気楽にブログ

2024-12-31 14:12:00

輝く!気楽にブログ大賞2024

今年も「気楽にブログ」をお読み頂き、誠にありがとうございました。惜しくも「みうらじゅん賞」へのノミネートは逃しましたが、来年こそはと考えております。

 

というわけで、アクセス数と独断で選んだ2024年の気楽にブログ大賞を5つ発表します。未読のものがあれば、ぜひ気楽にお読み下さい。

 

 

・二重スリット実験と少子化問題に関する一考察 https://kirakuniya.jp/diary/103527

 

・誹謗中傷かっこ悪い https://kirakuniya.jp/diary/128524

 

・けがない https://kirakuniya.jp/diary/92324

 

・恋は水色 https://kirakuniya.jp/diary/100890

 

・楽観的 たまに https://kirakuniya.jp/diary/134659



☆気楽にブログ大賞2023はこちらから https://kirakuniya.jp/diary/89342 



あなたの暮らしに気楽時間 手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)

2024-12-29 12:39:00

数字、言葉、たましい

去年は暇もあり、自分の施術に根拠を持ちたかったので、サイエンスに立ち戻ってみた。その中で、科学のおもしろさと有用性に気づいた。また、社会学を始めとする自分の元々の興味分野の楽しさを、再確認した。と言っても読書したのは2割で、動画視聴が8割という感じだったが。

 

数字で比べることは理にかなうと思う。そして、言葉でしか表せないこともまた、大切にしていきたいと思う。その考えにプラスして、今年は「たましい」というものにも興味が出てきた。

 

例えば「いい感じ」を表すのには、「数字も、そして言葉でも足りない」と考える。体で、脳で、捉えているだけではなく、そこには「たましい」も、あるのではないか。

 

こんなことを書くと「スピリチュアル」ということになり、途端にインチキくさくなるかもしれない。だが、その分野までカバーできれば、数字にも言葉にもたましいにも親しめれば、きっとお客様への「お役たち」ができるように思う。

 

数字で根拠を示しても、言葉でいくら説明しても、実際に感じてもらえなければ、実際にお役たちできなければ、気楽に屋には通って頂けないだろう。そして、必要がないサービスであれば、それはビジネスとはならないだろうと思う。

 

河合隼雄先生にしても、数学から入ってきて「たましい」という言葉を使うのは、相当に葛藤があったと書いておられた。しかし、実際のクライエントのカウンセリングを通じて、物語、そして「たましい」の重要性を確認するようになったようだ。

 

私も、子どもの頃の新興宗教のニュースから受けた嫌悪感から、スピリチュアル系は敬遠してきた。しかし、玉石混交の中、ヒントや学びとなるものがあるように思う。ある程度の距離を保ちながら、バランスさせながら、自分の施術に生かしたいと考えている。



手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)

2024-12-18 17:13:00

少しだけ信じてる

今年も世間では色々なことがあった。沢山の情報が溢れる中、何を信じて良いのか、何を支持して良いのか、益々判断が難しいように思う。

 

というわけで、今年のキーワードとして「不信」という言葉を取り上げたい。何ともネガティブで嫌だが、不信を考えることで「信じる」を取り戻し、その先の「安心・安寧」につなげていきたい。

 

象徴的な出来事が、兵庫県知事を巡る一連の騒動だろう。それぞれの主張が異なる中で、「誰の、どの言葉を信じるのか」は、難しいものであった。新聞やワイドショーなどのメディアが正しいのか、それともネット内の情報が正しいのか、はたまた真実は他にあるのか、判断しかねる状況だった。

 

その他にも司法、政治、個人のスキャンダルまで、多方面で不信が広がっていったように思う。自分と直接関係のないことならまだいいが、自分が判断しなければいけない場面も出てくるだろう。

 

そのときに果たして、「判断するために何を信じるか」確固たるものがあるだろうか。

 

その問いに対しては、こう答えたい。

 

「そもそも丸ごと信じ切る必要はない」

 

100%の正しさも、100%の善いことも、なかなか無いと私は思う。何にせよ、どちらかが一方的に悪いということは、あまりないだろう。

 

そして、丸ごとを信じられなくても、選ぶ判断はできると思う。「(これに関しては)信じられる」「(今のところは)信じられる」くらいの感じで十分ではなかろうか。「信じる」を「支持する」と置き換えてもよい。

