気楽にブログ

2023-09-23 18:55:00

ネガティブもまた良きかな

調子のいいときはいいのだ、そのままで。ごきげんなときはいいのだ、そのままで。

 

でも、そうじゃないときがあるものだ。

 

イライラしたり、ダルかったり、やる気がなかったりだ。

 

そんなとき、どうするか。まずはやはりこれだ「大丈夫。にんげんだもの」みつを。

 

ポジティヴシンキングというものがある。結局自分の心の持ちようだから、嫌なことがあってもポジティブに捉えてみる、ということだ。「ネガティヴよ出ていけ。おれはずっとポジティブだ」ボブ・マーリーが、松岡修造が、いつでも弱い自分を励ましてくれる。

 

だが、これが効かないときはどうするか。無理やり笑顔も今は違うな、と思うときはどうするか。

 

「とりあえず寝てみる」これは良い方法だ。のび太戦法だ。起きたら元気になっていることも多い。

 

だが、眠れない場合はどうするか。いよいよ事態は深刻な気がしてきた。

 

「原因を考えてみる」これはあまりおすすめしない。いよいよ深刻が深刻に進んでしまうかもしれない。

 

「ビールを飲んでみる」うまくいくときもある。でも、ふた口飲んでみたけど、今日はおいしくない。さあ、どうしよう。

 

「気持ちのせいにしない」これはうまくいくかもしれない。がんばれないのは気持ちではなく、ホルモンのせいかもしれない。または、何だかわからないけど「自分のせいではない」ことにしよう。

 

ちょっと気が楽になってきた。そうなればしめたものだ。そう、たまにはネガティヴだってあったほうがいいじゃないか。そんな風に思えてくれば、リカバリーまでもう少しだ。

 

あとは自分だけの「気楽ごと」をしていく。それで大丈夫だ。ネット情報ではなく、自分の経験を思い出すのだ。湯につかるとか、アロマをかぐとかもいいが、他にもあるはずだ。

 

例えば「りんごを皮ごとかじる」が自分のリフレッシュ法でも、いいじゃないか。「バナナを皮ごとかじる」これはやめておこう。苦いから。「ロバート秋山の動画を見ながらアルフォートをかじる」これはおすすめだ。こんなにおもしろい人いるんですね。こんな甘いお菓子あるんですね。

 

少し笑えてきたら、そのままお笑いでもいいし、あとは本が、音楽が、映画が、思い出が、昔のことが自分をまた元気づけてくれる。さあ、仕舞ってある引き出しからごそごそ取り出して、お気に入りの相棒と「夜をぶっ飛ばせ」(ザ・ローリング・ストーンズ)

 

本厚木 整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)

2023-09-20 18:56:00

やっと見つけた気楽に通える整体サロン

前回は家庭料理としての手当て整体について書いた。誰が作ってもおいしいように、誰がしても良くなるのが、手当て整体だ。自分自身での手当て、家族への手当て、それにより「労り」が普及していったら嬉しい。

 

それとともに、やはり専門性も出していきたい。誰がおこなっても同じだと、私のお店の意味がない。家庭料理も良いが、たまには外食もしたい。そしてチェーン店も良いが、お気に入りの個人店も見つけておきたい。

 

そんな感じで気楽に屋もありたいと思う。お気に入りのカフェのような、お気に入りのマイサロン。これはおしゃれでいい感じだ。

 

私は未熟者なので、他店の口コミを読んだりし、「良くなりましたー」と書いてあると、すぐ嫉妬してしまう。が、良くなればそれでいいじゃないか、と思い直す。飲食店に色々な美味しいがあるように、整体のお店もそれぞれ色々な良さがあるのだから。

 

手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)

2023-09-18 17:18:00

家庭料理と手当て整体

料理研究家の土井先生は、家庭料理は誰が作ってもおいしい。と言う。いや、さすがに先生が作った味噌汁と私が作った味噌汁は違うと思うのだが、勝手に美味しくなるものだと言う。または、あまり美味しくないのは今日の素材がそういう状態だから、作り手のせいではない、というようなことも言う。そのまま食べればよろしいと。

 

この考え方は、手当て整体にも通じる。家庭料理のように、普段の手当て整体なら誰でもできる。だって、手を当てるだけなのだから。料理よりも簡単だ。良くしようとあれこれしなくても、心地よさを感じてもらえれば、勝手に良くなっていく。そして、もちろん相手の状態にもよる。例えば相手が風邪を引いているのをすぐに回復させる、なんてことはできない。

 

特別なレシピもなく、誰がやってもある程度は美味しくなる(体が良くなる)。とすれば、家庭料理や手当ては標準化となり得る。匿名性も出てくる。それに加え、やはり母親が作ってくれたということがおいしさを増やすように、母親がさわってくれたということが心地よさを増やすだろう。標準化プラス個別性ということで、この前書いた科学の知と臨床の知のハイブリッドである。というのは言い過ぎだろうか。

 

一人でする料理や手当ても同じだと思う。インスタントの味噌汁はおいしいし便利だが、たまには自分で作りたい。マッサージ器も気持ち良いが、自分でも手当てをして整えたい。料理人でなくても、整体師でなくても。ある程度は美味しくなるし、回復もする。そんな気楽な感じで良いと思う。

