気楽にブログ

2023-12-29 10:48:00

2024年に向けて(1)

2023年に自分が学んだことの振り返りをし、来年の気楽に屋の活動につなげていきたいと思う。

 

まとめとしては、来年も

 

・自分のはからいが及ばないこともあることを認める

 

・機序や効果に、なるべくデータに基づいた根拠を求める

 

・データにしにくいことにも目を向ける。言葉や物語を大事にする

 

の3つを念頭に置いて(ときどき思い出して)取り組んでいきたい。

 

今年読んだ本の中では、土井善晴先生の「余計なことをしない」「計らわない」が仕事の上で参考になった。自然(じねん)と人の体が回復していくことは、リハビリの仕事をしているときに感じていた。しかし、整体サロンを開いたあとは、「1回の施術で結果を!」と焦ってしまうこともしばしばだった。「自分の腕がすごい!」などと勘違いしないためにも、「体は自然と良くなる」ことを土台としたいと思う。

 

一方で、意図を持って施術をし、結果を検証することはもちろん続けていきたい。自分の介入(はからい)によって何が変えられるのか、謙虚さを持ちつつも探っていきたい。今まで学んだ理学療法学を土台にすることにより、間違いを減らすことができると考える。そして間違いは都度、訂正していきたい。

 

前にも書いたが不調の原因にすぐに飛びつくのではなく、じっくりと探りながら施術をしたい。そして効果に関しても、色んな要素の相関や因果から起こることを認め、その中でなるべく自明とされるもの、広く認められているものに頼りたい。

 

また、「臨床の知」で学んだように、サイエンスに加えて人と人の相互作用、データに示しにくい効果も期待したい。言葉の意味の大きさや、思いの深さは数値化しにくいが、体に影響することは確かだと考える。体の変化だけではなく、言葉の変化にも着目したい。

 

上記を踏まえた上で私の整体としては、引き続き「脱力」「ほぐし」「手当て」を重視したものを続けたい。その過程や結果としてもたらされるものは、血流改善だ。そして、血流改善はそれこそ「自然と」良い影響を体にもたらしてくれる。それは、サイエンスでも立証されている。

 

疲れ、痛み、むくみ、不眠、イライラ、といった心身の不調は、良い休みを取ることにより改善すると私は考えている。もちろん生活習慣からも影響があるだろうが、私はあまり重視しない。人の生活に口出しをしたくはない。まずは感じている不調があることを認め、それはがんばりの証だから悪いことではないと捉え、少し休んで回復していこうという構えだ。

 

本を読んで学ぶことで、自分の施術に活かせる。もし、学んでいなかったら私は「原因は骨格の歪みだ」とか「施術で内蔵を整える」とか「どこに行っても治らないものを治す」とか、検証しづらいこと、根拠が脆弱なことを思慮浅く言ってしまっていたと思う。確かに数字で測りにくい効果もあるし、本人の感じ方次第でもある。だが、整体が「何に、どう効いて、どうなるのか」を自分が説明する際には、より確かなものを求めていきたいと考えている。

 

手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)

 

2023-12-26 17:08:00

輝く!気楽にブログ大賞2023

 2023年の投稿から、おすすめ記事をを10本ご紹介します。気楽にお読みくださいませm(_ _)m

 

 

 

<自伝ものがたり編>

 

・4月になれば彼女は

https://kirakuniya.jp/diary/76122

北里大学時代のお話です。後半は恋愛小説?膨らませれば青春小説書けるかも(夢想)

 

・灯せ!青春の火

https://kirakuniya.jp/diary/86695

小学校のときの組体操の思い出。今では8ミリのビデオカメラの所在は不明です。




<おもしろ編>

 

・ユリイカをひとつ下さい

https://kirakuniya.jp/diary/72625

ポソデ スフィーヌ テルバッサ という謎の料理の名前を思いついたことに満足。

 

・臨床の知

https://kirakuniya.jp/diary/69145

「猫の額ほどの庭」についての考察です。この辺りから整体の話題はほぼなくなりました。




<気楽に子育て編>

 

・You can touch this

https://kirakuniya.jp/diary/64742

題名の元ネタはMCハマーのあの歌です(懐かしい!)

 

・嫌がる子どもを3秒で保育園に行かせる方法

https://kirakuniya.jp/diary/72402

 すぐにかんたんに、という世の風潮に抗ってつけたタイトルです。




<気楽じゃない編>

 

・敗者は必ず復活する

https://kirakuniya.jp/diary/72927

いつものお気楽ではない真面目なお話。つい、書いてしまいます。

 

・読書感想文の書き方

https://kirakuniya.jp/diary/71272

一体誰に向かって書いているのか謎。つい、書いてしまいます。

 

 

 

<マイベスト編>

 

・相手に得点させる しかも上乗せして

https://kirakuniya.jp/diary/85101

高校時代の恩師との対話から。「相手の得点」という言葉が自然と出てきました。

 

・今日という日をしまう

https://kirakuniya.jp/diary/71979

自分としては一番うまく書けたと思います。このレベルが常に書ければkindle出版だな(夢想)

