気楽にブログ

2026-04-04 16:26:00

靴は自分で履きますので

子育てをしていると見聞きすることに「魔の2歳」「天使の4歳」というものがある。うちの下の娘が4歳半だが、なるほど、天使というのも頷ける。「ママいつもありがとうって、お手紙書いているの。」と、見事に左右反対の鏡文字で「も」を書いている様子は、愛らしいことこの上ない。

 

そんな彼女も2歳のときは、お風呂上がりにオムツを投げて走り回ったり、夜に寝付けないで暴れたり、それなりに大変であった。私はヨシタケシンスケさんの「パパとママが怒るのは、君が悪いんじゃなくて、パパやママの機嫌が悪いだけかもしれないよ」を都度思い出し、なるべく平穏に接しようと思っていたが、いかんせん人間力が足りなくて、イライラしてしまっていた。

 

時間と気持ちの余裕があるときは何とか「待てる」のだが、時間に追われるのが大人の悲しいところだ。私自身はモンテッソーリ教育の保育園に行っており、わりと自分のやりたいことをさせてもらっていたようだ。だから自分の子どもの「自分でやりたい」は、見守ってあげられると思っていた。しかし、実際は出かけなどに「早くしなさい!」と言ってしまっていた。とほほ。

 

だから街中でたまに、子どもに対しておっかないママさんを見ると、まあ仕方ないなと思う。「何もそんなに怒らんでも」と周りは思うかもしれないが、ママだって色んな子育ての知識はあるし、普段は穏やかな人なのだろう。おうちに帰ってひとり自己嫌悪してしまうのだろう。

 

それにしても「魔」の2歳は言い過ぎだと言っておこう。もう2歳の子育てをしない予定なので、上から目線だが。だって、悪魔も邪魔もひどいでしょう。言うなら「ま!」の2歳かな。



手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)

2026-04-04 16:24:00

緑い車に乗りたい

皆さんこんにちは!気楽に屋のサン仲村です。今回は、不定期連載「気楽に子育て」のエッセイです。

 

赤い車、青い車、白い車、そして緑い車。そう、緑い車とは言わない。今これをPCで書いているが、下に赤線が引かれて、訂正を促されている。緑い車、と言ったのは、うちの下の娘だ。私は微笑ましいな、と思い、「緑の、だよ」と訂正しようとした。でもなぜ、緑いとは、言わないのだろうか。赤い、青い、とくれば当然、緑い、ではないか。実は子どものほうが、法則性を理解して言葉を発しているのでなないか、と思う。

 

長女のときは5分を「ごぷん」と言っていた。3ぷん、4ぷん、とくれば、当然5ぷん、だろう。言葉を覚えるのは、聞いて真似して覚えるのもあるが、規則性から予測して言うことも、あるのかもしれない。言い間違えを大人は笑うが、子供のほうからすれば、おかしいのは大人の方だろう。茶い車も、赤色い車も、ピンクい車も、別に変じゃない。また下に赤線引かれたけど。

ブログ画像

上の娘は小学生になって、もう5ぷんとは言わないし、10日を「とうか」とも読める。もっと間違えても楽しいのにな、とも思うが、間違うのが嫌いな年頃になってしまった。下の子はトランプが好きだが、9とQが「キュー」で同じなのが、納得いかないようだ。そうそう、納得いかないのも、大事よね。



あなたの暮らしに気楽時間

 

手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)

2026-04-04 16:19:00

嫌がる子どもを3秒で保育園に行かせる方法

以前書いた「気楽に子育て」のエッセイです。

 

はじめに:嫌がる子どもを3秒で保育園に行かせる方法は、ありません。

 

「保育園行かない!」GW明けの朝、4歳の娘が泣き出した。困ったこまったどうしよう。

 

