気楽にブログ
インプット 寝かせてからのー アウトプット
気楽に屋をオープンして変わったことに、スマホを見る時間が増えたことがある。家でも暇なときはすぐに見てしまう。子どもが何か話しかけてくるときにも見ていたりして、きっと数年前の自分が見たら呆れると思う。このままでは、子どもがスマホを持つようになってずっと見るようになっても、何も言えないだろう。
職場でもスマホをよく見てしまうが、本も前より読むようになった。最近は週に1回アマゾンプライムで映画も観ている。そして以前と違うのは、読んだり観たりしたものをブログに書いていることだ。これをネタにして何か書いてやろうという目論見でいるので、どこか楽しみきれないところもある。ただ、書くことで自分の感じたことや考えたことが出せるのは、いいと思っている。
気楽に始めたブログだったが、書きたいけど今日のように何にも出てこないときもある。星新一さんや小川洋子さんですら、「全く書けない」と悩むことがあるようなので、私ごときには当たり前なのだが。物書きでやっていこうなどと思わなくて、本当に良かったと思う。
新しいことを入れても新しいことが書けないときは、もう諦めることにしている。今は季節の変わり目だから外で季節を感じたい。考えず、書かず、ただ感じるだけ。その時間が自分の色々を、バランスさせてくれている。
本厚木 整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)
勝って嬉しくてトイレで泣く
気楽に竹中直人で笑いたくなって、シコふんじゃったを久しぶりに観た。本木雅弘、竹中直人、そして柄本明。3人の存在感が際立つが、今日観たら柄本明が、控えめな演技ながら印象に残った。彼は相撲部を残したい気持ちだけではなく、学生のことをとにかく考えている。あとは、やはり竹中直人のコミカルな動きがおもしろく、そのおかしさがウケる自分に、何だか安心した。
「死にものぐるいでやらなきゃダメなんだ。つまらなくなる」ザ・ハイロウズ
遊び感覚でスポーツをするのも、もちろん楽しいが、やはり己を一つに賭けてやるのも楽しい。日米野球や甲子園、バスケのW杯と続いたので、普段の気楽から離れて熱い気持ちを感じる次第だ。
バブル時代の大学生の主人公が「誤魔化したり手を抜くのはもうやめだ」と言うのは、「そうそう、それそれ」と思う。
<女子マネージャー>
出てくる女性の描き方は、好きな人のために尽くすという少し昔のマネージャー像かもしれない。しかし、OBや先生に堂々と物を申したり、何と土俵にまで上がるというのは、ステレオタイプをぶちこわしにかかっていて楽しい。
<きっかけはそれぞれ、続けるか、終わりにするかは自分>
相撲部の顧問もOBたちも、まずは相撲部に入ってくれて嬉しいが、どうしても「真剣にやって欲しい」と思ってしまう。自分がそうやってきたから、その思いと同じ熱量を求めてしまう。それだけ没頭すれば手にできるものを知っているから、尚更である。
ただ、OBがドヤすのと違い、顧問の先生はやはり先生なので、学生のやる気が出るのを待っている。やる気が出ないままでは教えられない。これは邦画「がんばっていきまっしょい」と同じだ。そして、続けるか終えるかも学生に任せる。
それは留学生のスマイリーが回しを締めるかどうかもそうだし、最後に部員たちがやめていくときもそうだ。本気でやると自分で決め、やり切ったことが得られれば、その後は本人次第。その思いはOBも先生も一緒だ。
単位につられて、好きな人がいるから、勧誘されたから、始めるきっかけは大層でなくていい。途中で本気になり、楽しさを知り、やり遂げる。その姿は応援したくなる。竹中直人が勝ってトイレにこもって泣くシーンがとてもいい。
がんばる姿やそれぞれの思い、そしてギャグ。気楽にも観られるし、熱くもなれる。時代が変わっても都度、エンターテインしてくれる、周防監督の傑作だと私は思う。
本厚木 整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)
靴は自分で履きますので待っていて下さい
子育てをしていると見聞きすることに「魔の2歳」「天使の4歳」というものがある。うちの下の娘が4歳半だが、なるほど、天使というのも頷ける。「ママいつもありがとうって、お手紙書いているの。」と、見事に左右反対の鏡文字で「も」を書いている様子は、愛らしいことこの上ない。
そんな彼女も2歳のときはオムツを投げたり寝付けずに暴れたり、それなりに大変であった。私はヨシタケシンスケさんの「パパとママが怒るのは、君が悪いんじゃなくて、パパやママの機嫌が悪いだけかもしれないよ」を都度思い出し、なるべく平穏に接しようとしたが、いかんせん自分の人間力が足りなくて、イライラしてしまっていた。