 

 

ではでは。この10の投稿をAIに読ませたら、どんなものを書くだろうか。それを読んでみたい気がしないでもない気もしていないでもない。

 

 

あなたの暮らしに気楽時間

 

 

 

手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)

2023-12-22 16:48:00

聴こえてくるでしょう?鈴の音が

子どもの質問に余裕で答えられる。そんな大人になりたいと思う。だが、質問と言っても「どうして空は青いの?」とか「どうして海の水はしょっぱいの?」とか、そういう類のものではない。まあ、私はそれらにもうまく答えられないのだが、ネットの力を借りればそれらしく答えられるだろう。

 

そうではなくて、私が自分の子どもからの質問として想定しているのは、説明が様々できる事柄だ。例えば

 

「死んだらどうなるの」「何で食べるために動物を殺すの」「赤ちゃんはどうやって生まれるの」 といったものだ。これらの質問をされたとき、どう答えるかは「大人としての実力」が試されると考えている。教えや経験、学びから、これらの質問に「自分の言葉で」答えることは、そのまま自分がどういう人間か、どういう人生を生きてきたかを表すと思う。

 

と、思い切りハードルを高く上げておいて、今日は特に飛び越えずに下をくぐることにする。ただ一つ考えているのは、「物語のような説明と科学の説明とごちゃ混ぜにして伝えたら良かろう」ということだ。分からせるために伝えるのではなく、問いが続く問いなのだと知ってもらうことが重要だ。と考えている。

 

というわけで、もう少し軽い質問なら娘からきた。

 

「パパ、サンタさんて本当にいるの?」

 

それに対し、子どもが小さいうちは「もちろんいるよ、いい子にしている子のところには来るよ!」と、ズルさを発揮するのが大人だ。私なんぞ「いい子にしていないとサンタさん来ないよ。早く歯を磨きなさい」とまで言っていた。困ったものだ。

 

そして、子どもが小学生ともなると、向こうも知識が増えてくるし、疑うことも覚えてくる。こちらは「信じてない人には来ないよ!」などと、つい言ってしまいたくなる。が、これは良くないと思う。これをきっかけに「大人は嘘をつく」という気づきを得られるかもしれないが、なにもそれが親である必要はないだろう。

 

まだ信じているか、もう信じていないか探りを入れつつ、信じていそうなら「もちろんいるよ!」で、まだギリギリOKだろう。

 

だが、「だって何億人の子どもに一晩でプレゼント配るなんて無理でしょう?」と言ってきたらもうだめだ。「実はね、、パパがサンタなんだよ」の展開だ。しかしだ、さっき述べたように「今まで嘘をついていた」というのは決まりが悪い。そこで、私は娘にさらなる嘘をつくことにした、いや、ファンタジーを創作した。

 

「実はね、サンタさんはいるんだ。でも配るのは流石に無理でしょ。だから、世界中のパパやママがサンタさんに頼まれてプレゼントを用意しているんだ」

 

これならサンタの存在を否定してはいない。しかも、パパがプレゼントを置いていることとも矛盾していない。我ながら素晴らしいでっちあげ、もとい、ストーリーだと思う。間違ってもここで、「サンタはいる。不在の証明は難しいのだ」などと、やってはいけない。有効な説明になる子どもも、中にはいるかもしれないが。

 

かくして、サンタは存在することになった。「あるものはある」「いるものはいる」それでいいじゃないか。親の愛情と子どもの期待がコンステレーションとして、表れているのだ。

 

やがて、この説明も無理があることに気づかれるだろう。サンタは実在しないと知るときがくるだろう。だが、その頃には彼女も気づくのではないだろうか。「大人たちがサンタがいるとしている」のだと。サンタがいると皆が思うことで、それは実在してはいないが存在しているのだと。そして、それは子どもたちへの愛があるからだと。

 

「サンタがいる」「神様がいる」「天国がある」そう思うのは、人の心(脳)があるからで、本人がそう思っていれば、その存在を他人が否定することはできない。実在しているかは分からないが、存在している。それは人それぞれでもある。「いるかいないか、あるかないかは、大事なのかもしれない。でも、もしかしたらそれは、問題ではないのかもしれない」

 

いるとしたら、あるとした、どんなストーリーになるのかな。そんなことからも世界を捉えられる人になってほしい。何かを信じている人に寛容になって欲しい。だから私は娘のためにサンタのお話をでっち上げる。もとい、ファンタジーを創作する。(繰り返し)

 

手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)

2023-12-19 10:30:00

星が見たいなら宮ケ瀬へ 腰が痛いなら気楽に屋へ

今年もM-1グランプリが近づいてきましたね。私はサンドウィッチマンが優勝したときが印象的で、その後もずっとファンです。というわけで、私も架空のコンビでコントを考えてみました。注:実際のお二人とは一切関係ありません。フィクションです。

 

「整体院」 作:気楽に屋(サン仲村)

 

