気楽にブログ
あり得ることだから
中東のことや、過去の地震のことなどのニュースを見聞きすると、悲しい気持ちになる。大人として、もっと知っておいたほうがいいかな、とも思うが、自分が日常で参ってしまっているときは、積極的には見に行けない。
でも、それでもいいと思う。まずは自分や家族、周りの人との日常のことを考えたい。そして、たまに自分が大丈夫なときは、遠くや過去のことも気にかけたい。
「もし自分が、同じ状況になったらどうしよう」「これから先、あの国のようになったらどうしよう」仮定の話だって、もちろん大事に決まっている。
自分事として想像する、その上で、自分のいる場や自分の役割に、気持ちは置いておきたい。
悲しいことは消えないのだろうけど、楽しいことは作っていける。
人間が今まで続いてきたのは、知恵と思いやりがあったからだ。だからきっと、これからも大丈夫だ。
何気なく音楽アプリを開いたら、ビートルズの「Real Love」がお勧めに出てきた。そういえばちゃんと聴いたことなかったなと思い、聴いてみた。
久しぶりに音楽で感動した。心に沁みて、何度も聴いた。感想の書き込みを読むと、2025年バージョンは評判が悪いようだが、ビートルズらしさが十分に出ているし、個人的には完成形だと思った。
愛も平和も、想像の中だけのことで、言葉として在るだけで、実際にはあり得ないのかもしれない。
いや違う。今までにもあったのだ。そして、これからも望めば作れる。実際に現れるそれは、思ったものとは違うかもしれない。でも、どんなのでもいいのだ。いくつあってもいいのだ。
リアル・ラブもリアル・ピースも、本当のとか、唯一の、とか言う意味じゃない。
すぐそこにあり得る、いくつもの思いだ。いくつもの形だ。
気楽の前に真面目時間
手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)
決定は仮定だ
「決定は常に仮定なんだ」山田かまち
これは少し楽になれる「気楽ワード」だと思います。自分がさんざん悩んで迷って決めたことでも、変えて良いのです。
前提として、選ぶのも、また変えるのも、「自分で決める」ことが大切だと思います。誰かに言われたからだと、決定の末に自分が被ることを、その人のせいにしてしまうからです。
途中で部活をやめたって良いんだし、大学を入り直したっていいんだし、仕事も変えればいいと思います。続けるのがつらくて自分がこわれてしまうくらいなら、やめましょう変えましょう。
でも、いつでも変えられる、仮定だ、としておいた上で、「ある程度は」がんばってみた方が良いと思います。自分で選んで決めたことに重きを置かないと、次の選択につながりません。「仮定」を続けることで、「過程」となります。続けることでの気づきも恩恵も、きっとあります。
あと、向いている向いていない、ってありますね。「私、学校の先生に向いてないかも」とか。これは適性があるかどうか、ということを言っていると思います。ですが、大事なのはあなたが「先生という仕事の方を向いているか」です。向いている、というのはそういうことです。自分の気持ちが向いていれば、それで良いのです。
というようなことを、いつもの調子で後輩たちに居酒屋で熱弁したところ、聞いているのは一人だけで、あとのみんなはスマホをいじりだして悲しくなったので、レモンサワーの大を追加注文しようと店員さんに声をかけたら「タブレットでお願いしまーす」と言われ、余計に悲しかった少し遅めの新年会にて。
あなたの暮らしに気楽時間
手当整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)
カミュの手帖から
お店の名前を「気楽に屋」としているものの、世の中の出来事も私の生活も、気楽なことばかりでは、もちろんない。仕事、子育て、人生、、この世界の捉え方、自分の身の置き方、それらに思い悩むこともある。そんなとき私は、一冊の本を取り出して、自分の思いや気持ちを確認する。もしくは発見する。
