気楽にブログ
かま猫とブドリ
前回は、読書感想文と銀河鉄道の夜について書いた。本に出会うきっかけとして、読書感想文は良いと思う。しかし、物語全体を捉えるのは、大人でも難しい。途中で嫌になる可能性がある。だから、感動した場面のことだけで良いから、自分で言葉にして残しておくと良いと思う。その言葉には、その時点での自分の経験が入ってくると思う(自分語り)。途中の話はよくわからなかったが、あの一文が良かった。そうすれば、読書感想文が良い体験として、もっと本を読むことにつながるのではないか。
そして、少し宮沢賢治について書くと、「猫の事務所」と「「グスコーブドリの伝記」は、若い人たちに是非読んでほしい。どうして出版社は「銀河鉄道の夜」が入っている文庫に、この2つを入れないのか、不思議だ。「風の又三郎」よりも読みやすいし、私は好きな話だ。
「猫の事務所」はすごく短い話だが、かま猫の記述がとにかくかわいそうだ。特に「原簿、原簿」という場面が切ない。頬が酸っぱくなって、耳がきいんとして、という記述は、子どもにはよく伝わると思う。切ない感じ、悲しい感じ、かわいそう、そういう気持ちが分かることは、やさしい気持ちにつながると私は思っている。
「やっぱり僕が悪いんだ、しかたないなあと、かま猫は考えて、涙をまんまるな目いっぱいにためました。」
うう、かま猫。おじさんもうるうるしてしまうぞよ。
「グスコーブドリの伝記」は、銀河鉄道の夜よりもずっと情景が想像しやすい。むしろ、こっちをもっと推せば、更に宮沢賢治のファンが増えると思う。そして、やっぱりラストは切ない。自己犠牲によって世界を救う話は、手法としてはありふれているのかもしれない。しかし、その強さとやさしさに、かなしさに、何度読んでも手を止めてしまう。自分はこんな風には仕事はできないし、生きられない。でも、こういうお話がいい、と思える人でありたいと思う。
「私のようなものは、これからたくさんできます。私よりもっとなんでもできる人が、私よりももっと立派にもっと美しく、仕事をしたり笑ったりしていくのですから」
・・・久しぶりに読み返すとこの文は、ずどーんと来ますね。音楽や映画もそうですが、今の自分の人生の地点によって響き方が変わります。
もっと立派に美しく、仕事をしたり笑っていかなくては。ブドリが託してくれた未来に、私は今いるのだから。
手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)