気楽にブログ
野口整体に可能性を見た
整体院を開いたからには、整体について知らねばなるまいて。と思い、調べてみると、「野口整体」というものが出てきた。「野口三千三」聞いたことがあるくらいなので、本を読んでみて、驚いた。私が行っている手当て整体の、筋肉をほぐす、緩める、という目的に合致していたからだ。「不必要な筋肉の緊張を取り去ったとき、重さが生きてくる。そして筋肉の微妙なはたらきが生まれる」野口語録はどれも、読んで腹落ちするものだった。私は手当て整体で筋肉を緩めることが、痛みや疲れの緩和になると考えている。だが、そこからもう一歩進んで、良く動くために緩むという可能性を、見ることができた。緩むから良く動けるとしたら、これはスポーツにつながるではないか。
早速私は緩めることを実感するために、野口体操を本を頼りにやってみた。ぶら下がりの体操では、力が抜けて骨盤に乗っている感覚が得られた。・・・これは良い。私はテニスをやっているが、とにかくすぐに力んでしまう。野口整体を活用できれば、良いショットが打てるかもしれない予感がした。日曜日に早速、ぶら下がりの体操の感覚でリターンを構えてみた。何球か、力が抜けて軽く打てた気がした。不必要な筋肉の緊張が取れれば、パフォーマンスが上がるかも!期待が高まり胸躍るところだ。
痛みや疲れが和らぐだけではなく、動きがよくなれば、スポーツ整体を気楽に屋で展開できるかもしれない。あと、野口三千三は芸大で音楽や美術の学生に体育を教えていたようだ。パフォーマンスという意味で、芸術とか音楽も体育につながるのだ。美と体育と音楽。自分の考えてきたことが色々とつながってきている。養老孟司先生とも本を出されているようだし、自分が影響を受ける人が、お互いにつながっていることを感じる。日本の整体、日本の体育。整体院だからこそできることを探ろうと思う。
手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)
吉井怜さんにインタビューして頂きました
俳優の吉井怜さんにインタビューをしてもらい、出来上がった記事を自店の広告に使用できるというお話を聞き、お願いしました。普段、「痩せる機械を購入しませんか」というセールスはお断りするのですが、吉井怜さんにお会いできるとのことに舞い上がり、「機械ではなくて機会なら買おう」と、自分を納得させました。担当の方に吉井怜さんをご存知ですか?と言われたとき、私はとぼけた答えをしましたが、本当は知っておりました。何せ同世代のグラビアアイドルの方ですからね。
取材では吉井さんが「気楽に屋さんでは〜なんですか?」と言った感じで、穏やかな笑みとともに質問してくださり、私はもう、エレカシの宮本さんばりに熱く思いを語りました。吉井さんは白血病という大病からカムバックを果たし、テレビで活躍しておられます。「病気を乗り越えられたからこそ、ごんなに美しくなれたのですか?」と、日記に書いた岡本太郎と美についてのことなど、もちろんこちらから聞けるはずもなく。ただただ「穏やかな方だなー。」「素敵な笑顔だなー。」と、一気にファンになりました。
インタビューの最後には「私も手当ての効果は感じます。自分でも、もっとやってみます。」というような趣旨のことをおっしゃって下さり、記念写真やサインまで頂き、私は幸せ者となりました。今日までなんだかぽかぽかしております。うーん、笑顔は人を元気にするなー。元気になるには、推し活をして笑顔をもらった方が手当て整体より効くかも。と思ってしまいましたが、そんなことを言うと私の仕事がなくなるので、書くだけにしておきます。
躍進企業応援マガジン COMPANY TANKという雑誌にインタビューが掲載予定です。載りましたらまたお知らせします。
手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)
燃えろ鮮やかに
