気楽にブログ
Let's go 2025
「のろまなこのオレも 少しずつだけれど学んできたよ まだまだ終わらない」
スピッツ ルキンフォー
去年の年始の自分のブログを読むと、なかなか頭でっかち気味、気合い空回り気味、の感がある。何とかして、自分の拠り所を固めたい感じだったのを思い出す。
あの頃は「理念・根拠・実際」のうちの理念と根拠が弱いから、実際がうまく行かないように思っていた。しかし、春からの訪問リハビリを始めたことによって、否応なく「実際」に多く時間を費やすことにより、理念や根拠を考える時間が減った。
そして、実際に身を置くことで、そこから理念や根拠を再確認したり、塗り直すことができた。もちろん「これで良いのか?」という迷いは今でもあるが、以前より揺れなくなったと感じる。
「私はこういう思いでやっとります」とか「施術や介入の根拠はこうです」とか、説明するのは、もちろん大切だ。それに加え「実際にどうなるのか」それを感じ取って頂くことが、そして、感じ取って頂いたことをこちらが感じ取ることが、仕事を進める上で更に大切だと思う。
訪問リハビリでの利用者さんとのやりとり、父親を看取ったこと、今までになかった実際が経験となり、気楽に屋での私の施術も変わったと思う。そしてそれは、リピーターの方が増えてきたことに、つながっているように感じる。
今年も引き続き本や動画から学びたい。そしてまた、実際からも多く学びたい。学びとは新しいことを取り入れることでもあり、また、今までのことを再確認することでもある。 実際とは、自分と相手との相互作用から生まれるものだ。
「相手のお役立ちができれば支持される」そう思う。そしてそれは、難しいことだ。だが、相手の気持ちに応えようとしながら、自分の思いを伝えることも続けたい。そしてそれが、ビジネスとして成り立つようにしたい。
今年1年で明確な結果が出ることだろう。なるべく、何かのせいにしないでやっていきたい。
手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)
輝く!気楽にブログ大賞2024
今年も「気楽にブログ」をお読み頂き、誠にありがとうございました。惜しくも「みうらじゅん賞」へのノミネートは逃しましたが、来年こそはと考えております。
というわけで、アクセス数と独断で選んだ2024年の気楽にブログ大賞を5つ発表します。未読のものがあれば、ぜひ気楽にお読み下さい。
・二重スリット実験と少子化問題に関する一考察 https://kirakuniya.jp/diary/103527
・誹謗中傷かっこ悪い https://kirakuniya.jp/diary/128524
・けがない https://kirakuniya.jp/diary/92324
・恋は水色 https://kirakuniya.jp/diary/100890
・楽観的 たまに https://kirakuniya.jp/diary/134659
☆気楽にブログ大賞2023はこちらから https://kirakuniya.jp/diary/89342
あなたの暮らしに気楽時間 手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)
数字、言葉、たましい
去年は暇もあり、自分の施術に根拠を持ちたかったので、サイエンスに立ち戻ってみた。その中で、科学のおもしろさと有用性に気づいた。また、社会学を始めとする自分の元々の興味分野の楽しさを、再確認した。と言っても読書したのは2割で、動画視聴が8割という感じだったが。
数字で比べることは理にかなうと思う。そして、言葉でしか表せないこともまた、大切にしていきたいと思う。その考えにプラスして、今年は「たましい」というものにも興味が出てきた。
例えば「いい感じ」を表すのには、「数字も、そして言葉でも足りない」と考える。体で、脳で、捉えているだけではなく、そこには「たましい」も、あるのではないか。
こんなことを書くと「スピリチュアル」ということになり、途端にインチキくさくなるかもしれない。だが、その分野までカバーできれば、数字にも言葉にもたましいにも親しめれば、きっとお客様への「お役たち」ができるように思う。
数字で根拠を示しても、言葉でいくら説明しても、実際に感じてもらえなければ、実際にお役たちできなければ、気楽に屋には通って頂けないだろう。そして、必要がないサービスであれば、それはビジネスとはならないだろうと思う。