 

手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA) 

2023-09-16 16:47:00

原因特定 対策設定

何か問題が起きる。つまり悪いこと(と思う)ことが起きる。それは自分の身の回りでも起きるし、自分から離れたところでも起きる。悪いことだから、その問題を解決したいと思う。そのときは、問題や悪いことの原因をつきとめることになる。そして、これだ、と原因を特定したなら、それを排除する。そうすると、もう問題は起こらないし、悪いこともなくなる。

 

このような過程は、社会がより良くなるために大切なプロセスだ。しかし、大変難しいことでもある。

 

「悪い」という決めつけ、「犯人」の決めつけ、これは私も良くやる。「消費税が最悪だ!」と居酒屋でわめくのが、大好きだ。だが、安易な決めつけは誤ることや、解決にならない、もしくは自体の悪化を招くことは、十分に注意したい。

 

マシンのトラブルも、体のトラブルも、人間関係のトラブルも、組織のトラブルも、国同士のトラブルも、環境のトラブルも、ジャニーズ事務所のトラブルも、解決したい気持ちが先走り、すぐに決めつけて安心したくなるが、じっくり見極めることも大切だ。

 

私が社会学や理学療法学を学んで良かったと思うのは、「本当にそうかなあ?」と疑問を持つ癖がついたことだ。そして、遠巻きの安全なコメンテーターとしてではなく、事象に自分も含まれていることがあることも、意識できるようになったことだ。

 

それは何か問題が起きたり、悪い(と思う)ことが起きたときに、一呼吸置き、「そもそもこれは悪いことなのか?」と問う態度だ。「いや、どう見ても問題でしょ!」という声を聞きつつ、まずそこから確かめる悠長な構えだ。

 

次に犯人や原因探しと特定だ。それも、すぐには決めつけない。「これもあるし、あれもかもしれないなあ」と、曖昧にしておく態度だ。「いや、こいつが悪いに決まっているでしょ!」という声は大事にしながら、置かれた立場や関係性も確かめる。

 

そして、解決策に行く前に「何故こうなっているのか」を数々挙げていく。もしかしたら偶然起こったことかもしれない、ということまで考える。自明な因果関係を大事にしつつ、その他の要因もくまなく列挙する。「対策として次からこうするべきでしょう!」という声を聞きつつ、すぐに〜するべきとは言わない。「べき論」ではなく「なぜ論」だ。

 

そんなのんびりしていては、社会問題や国際問題や環境問題は解決しないし、人の病気は改善しないだろう。そして、私自身も居酒屋で「とにかく菓子パンが体に悪い!」と騒ぐくらいだから、全てにいちいちそんな「なぜ論」をしていない。例えば汚染水のことも、面倒で調べていない。が、私はすぐ決めつけはしたくないのだと、たまに思い出して確認しておきたい。そして、メロンパンはたまに買いたい。

 

遠く離れた事象でも、自分事かもしれない。そして悪いのは自分も含めてなのかもしれない。だから、自分も含めての「なぜ論」を展開することを続けていきたい。コロナ騒動で、人生で初めて社会問題がリアルに自分ごとに感じられたが、上記した考え方は、非常に役に立ったと思っている。

 

「本当にそうかなあ?」

 

手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)

2023-09-14 10:41:00

アフォーダンスで夜は更けて

前回、学生に戻った気分で読後レポートを書いた。が、どうやら長すぎたようだ。「お前はもっとフザけた文を書いてればいいんだよ!」という声が聞こえてきた。気がした。

 

というわけで、カタカナの話がおもしろかった。もっと書いてくれ。という嬉しいお手紙を頂いた。誰を?などと、町田康の真似をして、今日のオンエアを始めるとしよう。私は最近、ずっとなりたかったDJ気分だ。今日も日本中のリスナーが、この放送を楽しみにしていると思うと嬉しい。もちろん完全な勘違いだが、自分がなりたいものになれる。いい時代だ。

 

ユリイカに続いて私が気になるカタカナは、「アナリスト」だ。いや、また怒られるからやめておこう。怒られるのは嫌いだから。えっと、気になるのは「アフォーダンス」だ。これなら良いだろう。

 

なんか小難しい本に出てくるわけだ。アフォーダンスが。そして、やっぱり想像してしまうのだ。志村けんを。白鳥の格好をした変なおじさんが、ダンスしている姿を。なんせアフォーだ。ほんとにすごい。

 

例文はどういう感じだろう。アフォーダンス=白鳥おじさんでイメージして読んでみよう。

 

「このように見てくると、おのずとアフォーダンスが形成される」

「つまり、アフォーダンスと言い換えてもいいくらいの先進性がある」

「これは一種のアフォーダンスだが、それに留まらないのである」

 

これであなたも、アフォーダンスという言葉を目にしたら、必ず志村けんが出てくる。このように、言葉の意味がよく分からないうちに刷り込まれると、なかなか取れない。

 

子どもの頃に「運賃はうんちん箱にお入れ下さい」と言うのがおもしろかったのと一緒だ。ちょっと違うか。

 

手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)