気楽にブログ

2024-05-04 16:23:00

ごめんちゃい、許して

夕飯作りに失敗してしまった。忘れ物をしてしまった。おならをしてしまった。

 

人に迷惑をかけまいと思っているのだが、なかなかどうしてうまくいかない。どうして私はこうなのだろうか。緊張感が足りないからなのだろうか。だらしがないからなのだろうか。

 

うまくやりたい気持ちはあるのだ。だが、失敗してしまう。迷惑をかけてしまう。そんなとき、とてもつらい。

 

だがその実、なかなか私はたくましい。もしくはふてぶてしい。「自分なんてこんなもんです」と、すぐに開き直れる。うまくできない自分に、寛容だ。

 

これは端的に「甘さ」なのだと思う。だが、その「甘え」が私にとって、この世を生き抜くための、手段や作戦なのだ。

 

「自分が失敗して人に迷惑をかけたくないし、人の失敗で迷惑を被りたくない。」

 

いやいや、そんな都合よくいかないだろう、と思う。「自分に甘く」を「人にも甘く」にできない私なのだが。

 

ある程度の寛容や許容が、全体の秩序や平衡を助けると、思っていることは思っている。



手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)

2024-04-26 12:56:00

休み時間

GWの集客に向け、久しぶりに営業ブログを掲載します。

 

4月の新生活から一段落して休みに入ったら、肩こりや腰痛が出てきた。休んでいるのに何で?それは、体が回復のモードになったからかもしれません。

 

資格試験や仕事のプロジェクトで一山越えたあとに、風邪を引いた経験はありませんか?ほっとしたあとにどっと疲れが出る、そんなことありますね。痛みに関しても同様です。忙しかったあと、一息ついて休んでいるときに痛みが出ることがあります。そしてそれは必要な、回復の時間です。

 

何かに集中してがんばって取り組んでいるときは、体も気持ちも戦うモードです。アドレナリン、ドーパミンが、多く出ています。そのときは、自分の体のケアは後回しになります。これは体のシステムが自動的にしています。「意外と乗り切れるもんだな、まだ若いなオレ」、そう思いたいところですが、残念ながらそれは勘違いで、体のダメージは蓄積しているものです。

 

ほっとして休んでいたら筋肉が痛みだした。それは後回しにしておいた、回復のための自分のケアが、始まったしるしです。疲労感や痛みは「休ませて」の体からのサインです。休んでいるのに肩や腰が痛む、それは炎症反応、つまり免疫を発揮して、回復しているからだと考えられます。体と気持ちが、戦闘モードから回復モードになったと言えるでしょう。

 

筋肉痛も含め、それら筋肉の痛みは、様子見で引くことが多いです。風邪が良くなるのと同じように、自己治癒力で治っていきます。ただ、風邪の引き始めできちんと休まないと悪化するように、体の痛みや疲れも、早いうちのケアが大切です。



お体が休みを求めている声が聞こえたら、自己治癒を促す施術を受けに、気楽に屋にどうぞお越し下さい。筋肉をほぐす施術をし、体が回復するための良い休み時間となるよう、サポート致します。



ご予約はこちらから http://b.hpr.jp/kr/hp/H000639285/



手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)

2024-04-18 15:04:00

ですから、たいてい文です

5歳の娘がSnow Man のファンになった。私はと言えば去年から、浜辺美波と岡潔のファンになった。

 

というわけで、「人間の建設」岡潔・小林秀雄 新潮文庫 を厚木の有隣堂で購入した。

 

いわゆる対談本で、論戦・論破というものではない。そして帯のコピーにあるような「すれ違い」では決してない。お互いに敬意を払い、共通している考え方を探りながら、「相手が世の中をどう捉えているか」を知りたい!と思っているように感じた。

 

相手の言葉によって新たな気づきが得られ、相手に語ることによって自分の確認になる。そんな豊かな対話が、ここに記されているように思う。自説の正しさで相手をやり込めるのではなく、やりとりの中から新しさをお互いに得る。それが、対話による「建設」なのだろう。感情を排した表現や抽象的な話ではなく、お二人から「直感と情熱」という言葉が出てくることが、何だかとても嬉しかった。

 

それぞれの発言に岡、小林、岡、小林、となっており、後でもう一度読み直すため、感銘をうけた発言に、私は◯をつけて読んでいった。そうしたら結局◯だらけになってしまったが、少し岡の方への◯が私の場合、多かった。文系の私なのに。やはり岡のファンだからだろうか。

 

評論家の小林秀雄は、音楽や絵画に関心がある。そしてそれを、何とか文章にしていく。そのときに、作品を言葉で表すのはとても難しい。だから文学評論も含め、「作家」に着目して文章を書いていく。それに対し、岡潔は数学者である。そして岡もまた、絵画や文学、音楽、そして仏教や俳句にも興味がある。彼もまた「作家性」「人間」にとても関心がある。

 

だから、数学のような、最も人間の感情と離れていそうな対象に対しても岡は、人が数学をするのだから「情緒が大切だ」と言うのである。二人が自然科学・物理学に対して少し批判的なのは、情緒・人間を置き去りにして進めている面があると、感じているかもしれない。やはり自然科学が原爆を作るに至ったことは、その時代を生きた人にとって、大きなインパクトなのだろう。

 

二人に共通する「人間」への興味を表すのに「言葉」がツールとなっている。

私が最もウケた、というか驚いたのは次の箇所で

 

