気楽にブログ
親はサッカーの審判である説
子どもが好きに遊んでいる。1人で遊んでいて危ないようなときもある。子どもが2人にもなれば、喧嘩もする。このとき、親はどのようにすれば良いか。私が最近思うのは、親はサッカーの審判のようなもの、ということだ。プレーを邪魔しないように流し、でもよく見ていて、行き過ぎたラフプレーは止める。もちろん親は、あんなに注意深く見てもいられない。だが、役割はそうだと思う。
子どもたちも、そんなに無茶はしないものだ。でも、やはりヒートアップしてしまうことがある。大人の役目は、すぐに笛を吹かず、危険だったりルール違反だったりするものがあるときだけ、毅然とストップをかけることだと考える。
ちょっとコケたくらいでは、早く起きろと促す。いちいち騒いでいたら、プレーが滞る。そして審判はボールの流れをつかみ、その後の展開を予想する。予想は、対処の準備だからだ。より正しく判断するためには欠かせない。判定に対し、文句を言われることもあるだろう。審判が間違うこともあることは、お互い前提と置きたい。そして、ルールがあり、審判がいるからこそ、このフィールドでプレーができることを、子どもたちに分からせることが大切だ。
やがて、審判がいなくても、自分たちで出来るようになるだろう。ときには自制し、ルールを守ることで、プレーが楽しくできることが段々と分かってくるから。ずるいことは楽しくないと、子ども同士で分かってくるから。
子どもの好きなようにやらせつつ、行き過ぎたら全力で止める。それは観客席にいてはできない。逆に、ビールを飲んでしまうと審判から観客になってしまうから、ママに怒られるんだなパパは。と、納得。見守るってエネルギーが要りますよね。フィールドの「中」にいるのだから、当然か。
手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)