気楽にブログ
体験学習
以前、ふれること、子どもの教育、について書いた。動物に嫌がられないようにふれることは、ふれる側のやさしさを育ててくれると私は期待する。だから動物ふれあいコーナーを、ふれるきっかけとして応援していきたい。
動物愛護は、ひいては人への思いやりに通じると期待できる。自分の子どもにも、動物にやさしくできる人になって欲しいと思う。学校で動物を飼うのも賛成だ。一方で、飼った動物をしめ、最後に食べるのを食育とするのは、やりすぎだと思う。
食べるというのは「命を頂くこと」だから「頂きます」というのを伝えたいというのは、わかる。だが、感受性の強い小さな子どもに生き死にをダイレクトに教えるのには、私は抵抗を感じる。よほどうまくやらないと、「嫌な体験」として残り得ると思う。
異論はあるだろうが、家畜と「仲良くしない」というのは、知恵だと私は思っている。藤子・F・不二雄の「ミノタウロスの皿」という作品にあるように、仲良くしてしまったら、食べようとは思えない。動物愛護の観点から矛盾するが、現実の矛盾と、どの程度折り合いをつけるかが、私の個性だ。私は牛はかわいそうだから殺したくはない。でも、ステーキとして出たら食べたいのだ。その牛が生きていたときのことは、知りたくない。まったく嫌な大人だと、自分でも思う。そして、仲良くした牛を食べることが、食べ物を大切することにつながる良い経験になると、私には思えない。
私が推奨したい「ふれる体験学習」も、子供同士でやろうと思ったら、恥ずかしがって嫌がって、うまくいかないかもしれない。このように、体験学習をすれば簡単に教えられると思ったら、大間違いだ。
性や食や死に関して、子どもの疑問に答えないといけないときに、サイエンスも、体験も、物語も、有効だろう。だが、子どもに応じて適切に提供するのは、至難だ。つくづく教育は大変だと思う。そして、自分を鍛えてくれる。親たち、先生たち、自分、おつかれさまです。
手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)