時間と気持ちの余裕があるときは何とか「待てる」のだが、時間に追われるのが大人の悲しいところだ。私自身は幼少期にモンテッソーリ教育の保育園に行っており、わりと自分のやりたいことをさせてもらっていたようだ。だから自分の子どもの「自分でやりたい」は、見守ってあげられると思っていた。しかし、出かけなどに実際は「早くしなさい!」と言ってしまっていた。とほほ。
だから街中で、子どもに対しておっかないママさんを見ると、まあ仕方ないなと思う。「何もそんなに怒らんでも」と周りは思うかもしれないが、ママだって色んな子育ての知識はあるし、普段は穏やかな人なのだろう。おうちに帰ってひとり自己嫌悪してしまうこともあるのだろう。
それにしても「魔」の2歳は言い過ぎだと言っておこう。もう2歳の子育てをしない予定なので、上から目線だが。だって、悪魔も邪魔もひどいでしょう。言うなら「ま!」の2歳かな。
本厚木 整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)
ネガティブもまた良きかな
調子のいいときはいいのだ、そのままで。ごきげんなときはいいのだ、そのままで。
でも、そうじゃないときがあるものだ。
イライラしたり、ダルかったり、やる気がなかったりだ。
そんなとき、どうするか。まずはやはりこれだ「大丈夫。にんげんだもの」みつを。
ポジティヴシンキングというものがある。結局自分の心の持ちようだから、嫌なことがあってもポジティブに捉えてみる、ということだ。「ネガティヴよ出ていけ。おれはずっとポジティブだ」ボブ・マーリーが、松岡修造が、いつでも弱い自分を励ましてくれる。
だが、これが効かないときはどうするか。無理やり笑顔も今は違うな、と思うときはどうするか。
「とりあえず寝てみる」これは良い方法だ。のび太戦法だ。起きたら元気になっていることも多い。
だが、眠れない場合はどうするか。いよいよ事態は深刻な気がしてきた。
「原因を考えてみる」これはあまりおすすめしない。いよいよ深刻が深刻に進んでしまうかもしれない。
「ビールを飲んでみる」うまくいくときもある。でも、ふた口飲んでみたけど、今日はおいしくない。さあ、どうしよう。
「気持ちのせいにしない」これはうまくいくかもしれない。がんばれないのは気持ちではなく、ホルモンのせいかもしれない。または、何だかわからないけど「自分のせいではない」ことにしよう。
ちょっと気が楽になってきた。そうなればしめたものだ。そう、たまにはネガティヴだってあったほうがいいじゃないか。そんな風に思えてくれば、リカバリーまでもう少しだ。
あとは自分だけの「気楽ごと」をしていく。それで大丈夫だ。ネット情報ではなく、自分の経験を思い出すのだ。湯につかるとか、アロマをかぐとかもいいが、他にもあるはずだ。
例えば「りんごを皮ごとかじる」が自分のリフレッシュ法でも、いいじゃないか。「バナナを皮ごとかじる」これはやめておこう。苦いから。「ロバート秋山の動画を見ながらアルフォートをかじる」これはおすすめだ。こんなにおもしろい人いるんですね。こんな甘いお菓子あるんですね。
少し笑えてきたら、そのままお笑いでもいいし、あとは本が、音楽が、映画が、思い出が、昔のことが自分をまた元気づけてくれる。さあ、仕舞ってある引き出しからごそごそ取り出して、お気に入りの相棒と「夜をぶっ飛ばせ」(ザ・ローリング・ストーンズ)
本厚木 整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)
やっと見つけた気楽に通える整体サロン
前回は家庭料理としての手当て整体について書いた。誰が作ってもおいしいように、誰がしても良くなるのが、手当て整体だ。自分自身での手当て、家族への手当て、それにより「労り」が普及していったら嬉しい。
それとともに、やはり専門性も出していきたい。誰がおこなっても同じだと、私のお店の意味がない。家庭料理も良いが、たまには外食もしたい。そしてチェーン店も良いが、お気に入りの個人店も見つけておきたい。
そんな感じで気楽に屋もありたいと思う。お気に入りのカフェのような、お気に入りのマイサロン。これはおしゃれでいい感じだ。
私は未熟者なので、他店の口コミを読んだりし、「良くなりましたー」と書いてあると、すぐ嫉妬してしまう。が、良くなればそれでいいじゃないか、と思い直す。飲食店に色々な美味しいがあるように、整体のお店もそれぞれ色々な良さがあるのだから。
手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)