以下、「カミュの手帖」アルベール・カミュ著 大久保俊彦訳 新潮社 から、抜粋してご紹介したい。
「この世界の悲惨と偉大―この世界が決して真実を与えるのではなく、愛の対象となるものだけを与えること。不条理が支配し、愛がそこからぼくらを救い出す」
「世界から離れないこと。人生を光の中に置いていれば、やり損なうことはない。状況がいかなるものであれ、たとえ不幸で幻滅を感じていても、ぼくの一切の努力は触れ合いを取り戻すことにある」
「全身全霊をこめて関わること。その後で同じように力強く、諾と否とを共に受け入れること」
私は若い頃に、この本を哲学者の中島義道さんの本で知り、探し回って(ネットで)購入した。カミュの手帖は何しろ分厚いし、前後のつながりもないので、通読するのは厳しい本だ。私は気持ちが向いたときにページを繰り、心に引っかかった箇所に印をつけておく読み方をしている。
何だか心に入ってこないで字面を追っている中で、急に文に掴まれる感覚がある。前に読んだときは素通りしたのに、なぜか引っかかることがある。
そして、印をつけた箇所は、読むときの自分次第で、染み込み方が変わる。「またこういう心持ちでいこう」とか、「自分が思うことが言葉となっている」とか、感動は都度やってくる。
自分の力が及ばない現実に向き合うとき、「具体的な手段」と共に必要なのは、「支えてくれる言葉」だと思う。
「例え不条理が支配しようとも、世界と関わり、自然や人と触れ合いを持つことを求め続ける。そんなたくましい力が欲しい。それが愛なら、愛が欲しい」サン仲村
あなたの暮らしにカミュ時間
手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)
敗者は必ず復活する
この夏は、お子様の部活・クラブ活動での不調の相談をよく受けました。気楽に屋は医療機関ではないので、ケガには対応できませんが、スポーツ整体として対応します。スポーツでの不調の多くは、「酷使」と「不良フォーム」に起因すると考えています。
私自身は中・高とテニスを頑張っていました。勝ち負けはどうあれ、子どもたちには思う存分プレーさせてあげたい、という気持ちがあります。整形外科でスポーツリハビリを担当していた自分の経験を、整体で生かしたいと考えています。
以下は、前に書いたエッセイです。お読み頂ければ幸いです。
<敗者は必ず復活する>
今年も夏が終わった。各地で、学生の色んなスポーツ大会が行われた。負けて引退となった3年生も、沢山いることだろう。
そう、たった1つを除いて、残りの数多の学校やチームは負けて、この夏を終えたのだ。最後に勝って終えられた人は、とても少ない。
私は高校生のとき、都立高のテニス部にいた。そして、高3の夏に、引退試合となる団体戦トーナメントに出て、途中で負けた。
負けた選手たちは、まずは思い切り悔しがったらいいと思う。それだけの思いを持って、試合に賭けてきたのだから。目標に届かなかったのなら「がんばったからいい」ではないだろう。
周りへの感謝はその後でやってくるだろう。応援してくれる仲間の思いを感じ、「誰かのために」と思ってテニスができたのは、私の人生であの試合だけだ。
そして、強い思いを持った若い人たちが、その思いを十分に発揮できる場を作ってあげるのが、大人の役目だ。卒業して母校のコーチをしたり、大会運営を手伝ったりして、「場を用意してくれた人たちのありがたさ」に私が気づいたのは、随分先になってからであったが。
「人生は敗者復活」高校野球・仙台育英高校の須江監督の言葉は、引退する全ての3年生へのエールだ。試合に出られなかった者もいるだろう。まさかの一回戦負けということもあっただろう。
次のシーズンは別のステージに行く。もう1回、今度こそは勝者になりたいと思ってもいい。あるいは、勝負事から離れてもいい。人生は勝負事だけではない。
それでも、思い切り敗れた経験がある者は、強い気持ちとやさしい気持ちの、両方を得られたはずだ。
だからこの先で必ず、復活して活躍できる。
町田高校テニス部 元キャプテン 仲村 陽介