そんなとき私は、ネット情報やハウツー本に頼りたくなる。というか、頼っている。しかし、加えておすすめしたいのは「河合隼雄先生の本」だ。もう鬼籍に入られたが、元文化庁長官だ。スポーツ庁長官の室伏広治さんがとてつもないように、元文化庁長官もまた、とてつもない。知の超人であり、しかもわかりやすく教えてくれる。

 

河合先生は言う「子どもが学校へ行くようになるスイッチなどない」と。「何で学校行かないの?と聞いても、すぐに原因などわからない」と。

 

<スイッチを探しても>

例えば部屋の電気のスイッチを押したら、あかりがつく。あかりをつけたければ、スイッチを押せばいい。こんな感じで、子どもが保育園へ行ってくれるスイッチがあるのなら、押したい。なんならお金を払ってもいい。でも、そんなスイッチは「見えない」

 

<原因を探っても>

あかりがつかない。どうしてだろう。原因があるはずだ。調べてみる。電話して業者に聞いてみる。そして、これだという原因がわかる。こんな感じで、子どもが保育園に行かない原因が分かれば、知りたい。なんならお金を払ってもいい。でも、そんな原因は「聞いてもわからない」

 

どうしてこうなるのか。それは、子どもが機械や物ではなく人間だからですよ、と河合先生は言う。これは養老孟司先生の「子どもは自然です。コントロールなんてできない」にも通じる。対象の仕組みを理解し、指示で操作して思い通りに動かす。それはプログラミングでは有効なのかもしれないが、子育てではうまくいかないこともある。

 

<対象ではなく自分ごと>

子どもを「対象として」捉えているだけでは、不十分だ。ときには子どもと「一緒に」ならなくては。同じ円の中にいる。線は引かない。原因や対処法に飛びつくのではなく、そのときの子どもが感じている気持ちを丸ごと、自分事とする。つまり、一緒に泣くのだ。

 

子どもが困っていることに、親も一緒に困る。その共感が共鳴し、今度は親の困りごとにも共感してくれる。かもしれない。「パパもお仕事行かないと行けないんだよ」と泣いたなら、「いや、パパは仕事行きなよ」と、冷静になってくれる。かもしれない。

 

「子どもをコントロールなんてできない」「原因なんてすぐにわからない」

 

目の前の問題を解決できないので困るが、有識者の方が言うのだから、これらは「気楽ワード」と捉えたい。保育園や学校や会社に行きたくなくて、泣きたいときもあるでしょうと。

 

<操作できないし、原因もわかりませんが解決しました>

ひとしきり泣いたらケロッとして「今日何時お迎え?」なんて言いながら靴を履き出す娘。え、今までの何だったの?と思う。でも、嫌で泣いたのは本当だ。すぐには教えてくれないし、本人もわかっていないかもしれないが、「嫌だ」の気持ちがあることは、心に留めておきたい。

 

<同じ方法は通用しませんでした>

次の朝も娘が泣いたから、同じように私も泣いてみたら、余計に荒れた。解決策は再現性が高くなくては、標準化はしない。子育ては自然科学のようにはいきにくいと、よくわかった。必要なのはストーリーだ。日々の場面の積み重ねが、私と娘の大切な物語なのだ。解決するためにいるのではない。一緒にいるために、いるのだ。

 

「すみません、今日はお休みで。ええ、本人は元気です。明日は行けると思います」たぶん。

あなたの暮らしに気楽時間

 

手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)

2026-04-04 16:18:00

4月になれば彼女は

The autumn winds blow chilly and cold

秋風が、ひやりと冷たく吹きつける 

「4月になれば彼女は」サイモン&ガーファンクル

 

20年前、サン仲村の昔話。

 

その頃私は、北里大学理学療法学専攻の学生だった。北里の理学療法学に入るのは難しく、偏差値も志も高い人が集まっていた。私は社会人入試という裏技を使い、入学していた。社会人入試は論文と面接で良いので、私のような者が紛れ込んでしまうのだ。私の代から少し経って、社会人入試の枠が減ったのだが、それが誰のせいなのかは言わないでおこう。

