気楽にブログ
自由意志はあるのか
「自分の人生を生きる」ということは、自分で選択し、決定していくことの連続だろう。
この「自分で決めること」を、私は子どもの頃から大事にしてきた。
もちろん、しなくてはならないことや、守らなくてはいけないルールはあったが、自分で決めて良いことに関しては、周りの人の意見に合わせることよりも、自分の気持ちを優先してきた。
この、自分で決めることこそが、自分が自分であることの証であるし、その選択の結果で被ることにも、納得して受け入れられた。
だから、「自由意志(free will)」というものは確かに存在し、揺るぎない自分固有のものだと思っていた。
だが、どうやらこの「自由意志」というのは不確かなものらしい。自分で決めたと思っていても、その選択には、無意識が影響しているようだ。そして、そのときの体調や環境にも影響を受けるのだと聞く。
まず動機があって、次に行動があるものだと、私はずっと考えていた。だが、例えば咄嗟のことなど、行動の理由を説明できないこともあるように思う。
それは反射のような、意識を介さない行動だけでなく、継続的な計画的な行動に関してもそうなのだろうか?だが、それだと「私は意図してやっていません。何でしたのかわかりません」という居直りになりはしないか。
脳の機能や遺伝子やホルモン次第で、自分の行動が変わりうるとしても、特に継続している行動には「私の意志」があると思いたい。理由は後付けだとしても「これは私が自由に選択したのだ」と言いたいと思う。まあ、決めておいて後悔もよくするのだけど。
整体サロン 気楽に屋(KIRAKUNIYA)
楽観的 たまに
ロスジェネ。失われた30年。時代に恵まれなかったなー、おれたち。
なーんて言ってたら、他の時代や他の国の人に怒られちゃうんじゃないの?
確かに政策が失敗したせいもあったり、これからの政治は、庶民の暮らしに良いようにして欲しいけど。
それとは別に、楽しいことや嬉しいことは、充分に周りにあったから。安心・安全の中で、わりと自分の好きなようにできたから。
努力次第でも、運次第でもある。それでいいと思う。
考えたり、感じたりできれば、それでいいと思う。
今くらいの世界で、もうしばらく続けばいいじゃないか。
恐竜が繁栄していた期間は、1億6000万年間なんだってさ。ならせめて、そのくらいの間は、人間も楽しく過ごせるはずだよね。
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If you ever change your mind
「心変わりの相手は僕に決めなよ」今夜はブギーバック
前回は好きな食べ物について書いた。今回は苦手な食べ物について書こうと思う。
私が子どもの頃に苦手だった食べ物は「いかの塩辛とアボカド」の2つだ。
どちらも濃厚な感じが、どうにも苦手だった。だが、大人になってお酒を飲みだしてから再度トライしてみたら、「あれ、おいしいかも」となった。
そう、どうやら大人になると味覚は変わるようだ。反対に子どもの頃に好きだったお菓子、例えば「コアラのマーチ」を今食べても、それほど美味しいと思わないようになってしまった。
人間の細胞は数カ月で入れ替わるという話も聞くので、体が変わるとともに「好みも変わる」ということなのかもしれない。
では、例えば音楽はどうだろう。私はビートルズの「サージェントペバー〜」がどうにも苦手で、途中の曲を飛ばして「a day in the life」だけ聴いていたが、最近は通しで聴けるようになってきた。ビーチボーイズの「ペットサウンズ」は今でもあまり良さが分からないのだが。
では映画はどうか?本はどうか?などやっていくと際限なくなるのでやめておくが、前に好きではなかったものが好きになったり、その逆もある。
というわけで、一回断られたくらいで諦めてはだめだ。向こうの好みだって変わるかもしれないのだから。数カ月したらまたアタックチャンスだ。健闘を祈る。
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はちみつ食べに行こうよ
自己紹介をするとき、またはどんな人かを知りたいとき、「何が好きか?」というのは、どんな人かを表すのに、とっかかりとしての役目を果たす。
例えば、私の子どもが行っている保育園で「お誕生日会」というものがあり、その会の中でインタビューの時間があるのだが、そこでは「〜ちゃんの好きな動物は何ですか?」とか、「〜くんの好きな色は何ですか?」と聞くのだそうだ。
