気楽にブログ
Pain in my heart
ドジャースがヤンキースを4−1で下し、ワールドチャンピオンとなった。歓喜に包まれるドジャースナインの一方で、ヤンキースはつらい敗戦を受け止めていた。
「I’m heart broken」ヤンキースのブーン監督は、記者に気持ちを問われ、沈痛な面持ちでそう答えていた。ファイナルの2チームに残ったとしても、最後に負けてしまえば敗者となる残酷さが、スポーツにはある。
だが、このように勝者と敗者がはっきりと分かれることが、結果がもたらす感動を大きくするのだろう。勝ったほうは派手に喜び、負けたほうは打ちひしがれる。
ポイントは、来年もシーズンがあることだ。勝者もパーティが終われば、トロフィーは置いてゼロからゲームスタートだ。今日の勝者は明日の敗者、そしてその逆もある。
昔に比べ、勝利至上主義が非難されることも多くなった。勝てば何でもいいのか、負けには価値はないのか、問うきっかけとして良いと思う。その中で敗者に対する声かけや、敗者としての振る舞い方が、もっと見えて来てほしい。
例えばテニスの優勝スピーチでは、必ず優勝者が準優勝者に対し、勝ち上がってきたことを祝福し、敬意を示す。過酷な競争を勝ち抜く厳しさが分かるからこそ、対戦相手は競技仲間という認識なのかもしれない。
ブーン監督は「負けたことはつらいが、このシーズンを戦い抜いたチームを誇りに思う」と言っていた。負けて悔しい、つらい、足りなかった、と非難や卑下で終わらせるのではなく、達成できたことにも目を向ける。そんな態度もまた、豊かなスポーツ文化のためには必要ではないだろうか。
ところで、日本語でも英語でも、「心」が「心臓」のことを指すのはおもしろいと思う。そして、ハートが壊れてしまうほどの悲しみを感じることが、人生で2つ3つはあってもいいと思う。
整体サロン 気楽に屋(KIRAKUNIYA)
印象的な人
大リーグのワールドシリーズが始まり、ヤンキース対ドジャースということで、大変な盛り上がりを見せている。私も大谷翔平のファンとして、録画して観ている。家に帰る前に、うっかりYahooニュースで結果を見ないようにするのが大変だ。
ところで、選手や監督のインタビューや解説で、しばしば「impressive」という単語を見聞きする。そして「印象的」と翻訳されている。
だが、私は印象的という言葉が「人」に対して使われるのに、馴染みがない。印象的というのは、例えば「印象的な場面」のように、出来事について使われることが多いと思う。
英語では、人に対して印象的であるという形容をよく使うようだ。このあたり「感銘を受ける」という感じが近いのではないかな、と思っている。
と思っていたら、大谷選手がインタビューでアーロン・ジャッジ選手に関して「彼は印象的ですし、、」と日本語で答えていた。大谷選手は印象的と話せば、それが「impressive」と訳されること、その言い回しがよく使われることをよく知っているのだと思う。
なんというか、さすがだ。
そして、考えてみると、impressiveを印象的と訳すのはとてもうまいと思う。in(m)とpressということで、心の中に押し込められるような感じだし、象(イメージ)が刻印される感じとよく合っている。
心に刻まれる強烈な像。こう考えると印象的というのはなるほど、人を形容するのにも、使えそうな気がしてきた。
というわけで、インスタで「インプレッション」と出てきて何のことだかわからなくても「impression」と単語で見れば、意味が分かるということだ。まあ、私の投稿などは人々に感銘を与える、印象的なものとは程遠いのだが。
手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)
自由意志はあるのか
「自分の人生を生きる」ということは、自分で選択し、決定していくことの連続だろう。
この「自分で決めること」を、私は子どもの頃から大事にしてきた。
もちろん、しなくてはならないことや、守らなくてはいけないルールはあったが、自分で決めて良いことに関しては、周りの人の意見に合わせることよりも、自分の気持ちを優先してきた。
この、自分で決めることこそが、自分が自分であることの証であるし、その選択の結果で被ることにも、納得して受け入れられた。
だから、「自由意志(free will)」というものは確かに存在し、揺るぎない自分固有のものだと思っていた。
だが、どうやらこの「自由意志」というのは不確かなものらしい。自分で決めたと思っていても、その選択には、無意識が影響しているようだ。そして、そのときの体調や環境にも影響を受けるのだと聞く。
まず動機があって、次に行動があるものだと、私はずっと考えていた。だが、例えば咄嗟のことなど、行動の理由を説明できないこともあるように思う。
それは反射のような、意識を介さない行動だけでなく、継続的な計画的な行動に関してもそうなのだろうか?だが、それだと「私は意図してやっていません。何でしたのかわかりません」という居直りになりはしないか。
脳の機能や遺伝子やホルモン次第で、自分の行動が変わりうるとしても、特に継続している行動には「私の意志」があると思いたい。理由は後付けだとしても「これは私が自由に選択したのだ」と言いたいと思う。まあ、決めておいて後悔もよくするのだけど。
整体サロン 気楽に屋(KIRAKUNIYA)
楽観的 たまに
ロスジェネ。失われた30年。時代に恵まれなかったなー、おれたち。
なーんて言ってたら、他の時代や他の国の人に怒られちゃうんじゃないの?
確かに政策が失敗したせいもあったり、これからの政治は、庶民の暮らしに良いようにして欲しいけど。
それとは別に、楽しいことや嬉しいことは、充分に周りにあったから。安心・安全の中で、わりと自分の好きなようにできたから。
努力次第でも、運次第でもある。それでいいと思う。
考えたり、感じたりできれば、それでいいと思う。
今くらいの世界で、もうしばらく続けばいいじゃないか。
恐竜が繁栄していた期間は、1億6000万年間なんだってさ。ならせめて、そのくらいの間は、人間も楽しく過ごせるはずだよね。
整体サロン 気楽に屋(KIRAKUNIYA)
If you ever change your mind
「心変わりの相手は僕に決めなよ」今夜はブギーバック
前回は好きな食べ物について書いた。今回は苦手な食べ物について書こうと思う。
私が子どもの頃に苦手だった食べ物は「いかの塩辛とアボカド」の2つだ。
どちらも濃厚な感じが、どうにも苦手だった。だが、大人になってお酒を飲みだしてから再度トライしてみたら、「あれ、おいしいかも」となった。
そう、どうやら大人になると味覚は変わるようだ。反対に子どもの頃に好きだったお菓子、例えば「コアラのマーチ」を今食べても、それほど美味しいと思わないようになってしまった。
人間の細胞は数カ月で入れ替わるという話も聞くので、体が変わるとともに「好みも変わる」ということなのかもしれない。
では、例えば音楽はどうだろう。私はビートルズの「サージェントペバー〜」がどうにも苦手で、途中の曲を飛ばして「a day in the life」だけ聴いていたが、最近は通しで聴けるようになってきた。ビーチボーイズの「ペットサウンズ」は今でもあまり良さが分からないのだが。
では映画はどうか?本はどうか?などやっていくと際限なくなるのでやめておくが、前に好きではなかったものが好きになったり、その逆もある。
というわけで、一回断られたくらいで諦めてはだめだ。向こうの好みだって変わるかもしれないのだから。数カ月したらまたアタックチャンスだ。健闘を祈る。
整体サロン 気楽に屋(KIRAKUNIYA)