気楽にブログ
今日という日を仕舞う
ある言葉が気になる。気になったらもう止まらない。世の中に素数が気になる人がいるように、私は言葉が気になる。
例えば、「仕舞う」という言葉だ。心にそっと仕舞った。などで目にする。ここに「舞う」という漢字が使われるのはなぜなのだろうか。舞う、から私は「軽やかさ」をイメージする。
だから、引き出しにしまう。も、引き出しに仕舞う。と書けば、何となく軽やかさや上品さがあるように感じる。引き出しの中でも、心の中でも、大切にしまった物や情景は、しまわれた空間で、軽やかに舞っているのかもしれない。
ところで、仕舞う。には、終わりにする、という意味がある。「〜になってしまう」や「〜になってしまった」という場合だ。どちらも終わることに後悔がにじむ。「夏休みが終わってしまう」「アイスを落としてしまった」「しまった!頼まれた玉子買ってない!」などである。
これらは仕舞う、の上品さはあまりない。ひらがな、もしくは「シマッタ!」のように、カタカナが似合う。そして、ここまで書いてようやく気付いたが、「しまった」には同じく終わりを意味する言葉として「閉まった」「締まった」などがある。しめる、にすれば「閉める」「締める」「占める」「〆る」「絞める」など沢山ある。但し「湿る」は別物だ。否定形は「しめらない」で「しまらない」とは言わない。だから「締まっている」と「湿っている」も違う。と、まだ夕方だからシモネタはよしておこう。
そして、知らなかったのは、「染める」というのを「しめる」と読むことだ。「煮染める」という言葉があるのだ。これは、染み込ませるという意味で、おわり、という意味はないのだろうか。
さてさて。しめしめ言っているうちに、もう時間が来たようだ。拙者はヨークマートで明日のパンを買わないといけない。この辺で仕事は〆て、店のドアを閉めようと思う。おしまい。お終い。お仕舞い。
手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)