 

昔、ジョン・レノンが、神もビートルズも信じない。ヨーコと自分のみを信じる。と歌った。私はこれにあまり共感できない。

 

全面的に信じるには、信仰が必要だと思う。今の私には、その対象がない。だから、自分への自信も、もちろんない。不安だ。

 

だが、「丸ごとではない部分的な信頼」ということであれば、それはある。常に「かもしれない」の可能性は否定できない。それでも、理屈と直感を頼りに、「部分的に沢山を」信じていきたい。自分のことも。世界のことも。

 

そうすれば少なくとも「もう何も信じられない!」と嘆くことは、防げるかなと思う。そして、少しは安心できたらいいと思う。まあ、間違えることはあるでしょうが。



手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)

2024-12-02 12:14:00

転職するならリク

気楽に屋が広告とコンサルでお世話になっている営業の方と、町田の居酒屋で早めの忘年会をしてきた。

 

20代の彼は公務員(の中でもお固い職種)から一般企業の営業職(の中でも先鋭集団)に転職した経歴があり、話を聞くのがとてもおもしろかった。

 

皆さんに「何で転職したのですか?」とよく聞かれるという彼の決断の理由は

 

「年功序列ではない評価制度で自分を試したい」「皆さんに直接のお役立ちをしたい」というものだった。

 

「でも、ノルマというか売上げを気にして働くのはキツくないですか?」と私は聞いてみた。それに対し、彼は

 

「お役立ちの対価がお金です。だから良い仕事をして沢山稼ぎたい」と答えてくれた。

 

「儲け主義とは言いますけど、良いことをしないと長期で売上を上げることはできません」とも言っていた。

 

これは以前、このブログに書いた「エシカル資本主義」だなと思い、私はいたく感じ入った。

 

人々の役に立つ、良い製品や善いサービス、だからこそ売れる。その考え方は、私を勇気づけるものだった。

 

「人の役に立つのは難しい だから売れるのも難しい」私は納得して店を出た。

 

気楽に屋は去年よりは売上が上がったが、正直儲かってはいない。つい、言い訳したくなるが、「皆様へのお役立ちが足りないのだな」と、帰りがけにちょっと自戒した。



手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)

2024-11-13 17:20:00

Pain in my heart

ドジャースがヤンキースを4−1で下し、ワールドチャンピオンとなった。歓喜に包まれるドジャースナインの一方で、ヤンキースはつらい敗戦を受け止めていた。

 

「I’m heart broken」ヤンキースのブーン監督は、記者に気持ちを問われ、沈痛な面持ちでそう答えていた。ファイナルの2チームに残ったとしても、最後に負けてしまえば敗者となる残酷さが、スポーツにはある。

 

だが、このように勝者と敗者がはっきりと分かれることが、結果がもたらす感動を大きくするのだろう。勝ったほうは派手に喜び、負けたほうは打ちひしがれる。

 

ポイントは、来年もシーズンがあることだ。勝者もパーティが終われば、トロフィーは置いてゼロからゲームスタートだ。今日の勝者は明日の敗者、そしてその逆もある。

 

昔に比べ、勝利至上主義が非難されることも多くなった。勝てば何でもいいのか、負けには価値はないのか、問うきっかけとして良いと思う。その中で敗者に対する声かけや、敗者としての振る舞い方が、もっと見えて来てほしい。

 

例えばテニスの優勝スピーチでは、必ず優勝者が準優勝者に対し、勝ち上がってきたことを祝福し、敬意を示す。過酷な競争を勝ち抜く厳しさが分かるからこそ、対戦相手は競技仲間という認識なのかもしれない。

 

ブーン監督は「負けたことはつらいが、このシーズンを戦い抜いたチームを誇りに思う」と言っていた。負けて悔しい、つらい、足りなかった、と非難や卑下で終わらせるのではなく、達成できたことにも目を向ける。そんな態度もまた、豊かなスポーツ文化のためには必要ではないだろうか。

 

ところで、日本語でも英語でも、「心」が「心臓」のことを指すのはおもしろいと思う。そして、ハートが壊れてしまうほどの悲しみを感じることが、人生で2つ3つはあってもいいと思う。



整体サロン 気楽に屋(KIRAKUNIYA)

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