気楽にブログ
動物ふれあいコーナー再開に向けて
「人が嫌がることはしないよ」「自分がされたら嫌でしょう?」
これは、親や先生が子どもによく言うことだ。そして、これがしつけや規範を教える一歩目だと思う。大体において、自分がこうしたいと思っても、相手が嫌がったらそれはすべきではない。
「さわってみたい」
その上で、さわってみたいという欲求は誰しもあることを確認したい。例えばイベントで力士が歩いてくるとしよう。上半身裸だ。みんな、無遠慮にぺちぺち体を叩いている。そして、力士が私がいる方へ近づいてくる。私はどうするか。やはり手を伸ばし、ぺち、っとするだろう。
もふもふの動物がいる。とにかくもふもふだ。どんなにかもふもふか、確かめたい。さわった感触を確かめたい。私はやはりさわるだろう。場合によっては「フニっと」こっそりつまむ、かもしれない。
「さわってもOKですよ。但し、」
というわけで、さわりたい気持ちは、いきなり出てくる。だが、さわられる方が嫌がることもある。それはわかっておきたい。教えておきたい。そして、さわっても良いとなっても、動物でも人でも、さわりかたのマナーがある。いくら柔らかくても、フニっとつまんでは、やはりだめだ。
「お手を触れないで下さい」
さわりたい気持ちがある。だからこそ、さわられて困る作品はケースに入れられている。動物も手が届かないところにいる。ふれて欲しくないのだから、ふれられないようにするのだ。
「ふれる技術」
相手が同意したとしても。相手が嫌がらないように、相手の失礼にならないようにふれたい。それはマッサージの仕事ではなくても、大事な技術だ。パートナー、子ども、親、近しい人にふれる場面は人生で出てくるだろう。困りごとが起きないように、慣れていきたい。
「ふれる教育」
人が嫌がることをしない、それは「相手にふれる」ことを通じて学べると思う。ふれても良いのか、ふれても良いとしてどのくらいのタッチが適切なのか。それらは体験で学んでいくことだ。学校の体育で、起き上がり介助やパートナーストレッチは、教えているのだろうか。
ハラスメントや衛生面の懸念から、人や動物にふれる機会が減っていく。そうするとふれる技術や思いやりの気持ちも減るだろう。益々トラブルが増えるだろう。その解決策として、どうぶつふれあいコーナーにかかる教育的期待が、倍の倍になって高まってくれたら嬉しい。
手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)