気楽にブログ

2023-07-14 09:34:00

コンステレーション(2)

コンステレーションとは、星座を意味するという話だ。ただそこに並んでいる星々から、人間はお話を作り、意味を付ける(感じる)。そういったお話や意味は、自分や時代(周りの人々)の何を表しているのか、それを考えることがおもしろい、と述べられていた。夢のお告げ、易、星占い、現実の出来事との因果関係はないかもしれない。しかし、そこに物語や意味を感じるとき、自分が関わり、影響を受けていると言えるかもしれない。

 

私も、早速真似てみることにした。例えばランチにロコモコ丼なるのものを買った。海苔弁ではなく、ロコモコ丼だ。これは、一体何がコンステレートしているのだろうか?私が新しいものを試したくなっているのを、表しているのか。ロコモコに丼、ということで和洋折衷に興味が出ているのか、暑くなってきたから、ハワイに行きたくなったのか行ったことないけど。と、色々考えておもしろかった。

 

因果律で説明できることは、それはそれで有用だ。私はその論理の組み立てが甘いので、引き続きサイエンスや数学も少し学んでいる。一方で感情を言葉にし、表すことで独自性が出てくる。人は何でそうするのか?説明に際し、段々と因果律が効かなくなってくる。そして、言葉で表しにくいこともある。それらは絵になったり音楽になったり、身体表現になったりする。因果律ではなく、意味を読み解いていくことになる。意味を数字や式で表すことは、難しいことだろう。この続きは、河合隼雄先生の動画に関連して出てきた「岡潔」という人物がヒントをくれるかもしれない。

 

手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)

2023-07-13 15:55:00

コンステレーション(1)

時間があるので油絵を書いている。もう3枚目だ。というのは、もちろんうそで、You Tubeを観ている。ただ、自宅と違って何となく真面目なものを観てしまう私は小心者。先日は河合隼雄先生の京大での最終講義を見た。こんな貴重なものをアップして頂ける方に、心からお礼申し上げたい。

 

河合隼雄先生は、私の中ではナンバーワンの「先生」である。もちろん、難しい話もされるのだが、私でも「分かる」ものもある。私が持っている本の中で一番多いのが、先生のHONDA。じゃなくて本だ。なんだ変換の調子悪いな。

 

京大での最終講義は「コンステレーション」についてだった。ところどころ、ついていけなかった。それでも、前回書いた「子どもと同じフィールドにいること」や、以前書いた「計らわないで見守る難しさ」に関して通じる内容もあり、共感できた。「子どもが学校へ行くようになるスイッチなどない。」という発言は、数学から教育、心理学から物語へと歩んできた先生の声であり、養老先生の「子どもは自然だ。自然をコントロールなんてできない」を、思い出した。

2023-07-11 14:54:00

親はサッカーの審判である説

子どもが好きに遊んでいる。1人で遊んでいて危ないようなときもある。子どもが2人にもなれば、喧嘩もする。このとき、親はどのようにすれば良いか。私が最近思うのは、親はサッカーの審判のようなもの、ということだ。プレーを邪魔しないように流し、でもよく見ていて、行き過ぎたラフプレーは止める。もちろん親は、あんなに注意深く見てもいられない。だが、役割はそうだと思う。

 

子どもたちも、そんなに無茶はしないものだ。でも、やはりヒートアップしてしまうことがある。大人の役目は、すぐに笛を吹かず、危険だったりルール違反だったりするものがあるときだけ、毅然とストップをかけることだと考える。

 

 

ちょっとコケたくらいでは、早く起きろと促す。いちいち騒いでいたら、プレーが滞る。そして審判はボールの流れをつかみ、その後の展開を予想する。予想は、対処の準備だからだ。より正しく判断するためには欠かせない。判定に対し、文句を言われることもあるだろう。審判が間違うこともあることは、お互い前提と置きたい。そして、ルールがあり、審判がいるからこそ、このフィールドでプレーができることを、子どもたちに分からせることが大切だ。

 

やがて、審判がいなくても、自分たちで出来るようになるだろう。ときには自制し、ルールを守ることで、プレーが楽しくできることが段々と分かってくるから。ずるいことは楽しくないと、子ども同士で分かってくるから。

