気楽にブログ
より良くはしんどい
「今この現在、心を歓ばせることが大事だのだ。そして、人生のおりおりで自分を歓ばせる勉強をしているなら、必要な勉強はそのときどきにやれば間に合う。」森毅
森毅さんの本で数学を勉強し直そうと思ったが、手始めにエッセイを読んでいる。勉強は受験勉強だけではない、と繰り返し言及されており、私の学び直しを押してくれる。それと、岡潔についても書いてあっておもしろい。「困るのは残りの三割で、すごいことなのか、笑ってすごしていいのか、よくわからない」と書いてあった。数学者にこんなコメントをされてしまう、岡潔。やはり伝説の男だ。
エッセイを読んでいると「いくじなし宣言」や「たかが学校」など、気楽ワードが満載で嬉しい。「人生という物語」という言葉は、そのまま河合隼雄先生だ。そして、特に繰り返し出てくるのは、正しさや良さについての危うさやの指摘や、見直しの必要性だ。
より良い社会、より良い暮らし。私も「より良いお体へ」とすぐ書いてしまう。だが、より良いことを追求するのは、しんどさもある。始めは良いが、だんだん伸びしろがなくなる。マンガのドラゴンボールの後半で、敵が強くなりすぎて混迷してくるように、行き過ぎると無理が出てくるものだ。
ほどよく、なるべく、気楽に。誰かと競い「過ぎず」、自分を気にし「過ぎず」、弱いところもひっくるめていければ良いと思う。もっと美しく、もっと健康に、もっと幸せに、と言うが、「もっと」には際限がないし、そのために苦しむことはないだろうと、自省できた。
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ネクタイを貸そう
「スティング」は、大好きな映画だ。よく言われるように、ロバート・レッドフォードの目と口元が、ブラッド・ピットにそっくりだ。ポール・ニューマンも最高にカッコいい。鏡に写った私と見間違えたくらいだ。
怒られる冗談はさておき。おもしろい!演技にだまされる!かっこいい男たちが出ている!という映画が見たい方は必見だ。繰り返し見たくなるので、プライムレンタルではなく、購入で良いかもしれない。
ただ、後半からおもしろくなるのは伝えておきたい。ポール・ニューマンの詐欺師ぶりが魅力全開の、列車でのポーカーの場面。そこまで観られれば大丈夫だ。あとはもう、最後までエキサイティングだ。前半は、もちろん大事だが、ちょっと入り込みにくいかもしれない。
そして、最後まで観たなら、必ず「うわ、だまされた!」と思うこと必至である。そして、「これはもう一度観てみないとわからないな」と、後日もう一度観てしまうことも必定である。おもしろい映画ってこういう作品のことなのですね。と同意して頂けると思う。
この映画に出てくるのは沢山の詐欺師だ。つまり、演技している人だ。役者は演技している人を演技している。または演技している人に気づかない人を演技する。これは、大変難しいことではないかと思う。結局、誰が演技していたの?と、混乱したコメントを思わずしてしまう。皆、演技していたのだけど。
ところで、悪者のビネガンは、殺しをしたり金とプライドに目がくらんだりするが、騙される、というのは「人の言うことを信じた」からだ。何回か観ているうちに、少しかわいそうな感じもした。何故か歩くときには足を引きずっているし、ものすごく強く悪いやつという演出はされていない気がする。この演出の意図はなんだろうか。
そして、オーシャンズもそうだが、現実なら騙したり騙されたり、盗んだり盗まれたりするのはイヤだが、エンターテインメントになると抜群におもしろいのは何故なのだろうか。
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敗者は必ず復活する
今年も夏が終わった。各地で、学生の色んなスポーツ大会が終わったことだろう。負けて引退となった3年生も、沢山いることだろう。
そう、たった1つを除いて、残りの数多の学校やチームは負けて、この夏を終えたのだ。最後に勝って終えられた人は、とても少ない。
私は高校生のとき、都立高のテニス部にいた。そして、最後の夏の大会で、途中で負けた。
負けた選手たちは、まずは思い切り悔しがったらいいと思う。それだけの思いを持って、一つに賭けてきたのだから。届かなかったのなら、「がんばったからいい」ではないだろう。
周りへの感謝はその後でやってくるだろう。応援してくれる仲間の思いを感じ、誰かのために、と思ってテニスができたのは、私の人生であの試合だけだ。
そして、強い思いを持った若い人たちが、その思いを十分に発揮できる場を作ってあげることが、大人の役目だ。コーチをしたり、大会運営を手伝ったりして、場を用意してくれる人たちのありがたさに私が気づいたのは、随分先になってからであったが。
「人生は敗者復活」仙台育英高校の須江監督の言葉は、引退する全ての3年生へのエールだ。試合に出られなかった者もいるだろう。まさかの一回戦負けということもあっただろう。
次のシーズンは別のステージに行く。もう1回、今度こそ勝者になりたいと思ってもいい。あるいは、勝負事から離れてもいい。人生は勝負事だけではない。それでも、思い切り敗れた経験のある者は、やり遂げた自信とともに、強い気持ちとやさしい気持ちの両方を得られたはずだ。
だからこの先で必ず、復活して活躍できる。