岡本太郎は作品も好きだが、言葉にも勇気づけられる。久しぶりに読んだら、この前の日記に書いたことが当てはまった。「自分を貫く苦しい生き方をすると、自分が燃え上がる。そうすると人生は芸術になる。」passiveからのpassion 情熱はまず、苦しみを受け入れてから始まり、それを貫くと芸術になるようだ。ここまで熱く生きられないが、太郎のエッセンス、太陽の欠片はもらっておきたい。今までのように「自分はこうやりたいのに」とか仕事に文句を言わず、これでやっていくぞ「手当て整体の普及が自分のやるべきやりたいことだ!」と、言えるようになったのだから。
周りに受け入れられるだろうか、ビジネスとして採算取ってやっていけるかの不安はある。でも、多少の軌道修正はあるだろうが、苦しくても貫いて続けていきたい気持ち、すなわち情熱が私にはあるのだ!!と、自分を昆布。じゃなくて鼓舞。
手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)
You can touch this
タッチレスの時代だからこそ、子どもたちには触れる感覚を養って欲しいと思う。
ポケットの中の10円玉を、見ないで選り分けられるような。紙が2枚重なっていたら、その微妙な厚さを感じ取れるような。そんな繊細な指先の触覚があるからこそ、人は人に触れることができるのだろうと思うから。
「それはさわらないよ!」つい、娘に言ってしまう私が言っても、説得力がないのだが。。
思い出してみよう、まだ1歳くらいのとき、蛇口から出ている水をなんとか指先でつまもうとしていた娘を。何故、液体はつまめないのか。すばらしい理科体験をしていたと思う。
そうだ、だからこの作るお菓子「和菓子屋さんごっこ」も買ってあげよう。子どものやる気を止めてはいけない。新聞紙を敷いてないところに置く、粉末を撒き散らす、水をこぼす、ねっとりよくわからないものがこびりつく。良いではないか、良いではないか、はっはっは。これが制作だよ、芸術だよ。大事な手の感覚を、今まさに磨いているのだよ。
と言えるくらいの余裕ある大人になりたい。
「え、できたお団子パパにも1つくれるの?やさしいじゃん!」
手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)
美しくなる
今回整体院を開院するにあたり、広告をホットペッパービューティーさんにお願いしました。正直、私の人生はビューティーとか美しさとかと無縁のものでしたので、皆様に美しさを提供する自信はございませんでした。ええ、今も。ですが、今まで考えたり感じたりしてこなかった「美しさ」を、語るようになれたらかっこいいかもしれない、イケオジになれるかもしれないと、楽しみにしています。
ヒントとしては岡本太郎の「うまくあってはならない、きれいであってはならない、心地よくあってはならない」と、ブルーハーツの「ドブネズミみたいに美しくないたい 写真には写らない美しさがあるから」です。はっきりいって、両方ともわからないし、共感できません!私の施術で心地よくあって欲しいし、ドブネズミが美しいと思えません。
でも、だからこそ、これらの言葉が肌感覚として「わかる・感じられる」ようになったら、美しさに近づけるのではないかと思うのです。それは、もちろん美脚や美尻のような表面的なキレイではなく、かと言って私が今考えている美である、血流改善で内側からキレイにとか、あなたらしい素敵な笑顔とか、そういうレベルでもないのでしょう。きっと、すぐ見ただけでは分からないものだと考えています。カミュは「美は苦しいものだから」と言っています。この世界の厳しさ、受け身の苦役を感じたあとで(passive)、そのあとで宿る情熱(passion)こそが美(情熱の薔薇)だとすると、心地悪さやドブ川が、美の前提にまずあるのかな、とも思います。
今日書いて初めて気づきましたが、少し分かってきました。つまり、整体院には痛みや不調を抱えた方がいらっしゃいます。まず、その苦しさ心地悪さを受け入れて、それが変わっていくことで美に近づくかもしれないと。
苦手分野でよく分からない文章になってしまいましたが、特に反省しないそのまま投稿ボタンを押してもうすぐ昼ごはんだ何食べよう。
手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)