 

 

子どもの好きなようにやらせつつ、行き過ぎたら全力で止める。それは観客席にいてはできない。逆に、ビールを飲んでしまうと審判から観客になってしまうから、ママに怒られるんだなパパは。と、納得。見守るってエネルギーが要りますよね。フィールドの「中」にいるのだから、当然か。

 

 

 

手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)

2023-07-07 11:47:00

竹取りのおじさんありけり

休日に、町田の実家に行ってきた。町田と言うと、駅前は賑やかなので、随分と開けた感じだが、私の実家は駅から遠く離れたド田舎である。蛇やたぬきや、そしてこの時期はなんとホタルまで見ることができる。水がきれいなんですねー。何せ鶴見川の源流ですからねー。

夏にはカエルの合唱を聞き、冬には日向ぼっこをし、猫と戯れてのんびり育ったら、こんな大人になってしまった。そうそして、そんな自分や地元が、私は大好きだ。就職活動で都心に通った時期もあったが、都会のオフィスで働くなど、私にはやはり無理だったのだ。早く気づいて良かったと思う。

 

というわけで、両親も年老いてきたので、竹切りを命じられた。竹取りおじさんとして、家の周囲の若竹たちを、片っ端からなぎ倒してきた。大きく育ってしまうと、これらは厄介なのだ。人と竹、それぞれの領分を示す必要がある。このライン、ここから先は生えないでおくれ。斜面での作業もあり、滑らないように足を踏ん張る。勢い余ってケガをしないように、加減を感じながらのこぎりを引く。色々な労作が、自分を確かめる作業にもなる。自然と対峙し、おれの手に負えるものなのか、試していく。ぎこぎこぎこ、ばきん。ふっ、やってやったぜ。倒したぜ。

 

終わりが分からないので勝手に終わりにし、母親の作ったうどんをおいしく食べた。窓から見えるのは、今日の自分の成果だ。生活のために自然に手を入れる。やはり、放っておくだけではエントロピーが増大するだけだ。見てみろあっちの方、竹が猛々しいではないか。手入れの重要性を再確認し、心地よい疲れとともに帰路についた。その日は、久しぶりによく眠れた。

 

手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)

2023-07-06 11:10:00

定期メンテで「疲れにくい疲れてもすぐに回復するお体」に!

エントロピーの増大、福岡伸一さんの本で知った言葉だ。理系の方たちには、お馴染みのことかもしれない。形あるものはすべて、乱雑な方に、壊れるほうに進むという法則だ。老化も、この一つと言えるようだ。これに対し、生命はその流れに抗わず、自らを壊し(正常な細胞でも)、再生することによって、エントロピーの中でもがいている。これが動的平衡、動きながらバランスを取ることだと、私は解釈している。

 

放っておいても壊れて(老いて)いくが、日々の活動のがんばりが大きいと、それはそれでダメージとなる。また、突発的なケガや病気もある。それに対し、自己治癒力という言葉がある。例えば創傷が治る過程で、組織を壊し(炎症)、その上で再生していく。体に元々備わっている、素晴らしい回復能力だ。

放っておくと、徐々に劣化する。または、日々の活動でダメージを受ける。それに対し、自己破壊と再生、そして自己治癒力で、何とかしている。これが体の前提だ。放っておいて「様子をみましょう」でも、何とかなることも多い。

 

では、整体とは何だろうか。私は手入れだと思う。体はうまくできているので、大体は大丈夫なのだが、「手入れをしたほうが、より長持ちするだろう、自己治癒力をサポートするだろう」ということだ。整えても、また乱れていく、崩れていく。その幅を、小さくするのが狙いだ。木の手入れ、歯の手入れ、整体はメンテナンスだと考える。

だから、私の整体には「はい治りましたよ!」という終わりはない。クライアントさんとの関係が続く限り、月に1回でも通って頂きたいと考えている。経営的にそれがいいからでしょう?と聞かれたら、はい、その通りです。と答えるところでございます常連さんが大事。

 

手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)