 

時折書いた通り、私は理系の科目がからきし苦手であったので、運よく入学したものの、授業には苦労した。理学療法学というのは医療系の学部であり、つまり医学を学ぶ。医学はサイエンスがベースなので、数学や統計学の授業があり、はっきり言ってついていけなかった。

 

そして、生理学の実習でカエルを使って神経伝達を調べるのも、子豚の解剖をするのも、楽しくはなかった。解剖の絵を描くのも嫌で、スケッチ帳にネッターという解剖学者の似顔絵を書いていた。

 

年下の同級生たちは皆「この人は何をしに来ているのだろうか」と思っていたことだろう。「人に必要とされる仕事につきたい」という、甘く身勝手な考えのみで入学した私は、「必要に応えられるだけの力を得る大変さ」を、思い知っていたのであった。

 

そのときに付き合っていた彼女は、同じ大学の薬学部で、学年は上だがもちろん年下であった。彼女はいつも忙しく、あまり会えなかったが「やせる薬が作りたくて薬学部に入ったの」というところがおもしろくて、好きだった。

 

そのうちに彼女が先に実習に行くことになった。医療系の実習は「バイトも遊びもやめてそれのみに注力すべし」というところがあり、彼女も余計に忙しくなり、更に会えなくなった。私の感覚だと10分お茶するだけなら会えるんじゃないか、と思ったのだが答えはノーで、とにかく実習が終わるのを私は待っていた。

 

そしてようやく、次の実習が始まるまでの合間に会えたが、彼女はとても疲れていた。私は自分が年上であることから、知ったかぶりで色々とアドバイスをした。だが彼女は「そうね」と言うばかりで、自分で解決しようとしていた。

 

そんな日々が続き、これから彼女が4月に就職しても、これが続くだろうと私は考えた。つまり、色々が彼女のペースに合わせて進んでいき、あまり会えず、自分の助言は聞いてもらえないのではないか、と。今思えば、いかようにも修復できたと思うが、私にはその余裕がなかった。私から別れを告げた。

 

彼女は悲しんだ。別れたくない気持ちがあったのを知り、私はひどく後悔した。だが、もう手遅れだった。人を悲しませてしまったつらさが重くのしかかり、一人ではいられなくなった。

 

耐えきれず街に出て雑踏を歩き、友達のシンちゃんがバイトをしていた、パチンコ屋に行った。汗をかいて忙しくしている彼が、私に気がついた。メールで顛末は知らせていたが、行くとは言っていなかった。

 

彼は仕事の合間に来てくれて、一言「きついよねー」と言って、そしてすぐ仕事に戻っていった。

 

人を悲しませてしまうことがあんなにつらいと、あのときに初めて知った。シンちゃんは、別れた辛さと相手を悲しませた辛さの両方を、知っていたのだろう。言ってくれた一言が、うるさいパチンコ台の音を分け、私の心にいつまでも留まった。外に出ると、秋風が冬の冷たさに、変わり始めていた。

手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)

2026-04-04 16:12:00

謝恩会なら良いのか

「それともそうじゃないのか? ネクタイなんてしめなくていい!」

若さのイメージ 谷川俊太郎

 

卒業式シーズンですね。下の娘が保育園の卒園式を控え、家でも彼女は、式で歌う合唱の練習をしています。私は傍らで聞きながら、これは本番は「うるうる」だな、と、今から感動の式が楽しみです。

 

そう、「~式」は親にとっても大事なもの。少しの緊張感、締まった感じもまた、良いものです。

 

ええ、ですから、間違っても「コスプレ」で式に参加するのはやめましょう。アート系の学校ならOKかもしれませんが。。

 

以下、回想。

 

97年度の都立M高校の卒業式、例年と変わらないごく普通の式になるはずだった。だがしかし。そこに、不届き者ありけり。

 

