気楽にブログ
Papa said
自分の子どもがどんな人になって欲しいか、何が大切だと伝えて育てるか、父親として語れるようになっておきたい。
「わんぱくでもいい、たくましく育って欲しい」
自分が子供の頃に見た、ハムのCMを思い出す。確かに、ある程度の「たくましさ」は必要だと思う。
最近、ネガティブ・ケイパビリティ(negative capabirity)という言葉を知った。無理やりポジティブに捉えなくても、ネガティブなままで受け入れ、それに負けないで踏み留まれる力だと理解している。
「ダメだったな」「不運だったな」でも、「まあ、これくらい大丈夫だ」と言える強さだ。
これがポジティブ・シンキングだと、「実は良かった。むしろラッキーだった」となる。それはそれで、有効なときもあるだろう。だが、自分が感じたことというのは、なかなか上手く書き換えられないこともある。誤魔化せないときがある。そんなときは、負を負のまま受容できることが必要だろう。
というわけで、子どもには辛さや悲しみも人生の1部として、まずはそのまま感じて欲しいと思う。無理に対抗しなくても、心に嘘をつかなくても、ギリギリで受け止めたなら、きっとリカバリーできるだろう。もちろんcapabirityだから限界があるし、許容量を越えたら次の手が必要だが。
いきなりネガをポジに変換・逆転など、できはしない。たくましさとは、負の感情を大切に出来ることだ。そしてそれは、やさしさにつながると思っている。
たまには気楽に真面目時間
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靴は自分で履きますので
皆さんこんにちは!気楽に屋のサン仲村です。過去に書いた「気楽に子育て」のエッセイをご紹介します。子育てはなかなか気楽にとはいかないですねー。
子育てをしていると見聞きすることに「魔の2歳」「天使の4歳」というものがある。うちの下の娘が4歳半だが、なるほど、天使というのも頷ける。「ママいつもありがとうって、お手紙書いているの。」と、見事に左右反対の鏡文字で「も」を書いている様子は、愛らしいことこの上ない。
そんな彼女も2歳のときは、お風呂上がりにオムツを投げて走り回ったり、夜に寝付けないで暴れたり、それなりに大変であった。私はヨシタケシンスケさんの「パパとママが怒るのは、君が悪いんじゃなくて、パパやママの機嫌が悪いだけかもしれないよ」を都度思い出し、なるべく平穏に接しようと思っていたが、いかんせん人間力が足りなくて、イライラしてしまっていた。
時間と気持ちの余裕があるときは何とか「待てる」のだが、時間に追われるのが大人の悲しいところだ。私自身はモンテッソーリ教育の保育園に行っており、わりと自分のやりたいことをさせてもらっていたようだ。だから自分の子どもの「自分でやりたい」は、見守ってあげられると思っていた。しかし、実際は出かけなどに「早くしなさい!」と言ってしまっていた。とほほ。
だから街中でたまに、子どもに対しておっかないママさんを見ると、まあ仕方ないなと思う。「何もそんなに怒らんでも」と周りは思うかもしれないが、ママだって色んな子育ての知識はあるし、普段は穏やかな人なのだろう。おうちに帰ってひとり自己嫌悪してしまうのだろう。それにしても「魔」の2歳は言い過ぎだと言っておこう。もう2歳の子育てをしない予定なので、上から目線だが。だって、悪魔も邪魔もひどいでしょう。言うなら「ま!」の2歳かな。
あなたの暮らしに気楽時間
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緑い車に乗りたい
皆さんこんにちは!気楽に屋のサン仲村です。今回は、不定期連載「気楽に子育て」のエッセイです。
赤い車、青い車、白い車、そして緑い車。そう、緑い車とは言わない。今これをPCで書いているが、下に赤線が引かれて、訂正を促されている。緑い車、と言ったのは、うちの下の娘だ。私は微笑ましいな、と思い、「緑の、だよ」と訂正しようとした。でもなぜ、緑いとは、言わないのだろうか。赤い、青い、とくれば当然、緑い、ではないか。実は子どものほうが、法則性を理解して言葉を発しているのでなないか、と思う。