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ユリイカを一つ下さい
意味が気になるが、調べないでそのままにしているカタカナがある。「ソレイユ」「プラザ」「エスプリ」などだ。ネットで調べようと思うのだが、もったいない気がする。何がもったいないのか、よくわからないが。
そんなカタカナの中で今回は、「ユリイカ」について考えたい。確か映画のタイトルでもある。たまに目にする。だが、単体で目にすることが多く、文脈で意味を予想することができない。
カタカナは外国語のことが多いが、「ダイコン」「イリオモテヤマネコ」など、日本語の可能性も、捨ててはだめだ。動物?植物?なんだろう。とりあえずは「ユリ」と「イカ」に分けて探るとしよう。そして必殺!漢字変換だ。ユリは百合、イカは烏賊、つまり百合烏賊。なんだ、高級食材だったのか。
「今日のおすすめは百合烏賊のバターソテーです」「じゃあ、それ一つ」
というわけで、知らないカタカナでも、漢字変換ができれば、大体は意味が分かることが分かることが分かった。例えば「ポソデ スフィーヌ テルパッサ」などと書かれたメニューがあっても、全く何なのか分からない。これが漢字で「丸々小羊 多時間煮 添赤菜」と添え書きがしてあれば、大体想像がつく。まあ、赤菜が気になるところだが。
ただ、問題は「ポソデ スフィーヌ テルバッサ」の漢字変換が、音から推察できないことだ。無理やり「保袖 酢不意抜 輝羽作」と自分で当ててみても、一体どんな料理なのか、良くわからないのだった。
*注 百合烏賊という食べ物はありません。
あなたの暮らしに気楽時間
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嫌がる子どもを3秒で保育園に行かせる方法
「保育園行かない!」夏休み明けの朝、4歳の娘が泣き出した。困ったこまったどうしよう。
そんなとき、ネット情報やハウツー本に頼りたくなる。というか、頼っている。しかし、加えて私がおすすめしたいのは「河合隼雄先生の本」だ。もう鬼籍に入られたが、元文化庁長官だ。スポーツ庁長官の室伏広治さんがとてつもないように、元文化庁長官もまた、とてつもない。知の超人であり、しかもわかりやすく教えてくれる。
河合先生は言う「子どもが学校へ行くスイッチなどない」「何で学校行かないの?と聞いても、すぐに原因などわからない」と。
<スイッチを探しても>
例えば部屋の電気のスイッチを押したら、あかりがつく。あかりをつけたければ、スイッチを押せばいい。こんな感じで、子どもが学校へ行ってくれるスイッチがあるのなら、押したい。なんならお金を払ってもいい。でも、そんなスイッチは「見えない」。
<原因を探っても>
あかりがつかない。どうしてだろう。原因があるはずだ。調べてみる。電話して業者に聞いてみる。そして、これだという原因がわかる。こんな感じで子どもが保育園に行かない原因が分かれば、知りたい。なんならお金を払ってもいい。でも、そんな原因は「聞いてもわからない」。
どうしてこうなるのか。それは、子どもが機械や物ではなく人間だからですよ、と河合先生は言う。これは養老孟司先生の「子どもは自然です。コントロールなんてできない。」にも通じる。対象の仕組みを理解し、指示で操作して思い通りに動かす。プログラミングでは有効なのかもしれないが、子育てではうまくいかないこともある。
<対象ではなく自分ごと>
子どもを対象として捉えているだけでは不十分だ。ときには子どもと一緒にならなくては。同じ円の中にいる。線は引かない。原因や対処法に飛びつくのではなく、そのときの子どもが感じている気持ちを丸ごと、自分事とする。つまり、一緒に泣くのだ。
子どもが困っていることに、親も一緒に困る。その共感が共鳴し、今度は親の困りごとにも共感してくれる。かもしれない。「パパもお仕事行かないと行けないんだよ」と泣いたなら、「パパも大変なんだな」と思ってくれるかもしれない。それか「いや、パパは仕事行きなよ」と、冷静になってくれるかもしれない。
「子どもをコントロールなんてできない」「原因なんてすぐにわからない」目の前の現実を解決できないので困るが、有識者の方が言うのだから、これらは「気楽ワード」と捉えたい。保育園や学校や会社に行きたくなくて、泣きたいときもあるでしょうと。
<操作できないし、原因もわかりませんが解決しました>
ひとしきり泣いたらケロッとして「今日何時お迎え?」なんて言いながら靴を履き出す娘。え、今までの何だったの?と思う。でも、嫌で泣いたのは本当だ。すぐには教えてくれないし、本人も何が嫌なのかわかっていないかもしれないが、「嫌だ」の気持ちがあることは、心に留めておきたい。
<同じ方法は通用しませんでした>
次の朝も娘が泣いたから、同じように一緒に泣いてみたら、余計に荒れた。解決策は再現性が高くなくては標準化はしない。どうやら子育ては、自然科学の方法だけでは無理そうだ。必要なのはストーリーだ。日々の場面の積み重ねが、私と娘の大切な物語なのだ。解決するためにいるのではない。一緒にいるためにいるのだ。
「すみません、今日はお休みで。ええ、本人は元気です。明日は行けると思います。」たぶん。
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