気楽にブログ
2024年にむけて(2)
前回は自分の仕事と学びについて書いた。今回は、もっと大きなことについて書いてみたい。例えば、社会問題、自分のこどもの教育、そして自分の生活や人生も、学ぶことで大きな間違いを避けられると考えている。また、学ぶことで「訂正していける」(東浩紀)ことが大事だと考えている。
今年は自分が馴染んできた社会学、そして興味が出てきた生物学が、このような間違いを避ける上で有用であるように感じた。引き続き、社会学の決めつけない態度「本当にそうかなあ?」や、生物学の「生物としてはどうふるまうのか?」にヒントを求めていきたい。だが、東浩紀さんが言うには「社会学や哲学は、未来を作るために振りかざすものではない」であるし、福岡伸一さんは「人間社会のあり方に生物学を当てはめるには注意が必要」と述べている。あくまでヒントとし「こうしていくべき」という正しさの決めつけには、気をつけていきたい。間違いを避けるつもりが大間違い、ということになりかねない。(共産国家、優生思想)←というのは決めつけで、大間違いとは言えないのかも知れないが。。
大きな間違いを避けるためには、データや統計学にも馴染んでいきたい。だが、「これからはデータサイエンスの時代だ!どや」ではなく、判断の根拠の一つ、ツールの一つのして捉えていきたい。「まあ普通に考えてこの数字ならこっちを選ぶよね」という感覚だ。今のところの私の学びレベルではこのくらいだ。あとはせっかく岡潔と森毅の本と出会えたので、趣味として数学の学び直し(というか算数から)は続けたい。これも、真を求めたいというより、考えにおける大きな間違いを少なくしたいということがある。
と、今まで知に関して書いたが、他にも物語や音楽や体育や美に関して、感じて楽しんでいきたい。それらが私が求める「よく生きる」にもつながる。
「溜め込んだ知識が腐れば 知ったかぶりより直感だ」ザ・ハイロウズ
「もう知識は要らない 知識は要らない 何も分からなくても」ザ・フィッシュマンズ
という場面もあるだろうし、役に立たなくても楽しければそれでいい。
この中で、唯一「美」だけは未だに楽しみ方がよく分からないが、それもまた良いかなと思う。岡潔が「真善美のうち、一番わかりやすいのが美だ」と言っていたが、これはどういうことなのだろう。正しいこと、善いこと、よりも「好きか嫌いか」の方が分かりやすいし、判断しやすいことなのだろうか。
と、最後にやはり私にとって今年一番の「出会い」であった岡潔が登場した。これほど繰り返し読んだり唸ったりしたのは、河合隼雄先生以来だ。では、最後に岡潔が勲章をもらった際に、天皇陛下に述べた言葉で、2023年をお仕舞いにしようと思う。
「数学は、生命の燃焼によって作るのです」
かっこいいぜ、岡潔。
手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)