長女のときは5分を「ごぷん」と言っていた。3ぷん、4ぷん、とくれば、当然5ぷん、だろう。言葉を覚えるのは、聞いて真似して覚えるのもあるが、規則性から予測して言うことも、あるのかもしれない。言い間違えを大人は笑うが、子供のほうからすれば、おかしいのは大人の方だろう。茶い車も、赤色い車も、ピンクい車も、別に変じゃない。また下に赤線引かれたけど。
上の娘は小学生になって、もう5ぷんとは言わないし、10日を「とうか」とも読める。もっと間違えても楽しいのにな、とも思うが、間違うのが嫌いな年頃になってしまった。下の子はトランプが好きだが、9とQが「キュー」で同じなのが、納得いかないようだ。そうそう、納得いかないのも、大事よね。
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嫌がる子どもを3秒で保育園に行かせる方法
以前書いた「気楽に子育て」のエッセイです。
はじめに:嫌がる子どもを3秒で保育園に行かせる方法は、ありません。
「保育園行かない!」GW明けの朝、4歳の娘が泣き出した。困ったこまったどうしよう。
そんなとき私は、ネット情報やハウツー本に頼りたくなる。というか、頼っている。しかし、加えておすすめしたいのは「河合隼雄先生の本」だ。もう鬼籍に入られたが、元文化庁長官だ。スポーツ庁長官の室伏広治さんがとてつもないように、元文化庁長官もまた、とてつもない。知の超人であり、しかもわかりやすく教えてくれる。
河合先生は言う「子どもが学校へ行くようになるスイッチなどない」と。「何で学校行かないの?と聞いても、すぐに原因などわからない」と。
<スイッチを探しても>
例えば部屋の電気のスイッチを押したら、あかりがつく。あかりをつけたければ、スイッチを押せばいい。こんな感じで、子どもが保育園へ行ってくれるスイッチがあるのなら、押したい。なんならお金を払ってもいい。でも、そんなスイッチは「見えない」
<原因を探っても>
あかりがつかない。どうしてだろう。原因があるはずだ。調べてみる。電話して業者に聞いてみる。そして、これだという原因がわかる。こんな感じで、子どもが保育園に行かない原因が分かれば、知りたい。なんならお金を払ってもいい。でも、そんな原因は「聞いてもわからない」
どうしてこうなるのか。それは、子どもが機械や物ではなく人間だからですよ、と河合先生は言う。これは養老孟司先生の「子どもは自然です。コントロールなんてできない」にも通じる。対象の仕組みを理解し、指示で操作して思い通りに動かす。それはプログラミングでは有効なのかもしれないが、子育てではうまくいかないこともある。
<対象ではなく自分ごと>
子どもを「対象として」捉えているだけでは、不十分だ。ときには子どもと「一緒に」ならなくては。同じ円の中にいる。線は引かない。原因や対処法に飛びつくのではなく、そのときの子どもが感じている気持ちを丸ごと、自分事とする。つまり、一緒に泣くのだ。
子どもが困っていることに、親も一緒に困る。その共感が共鳴し、今度は親の困りごとにも共感してくれる。かもしれない。「パパもお仕事行かないと行けないんだよ」と泣いたなら、「いや、パパは仕事行きなよ」と、冷静になってくれる。かもしれない。
「子どもをコントロールなんてできない」「原因なんてすぐにわからない」
目の前の問題を解決できないので困るが、有識者の方が言うのだから、これらは「気楽ワード」と捉えたい。保育園や学校や会社に行きたくなくて、泣きたいときもあるでしょうと。
<操作できないし、原因もわかりませんが解決しました>
ひとしきり泣いたらケロッとして「今日何時お迎え?」なんて言いながら靴を履き出す娘。え、今までの何だったの?と思う。でも、嫌で泣いたのは本当だ。すぐには教えてくれないし、本人もわかっていないかもしれないが、「嫌だ」の気持ちがあることは、心に留めておきたい。
<同じ方法は通用しませんでした>
次の朝も娘が泣いたから、同じように私も泣いてみたら、余計に荒れた。解決策は再現性が高くなくては、標準化はしない。子育ては自然科学のようにはいきにくいと、よくわかった。必要なのはストーリーだ。日々の場面の積み重ねが、私と娘の大切な物語なのだ。解決するためにいるのではない。一緒にいるために、いるのだ。
「すみません、今日はお休みで。ええ、本人は元気です。明日は行けると思います」たぶん。
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