気楽にブログ
カミュの手帖から
「気楽に屋」としているものの、世の中の出来事も、私の生活も、気楽なことばかりではもちろんない。仕事、子育て、人生、、この世界の捉え方、自分の身の置き方、それらに迷ったときのヒントになるかもしれないと思い、
以下、「カミュの手帖」アルベール・カミュ著 大久保俊彦訳 新潮社 から3つ抜粋して紹介したい。
「この世界の悲惨と偉大―この世界が決して真実を与えるのではなく、愛の対象となるものだけを与えること。不条理が支配し、愛がそこからぼくらを救い出す」
「世界から離れないこと。人生を光の中に置いていれば、やり損なうことはない。状況がいかなるものであれ、たとえ不幸で幻滅を感じていても、ぼくの一切の努力は触れ合いを取り戻すことにある」
「全身全霊をこめて関わること。その後で同じように力強く、諾と否とを共に受け入れること」
自分の聖書(バイブル)という言葉がある。特定の信仰を持たない人にとっては、困ったときに頼りになる本がそれである。私にとってそれは、カミュの手帖だ。
ネットで調べてみたところ、どうやら今も古本屋案件のようだ。そして値段も高い。でも、この希少性もまた良きかな、というところだ。多くの人のバイブルとなるには、それではいけないが。
私はこの本を哲学者の中島義道さんの本で知り、もう大分前だがネット経由で手に入れたのだった。カミュは異邦人のムルソーにちょっとシンクロしてしまう自分が居て、結末を考えると危ないなと思い、少し距離を置いていた。最近Xで流れてきた記事で彼の写真を見たら、パンクバンド、「ザ・クラッシュ」のジョー・ストラマーにそっくりでかっこよかった。
カミュの手帖は何しろ分厚いし、前後のつながりもないので、通読するのは厳しい本だ。私は気持ちが向いたときにページを繰り、心に引っかかった箇所に印をつけておく読み方をしている。
何だか心に入ってこないで字面を追っている中で、急に文に掴まれる感覚がある。前に読んだときは素通りしたのに、なぜか引っかかることもある。
そして、前に印をつけた箇所も、読むときの自分次第で染み込み方が変わる。「こういう心持ちでいこう」とか、「自分が思うことが言葉となっている」とか、感動は都度やってくる。
現実に向き合うとき、「具体的な手段」と共に必要なのは、「支えてくれる言葉」だと思う。
例え不条理が支配しようとも、世界と関わり、自然や人と触れ合いを持つことを求め続ける。そんなたくましい力が欲しい。それが愛なら、愛が欲しい。
手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)