気楽にブログ
室内で過ごせと言われ、外で走った
上の娘がYMCAのプール教室ということで、送っていった。彼女は自転車、私はジョギングである。この暑い中で走ったらやばいかな、と思ったが、意外と平気だった。ここのところ割りと自分の体を休めていたので、調子良く走れた。そのあとも、何故かクーラー無しで室内で過ごせた。お昼にはつけたが。
しっかり休むのも、ちょっと心拍数上げて汗をかくのも、両方必要なのかなと思う。「熱中症に気をつけてください」のアナウンスが街中にかかっていて、それはそれで大事だが、少しくらいなら外で運動しても、別に大丈夫だ。
コロナ騒ぎでも感じたことだが、どう過ごした方がいいのか、もちろん情報も大事だが、「過度に恐れても仕方ない」(沢木耕太郎)とも思う。理性と感情をバランスさせて判断し、自分はすぐ間違うのでまた修正し、気楽に過ごしていきたい。
人間は自然状態では50歳くらいまでしか生きられないそうだから、45歳の私は、もうあとはおまけの人生かと思うと、少し気が楽だ。体に悪いとされる食べ物もあるが、大体は50歳まで生きられるのだから、現代の衛生や栄養の方が、悪いを上回っているのだろう。気にしないで食べようと思う。
今までふざけておもしろおかしく生きてきたので、自分はどうでもいいのだが、若い人たちは自分の子どもも含めて、楽しく生きて欲しいと切に願う。学生生活や、若いときの楽しさを、味わって欲しいと思う。
世間で言われていることを疑う。批判は社会科学でも自然科学でも、大事な態度だと思う。検証を重ね、より良い判断をして進めることで、大きな間違いを防げるだろう。一方で、それぞれが多様性から意見を発し、お互いを批判していたら、物事は進んでいかないようにも思う。信頼できる権威の決定に従うのは、合理的な場面・場合もあるだろう。だが、自分のことは自分で決めたり、権威へ疑問を呈することも、併せて必要だろう。
さて、どうしたもんじゃろか。熱中症アラートを無視して走ったくらいで中年パンク気取りの私は、そんなことを考えた。家に着いたら、熱中症の悲しいニュースが流れていた。
手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)
私は自分自身の欠点を見過ごすコツを知っているの(ルーシー)
気楽に屋の検索上位表示プロジェクトとして先日、「気楽に」で検索をかけたら驚いた。何ページ目かに、気楽に屋のHPと河合隼雄先生の本の紹介ページが、連なって出てきたのだ。これがユングの言う「共時性」「シンクロニシティ」だろうか。その本とは「スヌーピーのもっと気楽に」という本だ。河合隼雄監修、そして谷川俊太郎訳である。え、こんな至高のツートップの本あるんかい!
早速、経費扱いでアマゾンで購入した。内容は、スヌーピーのマンガを谷川俊太郎さんが訳しているものだった。登場人物の中での私のお気に入りは、ルーシー、そしてチャーリー・ブラウンの妹のサリー・ブラウンだ。サリーのセリフが良いのだ。彼女は言う。「Don’t blame me ! That’s my new philosophy.」これに対する訳が「私のせいにしないで!っていうのが私の新しい哲学よ」だ。ここで言う哲学とは、自分のモットー、心構えのようなところか。
他にも「関係ないでしょ!」「分かるわけないでしょ!」など、彼女のトガった哲学は色々ある。「new」ということで、それらに新しく加わったわけだ。巷で「知らんけど」が一時期流行ったが、このように責任逃れしておくのは、自己防衛としてたまには必要かと思う。大人になれば何かと「自分のせい」で落ち込むことがある。もちろん、たまには反省は必要だ。だが、必要以上に自分を責めるのは、つらいことだ。
「私のせいにしないで!」うまくいかなくて嫌になったら、きっぱり言ってみたい。嫌われる勇気だって必要と言ったのは、アドラーだっけ誰だっけ。全部自分で抱えないで。誰かのせいかもしれないし。あえて私の哲学、と思い出して言わないと、すぐにまた自分のせいにして落ち込んでしまうから。と、自分に甘いおじさん。それは私。
河合隼雄先生はこの本の解説で書いている。「人間が人間をやっているのはフルタイムの大仕事だ。それ以上に何かしなくてはならないなどと思わず、もっと気楽にいきましょう」このように気楽に屋は、河合隼雄と谷川俊太郎とスヌーピーから、協賛を得ております。
ということで宜しくて。
手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)
臨床の知
前回は故・宮沢章夫さんを真似して書いた。劇作家であり、私は舞台を見たことはないのだが、とにかく文章がおもしろい。私の好きな「シコふんじゃった」の竹中直人さんと、マブダチらしい。宮沢さんや町田康さんの文章のように、まじめなようなふざけているような、そんな文章を書けたら楽しいだろうなと思う。
宮沢さんは本をよく読まれていて、読書記録の中に、何と河合隼雄先生の著作もあった。中村雄二郎さんとの箱庭療法についての共著で、中村雄二郎さんはなぜか仲村家に「臨床の知とは何か」という難しい本があり、以前読んだことがある。実はその本で、パッションが受け身の意味を持つということを、私は知ったのだった。いつもの繰り返しになるが、人と人とのつながりには驚くばかりだ。波長が合うとか、そういうことなのだろうか。
宮沢さんの本で読んだ気がする、「昔からある言い回し」を見直してみたい。つまり例のあれだ、「鳩が豆鉄砲を食ったような顔」の話だ。「あいつ、鳩が豆鉄砲を食ったような顔しやがって」と、言ったことは、私の人生で1度もない。使い所がわからない。そもそも「鳩が豆鉄砲を食ったような顔」の想像が難しい。鳩はいつも鳩の顔ではないのか。あと、やっぱり思う。豆鉄砲って何だ?
