気楽にブログ
権威の失墜
「オレの話を聞け 5分だけでもいい」クレイジー・ケン・バンド
権威の失墜が起こっている。偉そうにしていた支配者たちが去っていく。誰も言うことを聞かない。校長先生の話は短くなり、SNSでは揚げ足取り合戦だ。
いやー、恐ろしいと思う。私も、若い頃は大人や権威あるものたちに対し反抗心があり、パンクやリベラルを気取っていた。「常識や権威を疑え」という社会学の基本姿勢も好きだった。
今でも、それらは私の根幹にはあり、「偉そうな押し付け」は嫌いだし、無批判に従うのは良しとしない。物理学者のファインマンと共に言うなら「destruct experts(専門家を蹴散らせ!)」だ。
だがしかしである。おっさんが進んだのもあり、最近は「伝統」や「慣習」、「畏れ」や「敬い」なども大事だと感じるようになった。権威が失墜した世の中は、端的に嫌だ。
「王様は裸だ」と指摘するのは、子どもの役目だ。そして、その裸の王様に服を着せるのが、大人の役目だと思う。
完璧な大人、完璧は指導者、完璧な権威などない。部分的には「裸(自分で気づいていない欠陥)」がある。
それを見て見ぬふりをするのではなく、それを指摘してバカにするのではなく、うまく服を着せ、王様の役目を果たしてもらうのが、必要ではなかろうか。
権威は権威で役割があると思う。世の中が、ある程度うまく行くために。伝統や慣習もそうだ。また、畏れや敬いが、調和に寄与している部分もあるだろう。それらは洗脳や押し付けではなく、昔からあり、受け継いできた知恵のはずだ。
反抗、批判、より良くなるために必要だろう。だが一方で、調和や平衡のための「ほどよい権威の構築」も、必要だと考える。我々が共同体として、この先も共に生きていくのならば。
先祖、天皇、先生、父親、大人、それらの権威を取り戻すのだ!よし、差し当たっての自分の役目は、父親としての権威を高めることだ!
「おーい、かあさん、ビールもう一本!は、自分で取りに行きます」
手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)
整体の功罪とは
制度でも、産業でも、人間が作り出したものに「八方良し」を求めるのは、なかなか難しいと思う。
例えば「入試制度」「税制度」や「自動車産業」「放送・通信業」などについて、必要性は十分に理解が得られる。しかし、過剰、つまり「いきすぎ、やりすぎ」になると、「入試制度の問題」「自動車産業の問題」という感じで、厄介事もまた生まれる。
世のため、人のため、となることから始まったものも、両手を上げて称賛できるものは、なかなかない。加熱しすぎた入試、増えすぎた車、それらが生み出した負について、一言ある方も多いだろう。
そんなわけで、何かについてその負の側面を指摘するのは、割とたやすい。だが、大人ともなれば、それよりもう一歩先に進めてかっこつけたい。
そんなときに便利な言葉が
「功罪あるからね」だ。
ただ一方的に批判を加えるのではなく、良い面や恩恵にも目を向ける。「消費税が悪いって言うけど、まあ功罪あるからね」という感じだ。
そう言われると「何?消費税が諸悪の根源だと思っていたが、良いところもあるのか?」と考えるようになり、議論が深まる。かもしれない。
また、マスメディアや芸能が叩かれやすい昨今だが、「功罪あるからね」と言えば、それらから受けてきた恩恵を、思い出すこともできる。かもしれない。
というわけで、物知り顔で「まあ、功罪あるからね」を言っておくと、一方的な意見とならず、嫌われにくくもなるし、なんと言うか無難だ。
賛成なのか反対なのかはっきりしない、ずるい態度。ヒートアップしている相手から視線を逸らし、遠い目をして言うのがポイントだ。
手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)
Let's go 2025
「のろまなこのオレも 少しずつだけれど学んできたよ まだまだ終わらない」
スピッツ ルキンフォー
去年の年始の自分のブログを読むと、なかなか頭でっかち気味、気合い空回り気味、の感がある。何とかして、自分の拠り所を固めたい感じだったのを思い出す。
あの頃は「理念・根拠・実際」のうちの理念と根拠が弱いから、実際がうまく行かないように思っていた。しかし、春からの訪問リハビリを始めたことによって、否応なく「実際」に多く時間を費やすことにより、理念や根拠を考える時間が減った。
