気楽にブログ

2023-07-11 14:54:00

親はサッカーの審判である説

子どもが好きに遊んでいる。1人で遊んでいて危ないようなときもある。子どもが2人にもなれば、喧嘩もする。このとき、親はどのようにすれば良いか。私が最近思うのは、親はサッカーの審判のようなもの、ということだ。プレーを邪魔しないように流し、でもよく見ていて、行き過ぎたラフプレーは止める。もちろん親は、あんなに注意深く見てもいられない。だが、役割はそうだと思う。

 

子どもたちも、そんなに無茶はしないものだ。でも、やはりヒートアップしてしまうことがある。大人の役目は、すぐに笛を吹かず、危険だったりルール違反だったりするものがあるときだけ、毅然とストップをかけることだと考える。

 

 

ちょっとコケたくらいでは、早く起きろと促す。いちいち騒いでいたら、プレーが滞る。そして審判はボールの流れをつかみ、その後の展開を予想する。予想は、対処の準備だからだ。より正しく判断するためには欠かせない。判定に対し、文句を言われることもあるだろう。審判が間違うこともあることは、お互い前提と置きたい。そして、ルールがあり、審判がいるからこそ、このフィールドでプレーができることを、子どもたちに分からせることが大切だ。

 

やがて、審判がいなくても、自分たちで出来るようになるだろう。ときには自制し、ルールを守ることで、プレーが楽しくできることが段々と分かってくるから。ずるいことは楽しくないと、子ども同士で分かってくるから。

 

 

子どもの好きなようにやらせつつ、行き過ぎたら全力で止める。それは観客席にいてはできない。逆に、ビールを飲んでしまうと審判から観客になってしまうから、ママに怒られるんだなパパは。と、納得。見守るってエネルギーが要りますよね。フィールドの「中」にいるのだから、当然か。

 

 

 

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