気楽にブログ

2023-07-19 18:52:00

ヤホーで調べてみました(ナイツ)

お客様になって頂ける可能性のある方たちが、「本厚木 整体」とグーグル様やヤフー様で検索して頂いたときに、「気楽に屋」が上位に来るにはどうすれば良いのだろうか。ここは道を歩いていて「お、整体できたんだ、今度行ってみよう」ということが、ほぼ期待できない場所にあるので、とにかくネットが頼りだ。近くにマンションも沢山あるのだが、チラシをポスティングして「チラシお断りぞ、いね」と言われるのがこわく、していない。同じく駅前でのチラシ配りも「こんなもの要らぬ、ふん」と唾棄されたら確実に心がくじけるので、していない。そんなことはされないと思うが。

 

というわけで、ネット検索で見つけてもらうのが大事なのだが、どうすれば良いのか分からない。とりあえず、みんな#をつけて#本厚木整体 とかやっているので、真似をしてさっきやってみた。だが、これの宣伝効果はどうやって知るのだろうか。あと、お知らせに毎回載せていたら、既存の読者の皆様には目障りな気がしてきた。「ここが本厚木整体って、もう知ってるわ」と、なりそうで、徒労に耐えられるか自信がない。

 

あとはブログを書いているので、キーワードが引っかかるかもしれないと思った。だが、私のブログを読み返してみると、整体のブログなのに《肩こり・腰痛》とかの、関連ワードがほぼない。最近の投稿でも、例えば「本厚木 整体 岡潔」とか、「本厚木 腰痛 コンステレーション」とか、「厚木 肩こり 竹取りおじさん」とかで検索をかける人は、まずいないと思われる。

 

というか「本厚木 整体 岡潔」と検索してもらっても、そもそも気楽に屋は出てこないのでは、と思ってググってみたら、なんと!

出てこなかった。

これではいけないと思い、色々試したら「本厚木 整体 スラムダンク」で、検索の5番目に気楽に屋がヒットした。

 

これだな。グーグル検索対策をもう分かってしまうなんて、さすがな私だ。要は旬のワードが大切なのだ。ジャニーズ、マイナンバーカード、鈴木誠也8号豪快弾、などをブログに盛り込めばいいんだ。なんだ、そうかそうか。「本厚木 整体 エアコン節電」こんな風に検索がされるのを狙うわけだな。

 

じゃあ早速。こんにちは!本厚木、もしくは厚木や厚木市にある整体院、整体サロン、リラクゼーションサロン、おすすめ人気のお得な気楽に屋です。肩こり、腰痛、ヘッドマッサージ、行います。小顔、骨盤矯正、カイロプラクティック、美容鍼、行いません。テレビで紹介されました、インフルエンサーもいらしてます、口コミ地域ナンバーワン、というのを夢見ています。

いやー、皆さん暑いですねー。明日の天気は晴れですね。オールスターは佐々木朗希が先発で、甲子園の神奈川予選もありますね。本厚木ミロードとヨークフーズは何が今日はお買い得かしら。ユニクロとスタバとドンキも賑わっているようですね。そうそう、今年は厚木の鮎まつりがありそうで、楽しみです。ではでは、また次回。「君たちはどう生きるか」の回でお会いしましょう。以上、BTSの名前を覚えている最中のサン仲村がお送りしました。

 

とか。

 

手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)

2023-07-18 11:53:00

すんだことはどうだって構わない 

岡潔を知り、初めて本を買ってみた。京大の数学者であり、森毅さんの本や、土井善晴さんも言及されていたので、気にはなっていた。それにしても、京大。河合隼雄先生も出身だし、良い先生が沢山関係している。最近だとコロナ禍で宮沢孝幸さんや、藤井聡さん、をネットで知り、新型コロナや日本社会に向き合うためのアドバイスを、お二人から得ている。全部鵜呑みも良くないとは思うが、大体において賛成できる。

 

岡潔の「春宵十話」は、数学で大切なのは「情緒」である。と、こうくる。もう、これだけで、おもしろい。私は数学者という人は、数式で表せること、論理的であることに重きを置き、人間の「よく分からなさ」がきらいなのかなと、考えている。しかし、実際は、森毅さんもそうだが、人間がやる学問であるから、まず人間が大切で、気持ちや教育のことに、とても関心が高いことが多い。

 

 私は情緒という言葉にあまり馴染みがないのだが、「気持ち」に近い意味だと考える。そして、とりわけ「風景」「景色」「経験」に影響を受けた気持ちのことだと捉えている。「異国情緒」という言葉くらいしか思いつかないが、そこには風景や空気感、文化が背景にあるように思う。自分がどんな風の中に身を置いてきたか、どんな地を歩いたかによって、自分が生み出せるものが変わる。彼らが創作、芸術に関心があるのも、数学が創作物の様相があるからかもしれない、と考えてみた。

 

 「学を楽しむ」「自然に従う」など、春宵十話に出てくる言葉は、今まで自分が読んできた本に合致していた。また一つ、指針となり拠り所となる本や人物に出あえて、嬉しい。あと、孫育てに悩んでいるのも、ちょっと微笑ましくて良かった。自然に育つのを見守りたいが、しつけも大事という、私と同じ悩みであった。

 

「試験がすんで郷里に帰ったが、不成績が気になってくよくよしていた。ところがある朝、庭を見ていると、白っぽくなった土の上に早春の日が当たって、春めいた気分があふれていた。これを見ているうちに、すんだことはどうだって構わない、と思い直し、ひどく嬉しくなったことを覚えている」岡潔『春宵十話』