大学受験を終えた僕は、卒業式までもう少しという頃、友達とウダウダと過ごしていた。受験は受かったものの、高校3年生という貴重な青春時代の後半を、受験勉強に取られた気がして、二人で憤っていた。

 

「なーんか、高校生活の最後の方はつまらなかったな。・・じゃあさ、卒業式、ふざけちゃおうぜ!」「はい来た!よろこんで!」

 

1人ではやらなかっただろう。しかし、若いバカが2人で動き出すと、もう止まらない。速度の二乗に比例してバカさが増えていく。早速、町田の東急ハンズへ行き、僕は宴会用で売られていた「エルビス・プレスリー」の、白いヒラヒラのついた服を買った。ついでにサングラスとモミアゲも買い、下のズボンは買えなかったので、テニスの白い短パンを履くことにした。

 

前日に担任の先生が「明日は卒業式です。まあ、好きな服装で」と言ったのを、僕はしっかりと聞いた。そう、もともとM高は私服だった。校則が少ない、自由な校風が特長の高校だった。制服がないので、例年の卒業生は殆どがスーツ、袴が少し、という感じだった。

 

先生も「好きな服装で」と、言ったしな。。よし。「自由こそM高校の良さなのだ!それを示すのだ!」「伝統・常識にとらわれるな!」「個性を発揮するのだ!」と、僕はリベラリスト気取りにもなっていた。ただ単にふざけているのではない。思想があるのだ、と。

 

3年間「自由とわがままは違います」「ときと立場にふさわしく」「私が、私が、ではなく、周りのことも考えるように」ということを何度も聞かされただろうに、そういった「公立の教え」が、僕には響かなかったようだ先生方ごめんなさい。

 

*エルビス・プレスリーで私が好きな曲は、「Always On My Mind」です。you tubeで聴けます。

 

当日は学校のトイレで着替え、わざと遅刻して教室に入った。サングラスをしているので、わりと恥ずかしくなかった。「きゃー」「陽ちゃん、うそー」という女子の嬌声が聞こえ、男子も「陽介、お前まじウケるわ」と喜んでくれた。担任の先生は苦笑いし、「仲村、その格好で出るのか?」と言ったが、それ以上は何も言ってこなかった。

 

卒業式では、ダンスなどのパフォーマンスはしなかった。式の進行を邪魔することは良くない、あくまで「好きな服装で参加した」ということを示したかった。あとは、全力で校歌を歌った。入場・退場のときに、後輩や保護者がざわざわし、「やってやったぜ」と、僕は思った。

 

とまあ、なかなかウケた。と思っているが、中には気分を害した親御さんもいらしたことだろう。ふざけてしまい、すみませんでした。謝恩会と間違えました。皆様の寛容さに感謝しています。

 

僕にはその後、お咎めはなかったが、1年後の卒業式のときは職員会議で問題視され、「式にふさわしい、良識ある服装で参加するように」と、生徒に伝えるようになったそうだ。「あんまりリベラルに寄ると、ああいうのが出るから気をつけましょう」と、言われたかどうかは聞いていないが。

 

「式には式にふさわしく」そりゃそうだ。「らしい、ふさわしい」は、高校生なら分かるでしょう。それを敢えてズラすから、おもしろい。でも、それは敬意を欠いているのです。大人になった今の私は、「公」も重んじる、保守的な考えも身につけました。安心してください。履いてますよ。

 

僕のように、自由の意味を勘違いした生徒がいたとして、先生たちは「それはふさわしくない」と言えば良いのだろう。いつでも若者はバカを発揮し、先生たちはそれに向きあって、諌めて欲しい。

 

 

というわけで学生のみなさんへ、エルビスより。

 

 

詩人の谷川俊太郎が言うように、若いのだから、いつもはネクタイなんてしめなくていい。でも式では、ネクタイをしっかりと締めるんだ。そして式が終ったら、そう緩めて。ここからは、パーティの時間だぜ。



あなたの暮らしに気楽時間

 

手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA) 

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 ...