気楽にブログ

2023-07-18 11:53:00

すんだことはどうだって構わない 

岡潔を知り、初めて本を買ってみた。京大の数学者であり、森毅さんの本や、土井善晴さんも言及されていたので、気にはなっていた。それにしても、京大。河合隼雄先生も出身だし、良い先生が沢山関係している。最近だとコロナ禍で宮沢孝幸さんや、藤井聡さん、をネットで知り、新型コロナや日本社会に向き合うためのアドバイスを、お二人から得ている。全部鵜呑みも良くないとは思うが、大体において賛成できる。

 

岡潔の「春宵十話」は、数学で大切なのは「情緒」である。と、こうくる。もう、これだけで、おもしろい。私は数学者という人は、数式で表せること、論理的であることに重きを置き、人間の「よく分からなさ」がきらいなのかなと、考えている。しかし、実際は、森毅さんもそうだが、人間がやる学問であるから、まず人間が大切で、気持ちや教育のことに、とても関心が高いことが多い。

 

 私は情緒という言葉にあまり馴染みがないのだが、「気持ち」に近い意味だと考える。そして、とりわけ「風景」「景色」「経験」に影響を受けた気持ちのことだと捉えている。「異国情緒」という言葉くらいしか思いつかないが、そこには風景や空気感、文化が背景にあるように思う。自分がどんな風の中に身を置いてきたか、どんな地を歩いたかによって、自分が生み出せるものが変わる。彼らが創作、芸術に関心があるのも、数学が創作物の様相があるからかもしれない、と考えてみた。

 

 「学を楽しむ」「自然に従う」など、春宵十話に出てくる言葉は、今まで自分が読んできた本に合致していた。また一つ、指針となり拠り所となる本や人物に出あえて、嬉しい。あと、孫育てに悩んでいるのも、ちょっと微笑ましくて良かった。自然に育つのを見守りたいが、しつけも大事という、私と同じ悩みであった。

 

「試験がすんで郷里に帰ったが、不成績が気になってくよくよしていた。ところがある朝、庭を見ていると、白っぽくなった土の上に早春の日が当たって、春めいた気分があふれていた。これを見ているうちに、すんだことはどうだって構わない、と思い直し、ひどく嬉しくなったことを覚えている」岡潔『春宵十話』

 

周りの風景や、それに呼応した気持ちが、自分の生活を彩る。「春めいた気分があふれる」という言葉に、カミュのような詩的センスを感じる。

 

「桟橋に照りつける太陽、アラブ人の軽業師、それに陽光に打ち震える港。まるで僕がここで過ごす最後の冬のために、この国が贅をつくして華やいでいるかのようだ。今年の冬は特別だ。すべてが寒気と陽光に輝いている。青い寒気。」『カミュの手帖』

 

お2人のように季節の中で感じられれば、美や、詩や、数学を、もっと楽しめるかもしれない!そうだ、外に出よう。うう、今日はなんて日差しだ!内臓が溶けそうだ。だけども太陽よ、まずはこの私の気持ちを、そしてこの思いを、どうか焦がしておくれ!

 

なんて。

 

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