河合隼雄先生にしても、数学から入ってきて「たましい」という言葉を使うのは、相当に葛藤があったと書いておられた。しかし、実際のクライエントのカウンセリングを通じて、物語、そして「たましい」の重要性を確認するようになったようだ。
私も、子どもの頃の新興宗教のニュースから受けた嫌悪感から、スピリチュアル系は敬遠してきた。しかし、玉石混交の中、ヒントや学びとなるものがあるように思う。ある程度の距離を保ちながら、バランスさせながら、自分の施術に生かしたいと考えている。
手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)
少しだけ信じてる
今年も世間では色々なことがあった。沢山の情報が溢れる中、何を信じて良いのか、何を支持して良いのか、益々判断が難しいように思う。
というわけで、今年のキーワードとして「不信」という言葉を取り上げたい。何ともネガティブで嫌だが、不信を考えることで「信じる」を取り戻し、その先の「安心・安寧」につなげていきたい。
象徴的な出来事が、兵庫県知事を巡る一連の騒動だろう。それぞれの主張が異なる中で、「誰の、どの言葉を信じるのか」は、難しいものであった。新聞やワイドショーなどのメディアが正しいのか、それともネット内の情報が正しいのか、はたまた真実は他にあるのか、判断しかねる状況だった。
その他にも司法、政治、個人のスキャンダルまで、多方面で不信が広がっていったように思う。自分と直接関係のないことならまだいいが、自分が判断しなければいけない場面も出てくるだろう。
そのときに果たして、「判断するために何を信じるか」確固たるものがあるだろうか。
その問いに対しては、こう答えたい。
「そもそも丸ごと信じ切る必要はない」
100%の正しさも、100%の善いことも、なかなか無いと私は思う。何にせよ、どちらかが一方的に悪いということは、あまりないだろう。
そして、丸ごとを信じられなくても、選ぶ判断はできると思う。「(これに関しては)信じられる」「(今のところは)信じられる」くらいの感じで十分ではなかろうか。「信じる」を「支持する」と置き換えてもよい。
昔、ジョン・レノンが、神もビートルズも信じない。ヨーコと自分のみを信じる。と歌った。私はこれにあまり共感できない。
全面的に信じるには、信仰が必要だと思う。今の私には、その対象がない。だから、自分への自信ももちろんない。不安だ。
だが、「丸ごとではない部分的な信頼」ということであれば、それはある。常に「かもしれない」の可能性は否定できない。それでも、理屈と直感を頼りに、「部分的に沢山を」信じていきたい。自分のことも。世界のことも。
そうすれば少なくとも「もう何も信じられない!」と嘆くことは、防げるかなと思う。そして、少しは安心できたらいいと思う。まあ、間違えることはあるでしょうが。
手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)
転職するならリク
気楽に屋が広告とコンサルでお世話になっている営業の方と、町田の居酒屋で早めの忘年会をしてきた。
20代の彼は公務員(の中でもお固い職種)から一般企業の営業職(の中でも先鋭集団)に転職した経歴があり、話を聞くのがとてもおもしろかった。
皆さんに「何で転職したのですか?」とよく聞かれるという彼の決断の理由は
「年功序列ではない評価制度で自分を試したい」「皆さんに直接のお役立ちをしたい」というものだった。
「でも、ノルマというか売上げを気にして働くのはキツくないですか?」と私は聞いてみた。それに対し、彼は
「お役立ちの対価がお金です。だから良い仕事をして沢山稼ぎたい」と答えてくれた。
「儲け主義とは言いますけど、良いことをしないと長期で売上を上げることはできません」とも言っていた。
これは以前、このブログに書いた「エシカル資本主義」だなと思い、私はいたく感じ入った。
人々の役に立つ、良い製品や善いサービス、だからこそ売れる。その考え方は、私を勇気づけるものだった。
「人の役に立つのは難しい だから売れるのも難しい」私は納得して店を出た。
気楽に屋は去年よりは売上が上がったが、正直儲かってはいない。つい、言い訳したくなるが、「皆様へのお役立ちが足りないのだな」と、帰りがけにちょっと自戒した。
手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)