気楽にブログ
痛みについて①
サン仲村は整形外科クリニックで15年、理学療法士としてリハビリを担当してきました。その中で、患者さんがリハビリを受ける理由は「痛みを和らげたい」が主でした。ですから私は、痛みを和らげるためにストレッチや筋トレ、マッサージなどをし、効果を聞きながら試行錯誤してきました。
そして、経験から今のところ言えるのは、私の手技で結果が出せるのは、「筋・筋膜性の痛みが主の場合」だということです。その場合は、今ある皆さんの痛みを和らげることができる(ことが多い)と言えます。しかし、和らげることはできても、根治などという言葉は、恐れ多くて言えません。これからもずっと言わないでしょう。
当サロンの痛みについての考えです。内容として医学が含まれます。あくまでサン仲村の一意見として捉えて下さい。
<痛みは必要>
痛みは本来、危険やダメージを教えてくれる大切なものです。痛みはつらいものですが、前提として「自分の体を守ってくれるもの」です。まったく痛みを感じない人(無痛症)は、自分の体のダメージに気づかず、成人前に亡くなると聞きます。膝痛で言えば、「膝の痛みのみ」を取って歩き過ぎたら、気づかないうちに関節のダメージが増してしまいます。痛みは自己防衛のための、大切な生理機能です。
<長引く痛みは要注意>
危険やダメージを教えてくれる大切な痛みですが、それが長引くと組織が回復したあとでも痛みが続くことがあります。所謂、慢性痛です。こちらは、危険やダメージを教えてくれる役割から外れてきます。余計というか、抑えていきたい痛みです。
<過剰な痛みは要注意>
ダメージを受けた後、炎症反応として、組織を治し回復させるときにも痛みがでます。これも、「ここが損傷しているので動かさないでください」の、体からの大事なサインです。しかし、本来は必要な痛みですが、反応が過剰になることがあります。痛みが必要より強く出てしまうと、回復が進みにくくなります。こちらも支障ありならば、抑えたい痛みです。
<防御的反応による筋肉の痛み>
痛みがある部分で起きると、守ろうとする反応から、周りの筋肉が収縮します。これはもう一度同じダメージを受けないための大事な働きです。しかし、筋肉の収縮が続くと、血行不良となり、鈍痛が出ます。
当サロンでは痛みをある程度鑑別し、私の手に負えないものは、整形外科受診をおすすめします。対処出来る・出来ないを知っていることが、プロだと考えています。どこに行っても治らない痛みを治してほしい、そう思って当サロンにいらしても、改善の可能性は常に探りますが、ご期待に添えない可能性もございます。
手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)
痛みについて②
当サロンの痛みについての考えの続きです。内容として医学が含まれます。あくまでサン仲村の一意見として捉えて下さい。
そもそも整体は医療機関ではないので、「痛みを治す」という目的はありません。そして、医学においても「痛みを取ることのみ」を目的にはしません。私が目指すのは、痛みを治すのではなく、「感じなくても良いと思われる痛みを減らす」です。
<当サロンが対応出来る痛み>
腫れもない、普段はそれほど強く痛まない。しかし、同じ姿勢が続いたり、使いすぎると鈍痛が出る。これは気楽に屋が対応できる痛みです。肩こり、慢性腰痛、炎症期を過ぎた五十肩、膝などオペ後に半年経過した方、を想定しています。慢性的な痛みでも筋肉由来が主であれば、少しづつ変わっていくこと、程度を和らげられること、を経験しています。
痛みは複雑なので、実際は筋・筋膜、神経、血管、心因性、炎症、など色々な要因があり、一つではありません。「これが原因で、ここが良くなれば治る」などという、根本原因など「ない」と私は考えます。肩こり、腰痛、膝痛も、どの要因が大きいかで、対処できるかどうかが変わります。私の手に負えないケースもあります。経験から、ある程度の鑑別をし、できることにフォーカスすることが、私の強みだと考えています。
<当サロンが対応できない痛み>
ぶつけた、ひねった、すりむいた、これらはダメージによる痛みです。寝違えやギックリ腰の初期も同様です。これらは組織自体の傷なので、手当て整体の範疇ではございません。医療機関を受診してください。