大人になれば「パンダが好きです」とか「群青色が好きです」とかの情報は、あまり重要ではないかもしれない。だが、「好きな歌手」や「好きな映画」もしくは「好きな戦国武将」あたりを聞けば、「ははあなるほど、このような人かも知れないな」ということを、推測することができる。
そして、大人でも子どもでも共通して盛り上がるのは「好きな食べ物は何か?」だろう。「ラーメン」でも「カレー」でも、または「お菓子」でも、「私も好きです。おいしいですよねー」とか「おすすめあります?」という具合で仲良くなれたりする。子どもでも、給食で「〜くんの好きなぶどうだね。私の少しあげるよ」などと、微笑ましい光景があるかもしれない。
というわけで、自分が何が好きなのか、特に食べ物で何が好きなのかは、よく把握しておく必要がある。それを伝えることによって、相手との距離が近づくかもしれないからだ。
そう、婚活だって有利に進めることができる。困ったら食べ物の話。これが王道だ。そして共通したものがあれば、一緒に食べに行く、というデートにつなげていける。
しかし、いい大人が「好きな食べ物はカレーです」では、浅い。カレーの種類にも色々あるし、お店もたくさんあるし、おいしく食べられる時間もそれぞれ違う。
「自分、カレーは早朝に食べるのが好きで。具材はじゃがいもが必須。豆が入っているのはちょっと。最初にルーだけ1/3食べる派かな」
くらいは語れるようになりたい。なんせ好きな食べ物なのだから。
あとは女子はあいつら大体スイーツが大好きだから、その辺りも押さえておこう。
「おれはさ、クリームブリュレ。の上のカラメル。を、パキッとこう、スプーンで割って舌で溶かすの。そんでそれから、おもむろにクリームかき込み。カラメルが思いの外とがってて、口の中で刺さったりするけど、別に気にしないね。」
とりあえずこれくらいは語れるように準備はしておけ。健闘を祈る。
あなたの暮らしに気楽時間
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エシカル始めました
前回は突然ethicalと書いて、「お、さてはおぬし、人文系の本を読んでいるのか?」と思わせてみた。が、実はたまたまyou tubeで哲学者マルクス・ガブリエルのインタビュー(字幕あり)を観ただけで、いつもの知ったかぶりぶりであることを、白状しておこう。
インタビューの中で彼は「ethical captitalism(倫理資本主義)」について語っていた。彼によれば、倫理を重視した企業が、これからビジネスで成功していくことになるという。
以前から企業体には社会的責任というものが課され、例えば「環境に優しい」つまり「エコである」ことは、消費者から他社より選ばれ、結果として利益が上がるという流れがある。
このエコ重視がエシカル重視に拡大されていくことで、資本主義は搾取や格差という現存する問題を、改善することができるのだろうか。
そういえば、環境破壊を進めるような企業や産業に対し、消費者が不買運動を起こすように、低賃金労働など、不当な搾取をしている企業にも、不買運動が起こっていると聞く。
人々がエシカルであることに価値を見出し、企業はエシカルであることを目指すとするなら、閉塞感漂う資本主義にも、ハッピーな未来があるかもしれない。どこかのスローガンのように「やっているフリ」や「結局は儲け主義」にならないか、という懸念もあるが。
あと、インタビュアーが「エシカルかどうかの基準はあるのか」とか「エシカルでない場合はペナルティを課すべきか」など、質問していた。それに対してマルクス・ガブリエルは、誰もが納得するような倫理(善きこと)というのは存在し、そうでないものは淘汰されると語っていた。
このあたり、随分と楽観的だな、と私は感じたが、略奪・拷問・差別の歴史を紐解けば、世界全体の倫理は、良い方へと向かっているのだろう。
というわけで、気楽に屋としても他を出し抜くため「エシカル整体」を、いち早く掲げていこうと思う。「差別をしない、搾取をしない、高い回数券を売りつけない整体サロン」おお、これはとてもエシカルだ。きっと時代の流れに乗って、選ばれて行くに違いない。大儲けだうっしっし。
という、動機が不純で行動が善の場合は、はたしてエシカルなのだろうか。教えてガブリエル。
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