気楽にブログ
笑顔が似合う 楽しくなる(TUBE)
夏休み!ということで、家族で伊豆の海に行ってきた。小学生の長女は「今年は海には入らないから」と言っていたが、着いた瞬間に気持ちが変わり、にこにこしながら駆け出した。塩辛くていやだ、べたべたするからいやだ、と言っていたのはどこへいったのか。それくらい、やはり海は魅力があるのだと思う。
下の子も、最近うまくいかないことがあると、すぐにむくれるという難しい頃なのだが、終始ご機嫌だった。パパは娘たちが「ごきげんさん」だと、とても嬉しい。もちろん、ずっとそうではないのだけども。
海に入って遊ぶのは楽しい。長女は「ずっといられるの、何でだろうね」と、その楽しさを不思議に感じたようだ。確かに、浮き輪一つ、小さなバケツ一つくらいで、ずっと遊んでいた。遊具がたくさんあるような遊び場でも、こんなにずっとは居られない。
その一つに、波があるように思う。穏やかな波であったが、毎回違う波が来る。その波に体を乗せたり、対抗したりするのは、体全体の楽しい体験だ。ぷかぷかしているのも、心地よい。開放感のある空と、何故かそんなに暑く感じない太陽と、「夏の中にいられるのが、海だ。」と感じた。
「見た」何を?「永遠を」「それは海に溶ける太陽だ」と、ランボーを気取りたいと毎年思うのだが、今年も曇りがちのサンセットであった。しかし、うす赤色になった空は、太陽がこの世界を色づけていることを、再確認させてくれた。
「夏の海 たゆたうほどに 気もほぐれ」などと、気楽に俳句を詠んでしまったが、これほど脱力でき、気持ち良いのは、やはり暑い夏の海だからだろう。「春の海 ひねもす のたりのたりかな」蕪村を真似してこしらえてみた次第である。
この夏は岡潔にまだハマっていて、ずっと読んでいる。皆さんにも知っていただきたいので抜粋する
「夏は万物が生命感にあふれている。いいですね。だから勉強もよくできます。勉強だって生命感の充実を離れてはあり得ません。フランスでは、季節が日本ほどはっきりしていないんですよ。だから、日本人がフランスに行って数学をやるのは難しいと思いますね。」
これは、失礼だが笑ってしまった。フランスに行ったら四季がないから、日本人が数学をやるのは難しいだろうなー、と考えたことは今までなかった。理系の人には、ほんのり分かる感覚なのだろうか、興味深いところだ。
「生命感の充実」を感じられるから夏は勉強がはかどる!を、ぜひ感じてみたかったのだが、いかんせん数学の本を持っていってなかったので、日本酒を頂いてお刺し身を食べ、自分の生命感の充実を感じてきたというところです。
手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)
自分語りしかない
この前書いた「それとも、そうではないのか?私は核抑止力なんて大嫌いだ!」は、中学生のときに読んだ谷川俊太郎の「それとも、そうではないのか?ネクタイなんかしめなくていい!」と、岡本太郎の「おれは進歩と調和なんて大嫌いだ!」の影響で言葉が出ました。このように、自分が何かを語るときは、自分が読んできた文が出てきます。
「うん、それはパクリだよ」そう言われるかもしれませんが、自分の思いを言葉に乗せたいときに、前からある表現を借りることは有効です。それは自分が考えたオリジナルではありません。しかし、思いがあれば、表現に自分が入っているのだと思います。
本、マンガやアニメや映画、歌の歌詞でも良いですが、言葉を使った表現を自分の中に通すことで、自分の気持ちや考えを表現しやすくなります。例えば「諦めたらそこで試合終了ですよ」というスラムダンクの安西先生の言葉があります。皆さん、人生の中でときおり使ったことがあるのでは、と推察します。
原作でどんな文脈や情景で使ったのかは忘れていても、眼の前の現実に、作品のセリフが合うときがあるものです。そして、自分を支えたり押してくれたりするのです。作品全体、ストーリーだけではなく、ワンセンテンスだけでも心に残れば、それが味方をしてくれることがあります。
「自分語り」が、嫌われる風潮があるようですが、自分のことの他に、何を語ろうというのでしょうか。そのなかに出てくる言葉は使い古しの表現でも、元ネタがあったとしても、使う場面が違えば新しいと思います。そして、個人の経験や気持ちこそ、AIでは書けないことであり、それこそが記しておく意味がある文だと思います。
ネットで調べて分かることを貼り付けても、それは情報であって表現ではない。AIに気楽に屋のおかしなブログは書けまい。と、何故か張り合う。
手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)
風が強く吹いている(三浦しをん)
以前、岡潔についての投稿で「自分がどんな風の中に身を置いてきたか、どんな地を歩いたかによって、自分が生み出せるものが変わる。」と書いた。そのときは風と地について、何の気なしに書いたが、地を土とすればすなわち「風土」ということになる。
このところニュースを読んで「企業風土」という言葉が気になった。会社で何か不正が発生したとき、その不正に「企業風土」はどれくらい影響したのであろうか。私は少なからず影響があると思う。思う、であるから推察である。
会社の風というのは、社員が社内外で受けている様々である。それは叱咤であったり励ましであったりする。穏やかな風もあるだろうし、向かい風、追い風もあるかもしれない。または、突風や嵐かもしれない。そんな「社風」が自分と合っていれば、何とか頑張れるだろう。「風通しが良い」「良い風吹いている」「嵐がくる」実に色んな表現があるものだ。