ダメージを回復させようと、炎症反応からの痛みが出ることがあります。五十肩の痛み、術後や骨折後の痛みなどです。これらも医療機関の範疇です。リウマチ含め、関節内の炎症性の痛みに対し、私が出来ることはほぼありません。
慢性痛の中でも神経由来のもの(神経障害性疼痛)は、当サロンでは対応できません。ヘルニアや坐骨神経痛も、神経そのものにダメージがある場合は、私が治すことはできません。また、血管由来の痛み(糖尿病や閉塞性動脈硬化症)も、私には根本を改善することはできません。
痛みに関してほぼ何もできない、そう思われても構いません。15年、整形外科でリハビリ業務をして、沢山の疾患を担当してきた経験から、できないことが良くわかりました。だからこそ、筋肉由来の血行不良による痛みだけは、しっかり対応したいと思います。
原因を除くことは出来ませんが、上記した痛みも、最終的に感じるのは脳です。そのため、手当て整体の心地よさから、感じる痛みが減じることはあります。しかし、それはあくまで和らげているだけであり、根本改善を狙うことにはなりません。ご承知おき下さい。
筋肉をほぐして余計な痛みを和らげる、リラックス効果とともに、ラクになる。気楽に屋がご提供できるのはそこまでです。
手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)
室内で過ごせと言われ、外で走った
上の娘がYMCAのプール教室ということで、送っていった。彼女は自転車、私はジョギングである。この暑い中で走ったらやばいかな、と思ったが、意外と平気だった。ここのところ割りと自分の体を休めていたので、調子良く走れた。そのあとも、何故かクーラー無しで室内で過ごせた。お昼にはつけたが。
しっかり休むのも、ちょっと心拍数上げて汗をかくのも、両方必要なのかなと思う。「熱中症に気をつけてください」のアナウンスが街中にかかっていて、それはそれで大事だが、少しくらいなら外で運動しても、別に大丈夫だ。
コロナ騒ぎでも感じたことだが、どう過ごした方がいいのか、もちろん情報も大事だが、「過度に恐れても仕方ない」(沢木耕太郎)とも思う。理性と感情をバランスさせて判断し、自分はすぐ間違うのでまた修正し、気楽に過ごしていきたい。
人間は自然状態では50歳くらいまでしか生きられないそうだから、45歳の私は、もうあとはおまけの人生かと思うと、少し気が楽だ。体に悪いとされる食べ物もあるが、大体は50歳まで生きられるのだから、現代の衛生や栄養の方が、悪いを上回っているのだろう。気にしないで食べようと思う。
今までふざけておもしろおかしく生きてきたので、自分はどうでもいいのだが、若い人たちは自分の子どもも含めて、楽しく生きて欲しいと切に願う。学生生活や、若いときの楽しさを、味わって欲しいと思う。
世間で言われていることを疑う。批判は社会科学でも自然科学でも、大事な態度だと思う。検証を重ね、より良い判断をして進めることで、大きな間違いを防げるだろう。一方で、それぞれが多様性から意見を発し、お互いを批判していたら、物事は進んでいかないようにも思う。信頼できる権威の決定に従うのは、合理的な場面・場合もあるだろう。だが、自分のことは自分で決めたり、権威へ疑問を呈することも、併せて必要だろう。
さて、どうしたもんじゃろか。熱中症アラートを無視して走ったくらいで中年パンク気取りの私は、そんなことを考えた。家に着いたら、熱中症の悲しいニュースが流れていた。
手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)
私は自分自身の欠点を見過ごすコツを知っているの(ルーシー)
気楽に屋の検索上位表示プロジェクトとして先日、「気楽に」で検索をかけたら驚いた。何ページ目かに、気楽に屋のHPと河合隼雄先生の本の紹介ページが、連なって出てきたのだ。これがユングの言う「共時性」「シンクロニシティ」だろうか。その本とは「スヌーピーのもっと気楽に」という本だ。河合隼雄監修、そして谷川俊太郎訳である。え、こんな至高のツートップの本あるんかい!
