚かないだろう。そう、何故ならドラえもんがいる国だから。何だかんだで最後はハッピーエンドになるのは、もう分かっているから。
手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)