だが、長い時間をかけても残っている言葉には、耐えうるだけの価値があるのだと推察する。「鳩が豆鉄砲を食ったような顔」も、使う人が多いから、そしてそれで意味が通じる人が多いから、今まで残ったのだろう。今日も日本のどこかで何回かは「鳩が豆鉄砲を食ったような顔してやがる」と茶化されている人がいるのだろう。
ところで、私の好きな表現は「猫の額ほどの庭」だ。犬やネズミではだめだ。猫の額でなくてはいけない。確かに狭い。確かに狭いから、そこに植えられる草木は、パンジーひと株でもはみ出す。猫の顔を見る。そして額を見る。うむ、狭い。ってこんな狭い庭あるかい!
猫で言うともう一つ「借りてきた猫のようだ」がある。「え、おまえんちの猫って借りてきたやつなの?」と、昔のふかわりょうが言いそうな感じだ。借りてきた、ということはあれだ、頼まれて預かっているわけではないのだ。あくまでもお願いして借りたのだろう。「この猫、ちょっと貸してくれ。明日友だちが来るから」どんなだ。
どんなだ、と言いつつ、借りてきた猫がおとなしいということを、我々は知っている。猫を借りたことなどないのに、借りてきた猫がどんなだかわかる、というのはどういうわけなのか。借りてきた猫はおとなしい。借りてきた猫の役目をしっかりとおこなう。そしてその額は、やっぱり狭い。
また、整体とまったく関係のないことを書いてしまった。タイトルを「臨床の知」として、知的な投稿をカムフラージュしておこう。ところでカムフラージュって何語?
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えげつない音
今回も大谷翔平でいこう。検索上位を狙ってブログで一儲けだ。どうやって儲けるのか、わからんが。大谷選手の活躍の際に、現地からのコメントで「素晴らしい、信じられない」などをよく目にする。これらはまあ、元の英単語を私でも想像できる。だが、記事を読んでいて発見してしまったのだ。「えげつない」と訳しているものを。この言葉の元になった英単語は一体何だ?すごく気になる。
というか、そもそも「えげつない」とは何だろうか?いやいやだめだ、すぐに検索をしては。考える力をつけなくては。「えげつ・ない」ということはすぐに分かる。もったいない、しようがない、と同じ感じだ。とんでもない、が一番近いか。
しかし、「えげつ」とはなんだ。えげつない、を文脈から判断すると、普通ではない素晴らしい状態だと推察される。つまり、普段ならあるのだ「えげつ」が。私にもある。もちろんあなたにも、ある。
みんないつも「えげつ」を持っている。常人は常時装備だ。だが、天才たちはしばしばそれを放り投げる。型破りのパフォーマンスに「えげつ」は足枷でしかない。そして大谷は今日もボールを激しく打つのだ。「バゴガキン!」ものすごい音だ。空気をつんざく激しい音がするとき、「えげつ」は、ヒトかけらも残ってはいない。
宮沢章夫さん風に書いてみました。この方のエッセイは抱腹絶倒なので、私のブログが霞みます読まないで下さい。おすすめは「わからなくなってきました」です。
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彼こそヒーロー
「本厚木 整体」の検索で「気楽に屋」を上位表示をするプロジェクトを始めたが、一向に上がってこない。この前はグーグル様などと、様をつけてしまったが、腹が立つのでグーグル、と呼び捨てにしよう。と思ったが、嫌われたらビジネスが出来ないので、これからは「グーグル先生」と呼ぶことにした。先生、よろしくたのんます。引き続き、「本厚木 整体 〇〇」の〇〇は何がいいのか、考えてみた。日本で最もアツいワードはなんであろうか。うん、やはりここは「大谷翔平」だろう。世のお父さんたちは大谷翔平が大好きなので、整体を探してネット検索するときも、「本厚木 整体 大谷翔平」と、思わず打ち込んでしまうかもしれない。
というわけで。気楽に屋に、大谷翔平選手登場である。私としてはやはり、彼がどのように体を回復しているのか、非常に気になるところだ。ジョコビッチのようにリカバリーのための専門のフィジオ(理学療法士)をつけているのだろうか。「トリガーポイントをほぐしてもらっているので調子が良いです!」と、彼がインタビューで語ってくれたら嬉しいのだが、そういう情報を今のところ私は知らない。
もうひとつ気になるのが、大谷翔平を表す日米の言葉の違いだ。私は根が文系なので、どうしても言葉に注目してしまう。アメリカでは大谷選手のことをビーストとか、ユニコーンとか、エイリアンとか、自分たちとは違う生き物のような表し方をすることがある。これに対し、日本で多いのは、マンガの主人公、マンガを超えた。というものである。彼はあくまで「人間」なのだが、我々が想像できる上での人間を超えている。と捉えている。異質か同質か、などと言うのは言い過ぎかもしれないが、日本人にとって大谷翔平は化け物ではなく、やはり人間なのだと思う。
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