 

周りの風景や、それに呼応した気持ちが、自分の生活を彩る。「春めいた気分があふれる」という言葉に、カミュのような詩的センスを感じる。

 

「桟橋に照りつける太陽、アラブ人の軽業師、それに陽光に打ち震える港。まるで僕がここで過ごす最後の冬のために、この国が贅をつくして華やいでいるかのようだ。今年の冬は特別だ。すべてが寒気と陽光に輝いている。青い寒気。」『カミュの手帖』

 

お2人のように季節の中で感じられれば、美や、詩や、数学を、もっと楽しめるかもしれない!そうだ、外に出よう。うう、今日はなんて日差しだ!内臓が溶けそうだ。だけども太陽よ、まずはこの私の気持ちを、そしてこの思いを、どうか焦がしておくれ!

 

なんて。

 

手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA) 

2023-07-14 09:34:00

コンステレーション(2)

コンステレーションとは、星座を意味するという話だ。ただそこに並んでいる星々から、人間はお話を作り、意味を付ける(感じる)。そういったお話や意味は、自分や時代(周りの人々)の何を表しているのか、それを考えることがおもしろい、と述べられていた。夢のお告げ、易、星占い、現実の出来事との因果関係はないかもしれない。しかし、そこに物語や意味を感じるとき、自分が関わり、影響を受けていると言えるかもしれない。

 

私も、早速真似てみることにした。例えばランチにロコモコ丼なるのものを買った。海苔弁ではなく、ロコモコ丼だ。これは、一体何がコンステレートしているのだろうか?私が新しいものを試したくなっているのを、表しているのか。ロコモコに丼、ということで和洋折衷に興味が出ているのか、暑くなってきたから、ハワイに行きたくなったのか行ったことないけど。と、色々考えておもしろかった。

 

因果律で説明できることは、それはそれで有用だ。私はその論理の組み立てが甘いので、引き続きサイエンスや数学も少し学んでいる。一方で感情を言葉にし、表すことで独自性が出てくる。人は何でそうするのか?説明に際し、段々と因果律が効かなくなってくる。そして、言葉で表しにくいこともある。それらは絵になったり音楽になったり、身体表現になったりする。因果律ではなく、意味を読み解いていくことになる。意味を数字や式で表すことは、難しいことだろう。この続きは、河合隼雄先生の動画に関連して出てきた「岡潔」という人物がヒントをくれるかもしれない。

 

手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)

2023-07-13 15:55:00

コンステレーション(1)

時間があるので油絵を書いている。もう3枚目だ。というのは、もちろんうそで、You Tubeを観ている。ただ、自宅と違って何となく真面目なものを観てしまう私は小心者。先日は河合隼雄先生の京大での最終講義を見た。こんな貴重なものをアップして頂ける方に、心からお礼申し上げたい。

 

河合隼雄先生は、私の中ではナンバーワンの「先生」である。もちろん、難しい話もされるのだが、私でも「分かる」ものもある。私が持っている本の中で一番多いのが、先生のHONDA。じゃなくて本だ。なんだ変換の調子悪いな。

 

京大での最終講義は「コンステレーション」についてだった。ところどころ、ついていけなかった。それでも、前回書いた「子どもと同じフィールドにいること」や、以前書いた「計らわないで見守る難しさ」に関して通じる内容もあり、共感できた。「子どもが学校へ行くようになるスイッチなどない。」という発言は、数学から教育、心理学から物語へと歩んできた先生の声であり、養老先生の「子どもは自然だ。自然をコントロールなんてできない」を、思い出した。

2023-07-11 14:54:00

親はサッカーの審判である説

子どもが好きに遊んでいる。1人で遊んでいて危ないようなときもある。子どもが2人にもなれば、喧嘩もする。このとき、親はどのようにすれば良いか。私が最近思うのは、親はサッカーの審判のようなもの、ということだ。プレーを邪魔しないように流し、でもよく見ていて、行き過ぎたラフプレーは止める。もちろん親は、あんなに注意深く見てもいられない。だが、役割はそうだと思う。

 

子どもたちも、そんなに無茶はしないものだ。でも、やはりヒートアップしてしまうことがある。大人の役目は、すぐに笛を吹かず、危険だったりルール違反だったりするものがあるときだけ、毅然とストップをかけることだと考える。

 

 

ちょっとコケたくらいでは、早く起きろと促す。いちいち騒いでいたら、プレーが滞る。そして審判はボールの流れをつかみ、その後の展開を予想する。予想は、対処の準備だからだ。より正しく判断するためには欠かせない。判定に対し、文句を言われることもあるだろう。審判が間違うこともあることは、お互い前提と置きたい。そして、ルールがあり、審判がいるからこそ、このフィールドでプレーができることを、子どもたちに分からせることが大切だ。

 

やがて、審判がいなくても、自分たちで出来るようになるだろう。ときには自制し、ルールを守ることで、プレーが楽しくできることが段々と分かってくるから。ずるいことは楽しくないと、子ども同士で分かってくるから。

 

 

子どもの好きなようにやらせつつ、行き過ぎたら全力で止める。それは観客席にいてはできない。逆に、ビールを飲んでしまうと審判から観客になってしまうから、ママに怒られるんだなパパは。と、納得。見守るってエネルギーが要りますよね。フィールドの「中」にいるのだから、当然か。

 

 

 

手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)