小林が「岡さんの数学というのは数式で書かれる方が多いのですか?それとも文章で表せるのですか」と問う場面だ。

 

いや、数学者なんだから、数式に決まっているでしょ!と私なんかは思うわけだが、この問いには小林の予感があるのだろう。事実、岡はこう答える。

 

「なかなか数式で表せるようになってこないのです。ですから、たいてい文です」

 

そうなんかーい!驚愕である。数学と言えば黒板やノートに数式がびっしりではないのか?文と言うより文字や記号という意味なのかもしれないが、それにしても。

 

小林「そうすると、やはり言葉が基ですね」

 

岡「言葉なんです。思索は言葉なんです」

 

と、二人の考えが合致するのである。人間の情緒がまず大切で、言葉を用いて思索する。それによって「建設」していく。理性を使うためにも愛情が必要。そういった個々人の情がまずあって、それが詩や数学となる。だから、「情緒や言葉を育むことが大切」と、本書の最後は、教育のあり方に話が及んでいく。

 

解説で茂木健一郎氏が書いていたように「声に出して読んでみると心地よい」だろう。氏が言うように「自分が少しだけ賢くなった気がする」かもしれない。また自分の「直感と情熱」が、増大するかもしれない。

 

よし、知の巨人に近づくために、◯をつけたところを音読してみよう。Snow Manの気分になりたかったら、彼らの歌を歌えば良いように。




手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)

2024-04-12 09:56:00

体にE

「ドーナツが体に良いってことになったら最高だな」スヌーピー

 

そう、美味しいものでも、食べ過ぎは良くない。砂糖でも、油でも。だが、別腹と言いながら、シメと言いながら、食べるアイスやラーメンは、とても美味しいのだ。

 

こんなとき、曖昧な日本語が役に立つ。「なるべく」「たまには」だ。

 

「なるべくやめておこう」「たまにはいいだろう」こんな感じでいいじゃないか。

 

中年になってくると体が衰えるので、無理が効かない。そして都合の良いことに、体の反応が敏感になってくる。飲み過ぎ食べ過ぎは、明らかに翌日の体調を悪化させるし、そもそも沢山を飲み食いできなくなる。結果私は、食べ過ぎが少なくなって割と体調が良い。

 

だが、子どもは違う。美味しければ、沢山頂いてしまうのだ。

 

だから親としては、子どもの体に良い食品を与え、体に悪い食品は避けたい。のだが、それにしても情報が多すぎる。いちいち添加物を気にしていたら、ぐったり疲れてしまう。

 

背を伸ばすためには牛乳だ!とか、卵は日に1個までだ!とか、私がずっと信じていたことは、最近曖昧になってきて困る。一体何を信じればいいのだろう。

 

一つはやはり科学的手法で調べ、データで検証されたものを頼りたい。絶対確実というのは幻想だが、判断基準とするのに、科学より頼りになるものはないだろう。因果を示すのは難しいことを認めながら、メカニズムが解明されていなくとも、データから冷静に判断していきたいと思う。まあ、それが難しいのだが。

 

あとは、自分の直感も大事だ。薬だって合うか合わないか、効果があるかどうかは、最後は自分で飲んでみて判断するものだ。食べ物も同じで、子供が飲むたびにお腹を下しているのなら、やはり牛乳は控え目がいいのだろう。

 

体に良いとされるものも、悪いとされるのも、「ほんとかな?」と軽く疑いながら、体の反応を確かめながら、大体で判断していこう。

 

「まあ子どもが好きなポケモンパンも、食べさせ過ぎなければいいかな」と、ありきたりな結論に落ち着いて、自分は4つめの「ひとくちルマンド」に手を伸ばしながら。



あなたの暮らしに気楽時間

 

手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)

2024-04-09 11:51:00

叡智と実践

気楽に屋には、大学生の皆さんにもお越し頂いております。というわけで、毎度おなじみありがた迷惑の昔話です。

 

私はその昔、社会人入試という裏技で北里大学に入学しました(元々文系なので、卒業には苦労しました)。北里大学では4月に入学すると、まず初めに北里柴三郎先生についての講義を、全員必須で受けます。そして、大学の建学の精神「叡知(えいち)と実践」を学びます。

 

「よく学び、その学びを人や社会に役立てよ」そんな意味だと私は捉えています。新しく得た知見も、人のためになって初めて輝きます(利他)。現場で分かったことは、標準化することで、皆が使えるツールとなります(自然科学)。「叡智と実践、どっちも大切」働き続けて、ようやく少し、分かってきました。

 

大学生の皆さんはぜひ「自分にひっかかる言葉」を、各大学で得て頂けたらと思います。その言葉が役に立つのは、卒業した後になるかもしれません。ですが、後になって意味が分かることも、よくあることです。

 

気楽に屋は整体であり、医療機関ではありません。日本の理学療法士は、開業権が今のところありません。そのため、私の行う施術は民間療法であり、健康保険は使えません。しかし、予防の分野や、リハビリ算定期間が切れてしまった方などへ、貢献できることが多くあると思っております。

 

そして、医療機関であろうとなかろうと、目の前のクライアントさんへ自分の知識と経験からできることを提供し、それを振り返るとき、私の拠り所となる1つに、北里スピリットがあります。これから新しい1000円札を見るたびに「叡知と実践だぞ」と柴三郎先生に言われるのは、なかなか休まらないなあとは思いますが。。

 

 

手当て整体 気楽に屋 サン仲村

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