そして、会社の土というのは、社員が進めている仕事のことだ。その困難さも様々だ。道標がある道かもしれないし、分岐が多い道かもしれない。登り坂かもしれないし、下り坂かもしれない。または道はなく、その場に留まり、耕すかもしれない。そんな「社地」や「社道」が自分と合っていれば、何とか頑張れるだろう。「地に足をつけて」「道なき道を」「道をそれる」実に色んな表現があるものだ。
そんな「風土」に身を置き、人と関わって仕事をしていけば、自分の考えや行動が、風土に影響を受けるのは、当然だと思う。学校もそうだが、風土が自分に合うか否かで、自分が変わり得る。その中で、どう頑張っても合わないときは、場所を変えるか、もしくは自分で始めるかした方が良いと思う。
実際は働いている人々が風土を生み出すこともあるから、一方的ではないのだろう。そこで、不正が起きるときは、企業風土と社員のミスマッチが要因の一つではないかと考えた。反対に成果が上がるときは、企業風土と社員のベストマッチも要因の一つだと思う。
悪いことが起きたとき、社長が悪い、従業員が悪い、組織が悪い、仕組みが悪い、政治が悪い、犯人を決めつけて、「何かのせい一つにすると納得しやすい」が、それは短絡的で誤ることも多いだろう。社会学、心理学、生物学、統計学、あと理学療法学、をもっと学べば、この複雑な「物事の要因になるもの」について、もう少しクリアに分かるのかもしれない。
手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)
言わせてもらお
厚木市在住のサン仲村さんから投書を頂きました。
8月の今頃は「ノーモア ヒロシマ ノーモア ナガサキ」と1度言っておきたい。
私は戦争に、反対だ。核兵器廃絶に、賛成だ。
平和を記念していくことが大切だ。平和でなくては整体も何もあったもんじゃない。毎年平和を祈念し記念する、それには努力が必要だ。
これからも小競り合いはあるだろう。縄張り争いも続くだろう。だからこそ、ふざけた兵器は全部、なくしてしまえ。やるなら代表が、素手でやれ。
映画「紅の豚」を初めて見た時、あんなに緊迫していたのに、最後殴り合いになって、一気に醒めたのをよく覚えている。今までの何だったの、何これ。と、つまらない気になった。だから、殴り合うくらいになれば、最後はお互いにどうでもよくなるのではないかと思う。
敵との戦いの高揚とか、倒す快感とか、武器のカッコよさとか、誰かを守りたい気持ちとか、それはもうあるから仕方ないのではないか。プリキュアだって戦うし。人間が逃れられないこととして、戦いがこれからもあるのは諦める。だからせめて、核兵器とかおかしなやつは、なくさないといけない。
戦いはなくならない、あるものだ。と認めた上で武器を減らす。それが過去から学び、現実を見て、知恵を発揮する、ということではないのか。それとも、そうではないのか?
「核の抑止力」なんて言葉は大嫌いだ!
サン仲村(40代男性 手当てセラピスト)
痛みについて①
サン仲村は整形外科クリニックで15年、理学療法士としてリハビリを担当してきました。その中で、患者さんがリハビリを受ける理由は「痛みを和らげたい」が主でした。ですから私は、痛みを和らげるためにストレッチや筋トレ、マッサージなどをし、効果を聞きながら試行錯誤してきました。
そして、経験から今のところ言えるのは、私の手技で結果が出せるのは、「筋・筋膜性の痛みが主の場合」だということです。その場合は、今ある皆さんの痛みを和らげることができる(ことが多い)と言えます。しかし、和らげることはできても、根治などという言葉は、恐れ多くて言えません。これからもずっと言わないでしょう。
当サロンの痛みについての考えです。内容として医学が含まれます。あくまでサン仲村の一意見として捉えて下さい。
<痛みは必要>
痛みは本来、危険やダメージを教えてくれる大切なものです。痛みはつらいものですが、前提として「自分の体を守ってくれるもの」です。まったく痛みを感じない人(無痛症)は、自分の体のダメージに気づかず、成人前に亡くなると聞きます。膝痛で言えば、「膝の痛みのみ」を取って歩き過ぎたら、気づかないうちに関節のダメージが増してしまいます。痛みは自己防衛のための、大切な生理機能です。
<長引く痛みは要注意>
危険やダメージを教えてくれる大切な痛みですが、それが長引くと組織が回復したあとでも痛みが続くことがあります。所謂、慢性痛です。こちらは、危険やダメージを教えてくれる役割から外れてきます。余計というか、抑えていきたい痛みです。
<過剰な痛みは要注意>
ダメージを受けた後、炎症反応として、組織を治し回復させるときにも痛みがでます。これも、「ここが損傷しているので動かさないでください」の、体からの大事なサインです。しかし、本来は必要な痛みですが、反応が過剰になることがあります。痛みが必要より強く出てしまうと、回復が進みにくくなります。こちらも支障ありならば、抑えたい痛みです。
<防御的反応による筋肉の痛み>
痛みがある部分で起きると、守ろうとする反応から、周りの筋肉が収縮します。これはもう一度同じダメージを受けないための大事な働きです。しかし、筋肉の収縮が続くと、血行不良となり、鈍痛が出ます。
当サロンでは痛みをある程度鑑別し、私の手に負えないものは、整形外科受診をおすすめします。対処出来る・出来ないを知っていることが、プロだと考えています。どこに行っても治らない痛みを治してほしい、そう思って当サロンにいらしても、改善の可能性は常に探りますが、ご期待に添えない可能性もございます。
手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)
