気楽にブログ

2023-08-09 11:44:00

自分語りしかない

この前書いた「それとも、そうではないのか?私は核抑止力なんて大嫌いだ!」は、中学生のときに読んだ谷川俊太郎の「それとも、そうではないのか?ネクタイなんかしめなくていい!」と、岡本太郎の「おれは進歩と調和なんて大嫌いだ!」の影響で言葉が出ました。このように、自分が何かを語るときは、自分が読んできた文が出てきます。

 

「うん、それはパクリだよ」そう言われるかもしれませんが、自分の思いを言葉に乗せたいときに、前からある表現を借りることは有効です。それは自分が考えたオリジナルではありません。しかし、思いがあれば、表現に自分が入っているのだと思います。

 

本、マンガやアニメや映画、歌の歌詞でも良いですが、言葉を使った表現を自分の中に通すことで、自分の気持ちや考えを表現しやすくなります。例えば「諦めたらそこで試合終了ですよ」というスラムダンクの安西先生の言葉があります。皆さん、人生の中でときおり使ったことがあるのでは、と推察します。

 

原作でどんな文脈や情景で使ったのかは忘れていても、眼の前の現実に、作品のセリフが合うときがあるものです。そして、自分を支えたり押してくれたりするのです。作品全体、ストーリーだけではなく、ワンセンテンスだけでも心に残れば、それが味方をしてくれることがあります。

 

「自分語り」が、嫌われる風潮があるようですが、自分のことの他に、何を語ろうというのでしょうか。そのなかに出てくる言葉は使い古しの表現でも、元ネタがあったとしても、使う場面が違えば新しいと思います。そして、個人の経験や気持ちこそ、AIでは書けないことであり、それこそが記しておく意味がある文だと思います。

 

ネットで調べて分かることを貼り付けても、それは情報であって表現ではない。AIに気楽に屋のおかしなブログは書けまい。と、何故か張り合う。

 

手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)