気楽にブログ
くだらないの中に
くだらないの中に愛が 人は笑うように生きる「くだらないの中に」星野源
試験、確定申告、夜勤、皆様おつかれ様です。気楽に屋のいつもの、くだらないエッセイです。
「昔からある言い回し」を見直してみたい。つまり例のあれだ、「鳩が豆鉄砲を食ったような顔」の話だ。「あいつ、鳩が豆鉄砲を食ったような顔しやがって」と、言ったことは、私の人生で1度もない。使い所がわからない。そもそも「鳩が豆鉄砲を食ったような顔」の想像が難しい。鳩はいつも鳩の顔ではないのか。あと、やっぱり思う。豆鉄砲って何だ?
だが、長い時間をかけても残っている言葉には、耐えうるだけの「輝く価値」があるのだと推察する。「鳩が豆鉄砲を食ったような顔」も、使う人が多いから、そしてそれで意味が通じる人が多いから、今まで残ったのだろう。今日も日本のどこかで「鳩が豆鉄砲を食ったような顔してやがる」と茶化されている人がいるのだろう。
ところで、私の好きな表現は「猫の額ほどの庭」だ。犬やネズミではだめだ。猫の額でなくてはいけない。確かに狭い。確かに狭いから、そこに植えられる草木は、パンジーひと株でもはみ出す。猫の顔を見る。そして額を見る。うむ、狭い。ってこんな狭い庭あるかい!
猫で言うともう一つ「借りてきた猫のようだ」がある。「え、おまえんちの猫って、借りてきたやつなの?」と、昔のふかわりょうが言いそうな感じだ。借りてきた猫、やはりお願いして借りたのだろう。「この猫、ちょっと貸してくれ。明日、来客があるから」どんなだ。
どんなだ、と言いつつ、借りてきた猫がおとなしいということを、我々は知っている。猫を借りたことなどないのに、借りてきた猫がどんなだかわかる、というのはどういうわけなのか。借りてきた猫はおとなしい。借りてきた猫の役目をしっかりとおこなう。そしてその額は、やっぱり狭い。
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