そして、実際に身を置くことで、そこから理念や根拠を再確認したり、塗り直すことができた。もちろん「これで良いのか?」という迷いは今でもあるが、以前より揺れなくなったと感じる。
「私はこういう思いでやっとります」とか「施術や介入の根拠はこうです」とか、説明するのは、もちろん大切だ。それに加え「実際にどうなるのか」それを感じ取って頂くことが、そして、感じ取って頂いたことをこちらが感じ取ることが、仕事を進める上で更に大切だと思う。
訪問リハビリでの利用者さんとのやりとり、父親を看取ったこと、今までになかった実際が経験となり、気楽に屋での私の施術も変わったと思う。そしてそれは、リピーターの方が増えてきたことに、つながっているように感じる。
今年も引き続き本や動画から学びたい。そしてまた、実際からも多く学びたい。学びとは新しいことを取り入れることでもあり、また、今までのことを再確認することでもある。 実際とは、自分と相手との相互作用から生まれるものだ。
「相手のお役立ちができれば支持される」そう思う。そしてそれは、難しいことだ。だが、相手の気持ちに応えようとしながら、自分の思いを伝えることも続けたい。そしてそれが、ビジネスとして成り立つようにしたい。
今年1年で明確な結果が出ることだろう。なるべく、何かのせいにしないでやっていきたい。
手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)
輝く!気楽にブログ大賞2024
今年も「気楽にブログ」をお読み頂き、誠にありがとうございました。惜しくも「みうらじゅん賞」へのノミネートは逃しましたが、来年こそはと考えております。
というわけで、アクセス数と独断で選んだ2024年の気楽にブログ大賞を5つ発表します。未読のものがあれば、ぜひ気楽にお読み下さい。
・二重スリット実験と少子化問題に関する一考察 https://kirakuniya.jp/diary/103527
・誹謗中傷かっこ悪い https://kirakuniya.jp/diary/128524
・けがない https://kirakuniya.jp/diary/92324
・恋は水色 https://kirakuniya.jp/diary/100890
・楽観的 たまに https://kirakuniya.jp/diary/134659
☆気楽にブログ大賞2023はこちらから https://kirakuniya.jp/diary/89342
あなたの暮らしに気楽時間 手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)
数字、言葉、たましい
去年は暇もあり、自分の施術に根拠を持ちたかったので、サイエンスに立ち戻ってみた。その中で、科学のおもしろさと有用性に気づいた。また、社会学を始めとする自分の元々の興味分野の楽しさを、再確認した。と言っても読書したのは2割で、動画視聴が8割という感じだったが。
数字で比べることは理にかなうと思う。そして、言葉でしか表せないこともまた、大切にしていきたいと思う。その考えにプラスして、今年は「たましい」というものにも興味が出てきた。
例えば「いい感じ」を表すのには、「数字も、そして言葉でも足りない」と考える。体で、脳で、捉えているだけではなく、そこには「たましい」も、あるのではないか。
こんなことを書くと「スピリチュアル」ということになり、途端にインチキくさくなるかもしれない。だが、その分野までカバーできれば、数字にも言葉にもたましいにも親しめれば、きっとお客様への「お役たち」ができるように思う。
数字で根拠を示しても、言葉でいくら説明しても、実際に感じてもらえなければ、実際にお役たちできなければ、気楽に屋には通って頂けないだろう。そして、必要がないサービスであれば、それはビジネスとはならないだろうと思う。
河合隼雄先生にしても、数学から入ってきて「たましい」という言葉を使うのは、相当に葛藤があったと書いておられた。しかし、実際のクライエントのカウンセリングを通じて、物語、そして「たましい」の重要性を確認するようになったようだ。
私も、子どもの頃の新興宗教のニュースから受けた嫌悪感から、スピリチュアル系は敬遠してきた。しかし、玉石混交の中、ヒントや学びとなるものがあるように思う。ある程度の距離を保ちながら、バランスさせながら、自分の施術に生かしたいと考えている。
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