早速、経費扱いでアマゾンで購入した。内容は、スヌーピーのマンガを谷川俊太郎さんが訳しているものだった。登場人物の中での私のお気に入りは、ルーシー、そしてチャーリー・ブラウンの妹のサリー・ブラウンだ。サリーのセリフが良いのだ。彼女は言う。「Don’t blame me ! That’s my new philosophy.」これに対する訳が「私のせいにしないで!っていうのが私の新しい哲学よ」だ。ここで言う哲学とは、自分のモットー、心構えのようなところか。
他にも「関係ないでしょ!」「分かるわけないでしょ!」など、彼女のトガった哲学は色々ある。「new」ということで、それらに新しく加わったわけだ。巷で「知らんけど」が一時期流行ったが、このように責任逃れしておくのは、自己防衛としてたまには必要かと思う。大人になれば何かと「自分のせい」で落ち込むことがある。もちろん、たまには反省は必要だ。だが、必要以上に自分を責めるのは、つらいことだ。
「私のせいにしないで!」うまくいかなくて嫌になったら、きっぱり言ってみたい。嫌われる勇気だって必要と言ったのは、アドラーだっけ誰だっけ。全部自分で抱えないで。誰かのせいかもしれないし。あえて私の哲学、と思い出して言わないと、すぐにまた自分のせいにして落ち込んでしまうから。と、自分に甘いおじさん。それは私。
河合隼雄先生はこの本の解説で書いている。「人間が人間をやっているのはフルタイムの大仕事だ。それ以上に何かしなくてはならないなどと思わず、もっと気楽にいきましょう」このように気楽に屋は、河合隼雄と谷川俊太郎とスヌーピーから、協賛を得ております。
ということで宜しくて。
手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)
臨床の知
前回は故・宮沢章夫さんを真似して書いた。劇作家であり、私は舞台を見たことはないのだが、とにかく文章がおもしろい。私の好きな「シコふんじゃった」の竹中直人さんと、マブダチらしい。宮沢さんや町田康さんの文章のように、まじめなようなふざけているような、そんな文章を書けたら楽しいだろうなと思う。
宮沢さんは本をよく読まれていて、読書記録の中に、何と河合隼雄先生の著作もあった。中村雄二郎さんとの箱庭療法についての共著で、中村雄二郎さんはなぜか仲村家に「臨床の知とは何か」という難しい本があり、以前読んだことがある。実はその本で、パッションが受け身の意味を持つということを、私は知ったのだった。いつもの繰り返しになるが、人と人とのつながりには驚くばかりだ。波長が合うとか、そういうことなのだろうか。
宮沢さんの本で読んだ気がする、「昔からある言い回し」を見直してみたい。つまり例のあれだ、「鳩が豆鉄砲を食ったような顔」の話だ。「あいつ、鳩が豆鉄砲を食ったような顔しやがって」と、言ったことは、私の人生で1度もない。使い所がわからない。そもそも「鳩が豆鉄砲を食ったような顔」の想像が難しい。鳩はいつも鳩の顔ではないのか。あと、やっぱり思う。豆鉄砲って何だ?
だが、長い時間をかけても残っている言葉には、耐えうるだけの価値があるのだと推察する。「鳩が豆鉄砲を食ったような顔」も、使う人が多いから、そしてそれで意味が通じる人が多いから、今まで残ったのだろう。今日も日本のどこかで何回かは「鳩が豆鉄砲を食ったような顔してやがる」と茶化されている人がいるのだろう。
ところで、私の好きな表現は「猫の額ほどの庭」だ。犬やネズミではだめだ。猫の額でなくてはいけない。確かに狭い。確かに狭いから、そこに植えられる草木は、パンジーひと株でもはみ出す。猫の顔を見る。そして額を見る。うむ、狭い。ってこんな狭い庭あるかい!
猫で言うともう一つ「借りてきた猫のようだ」がある。「え、おまえんちの猫って借りてきたやつなの?」と、昔のふかわりょうが言いそうな感じだ。借りてきた、ということはあれだ、頼まれて預かっているわけではないのだ。あくまでもお願いして借りたのだろう。「この猫、ちょっと貸してくれ。明日友だちが来るから」どんなだ。
どんなだ、と言いつつ、借りてきた猫がおとなしいということを、我々は知っている。猫を借りたことなどないのに、借りてきた猫がどんなだかわかる、というのはどういうわけなのか。借りてきた猫はおとなしい。借りてきた猫の役目をしっかりとおこなう。そしてその額は、やっぱり狭い。
また、整体とまったく関係のないことを書いてしまった。タイトルを「臨床の知」として、知的な投稿をカムフラージュしておこう。ところでカムフラージュって何語?
手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)