だての部屋

だて「ちくしょー、腰いてーなー。ゲームやりすぎたかな」「あ、そうだ、整体に行ってみるか」「どれどれググって。お、ホットペッパーでも予約できるんだ。どこがいいかなー」

スマホをスクロール。

「ん、気楽に屋か。名前は良いけど、、このメガネなんか胡散臭いな。口コミも少ないし。違うところにしよ」

再びスクロール。

「とみざわ整体院か。お、こわもて。こういう本格的な先生が良いんだよな、ここにしよ」「よし、予約完了。早速行ってみるか」

 

場面は整体院へ。

だて「すみませーん。さっき予約した、だてです」

とみざわ、悠々と登場。

とみざわ「とみざわ整体院へようこそ。院長のとみざわです。どうぞこちらへ」

だて「(お、ガタイもいいし、よさそうだな。)よろしくおねがいしまーす。」

 

とみざわ「今日はどうなさいましたか?」

だて「実は昨日から腰が痛くて」

とみざわ「星が見たくて?」

だて「いや、腰が痛くて!」

とみざわ「そしたらここじゃなくて宮ヶ瀬ダムに行ったらいいですね。行き方は、、」

だて「おい、だから星じゃなくて、腰だよ!何で星を見に整体くるんだよ、大丈夫かなこの先生。」

 

とみざわ「あー、腰ですか。それなら当院にお任せ下さい。どこに行っても治らない方が、沢山いらしてますので」

だて「そんなにどこに行っても治らない人って多いんですか?」

とみざわ「そうです。どこに行っても治らない人が多いから、どこに行っても治らない人をどこの整体院も集客しているんです。」

だて「え?でも、どこに行っても治らない人が多いってことは、結局どこに行っても治らないってことなんじゃないの?だから順番に回っていって、、」

とみざわ「もー、どこどこうるさいなあ、お客さん。いいから座って」

 

だて「あ、その前に。ここってボキボキします?ユーチューブで見て。あーいうのやって欲しいんですけど」

とみざわ「うちはボキボキはしませんね。ポリポリぐらいですね。」

だて「ポリポリ?」

とみざわ「そう、指先でポリポリ。西海岸じゃ今このスタイルですよ」

 

だて「西海岸?カリフォルニアとかですか?」

とみざわ「いえ、熱海とかあのへんです。」

だて「何かなー。てか、熱海は東じゃねえのかな」

だて、訝しがりながら座る。

とみざわ「腰痛と言っても肩が原因のこともありますからね。どれ」

だて「そういうもんなんですね。知らなかった。」

とみざわ「うわ、かったー」

だて「あ、固いですか?」

とみざわ「いや、肩ーって部位を言っただけです。」

だて「まぎらわしいな!!なんで、うわ、なんだよ!」

 

とみざわ「でも張ってますよ、トラピージアスが」

だて「何すか、それ?」

とみざわ「あ、ごめんなさいね。筋肉の名前をラテン語で習ったもんで。僧帽筋のことです」

だて「そうなんですね。さすがプロですね」

とみざわ「ここも固いなー。ラプラスが」

だて「ん?」「ポケモン?」

とみざわ「お、ここもだ。ゼルネアスがパンパンだよ」

だて「いや、それ絶対ポケモンでしょ!?」

とみざわ「ちょっと何言ってるかわかんない」

だて「おい、ほんとに筋肉わかってんのかよ!大丈夫かこいつ」

 

とみざわ「そうしたら腰を診ますね。うつ伏せでお願いします。」

だて「肩はもういいのかよ。まあ、いいや。お願いします。」

とみざわ「これは骨盤が」

だて「やっぱり歪んでますか?」

とみざわ「淀んでます」

だて「淀んでる?淀んでるって何!?」

とみざわ「淀みが5ですね。あと、もつれてます。と、もつれ8」

だて「もつれ?骨盤ってもつれるの?」

とみざわ「もつれますよ。毛糸と毛糸みたいに。もう大変ですよ」

だて「うわー、それはやばい、だから痛いんですね!早くほどいてください」

 

手の込んだコミカルな施術。

とみざわ「これでよし、淀み2、もつれ3になりました」

だて「え、その数字、どうやって測ったんですか?」

とみざわ「これって私の感想です」

だて「何だそれ!あ、でも腰あんまり痛くないかも。すげー。」

とみざわ「誰がさわっても、気持ちよければ大体良くなるもんですから」

だて「それ、言っていいんですか?」

 

とみざわ「はい、じゃあ今日の施術は終了です。でも、だてさんの場合は根本はまだ治ってないので、あと5回通いましょう。」

だて「根本ですか。その根本が良くなれば腰が痛くなくなるの?」

とみざわ「そんなわけないでしょう。痛いときは痛いですよ」

だて「なんだよそれ。じゃあ根治ってどういう意味だよ。」

 

とみざわ「今なら5回の回数券で6回通えますから」

だて「いや、いいよ買わないよ。1回余計だし。とりあえず今日はもう帰るよ。」

とみざわ「そうですか。でも、この回数券に書いてある数字を入れないと、お帰りのドアが開きませんけど」

だて「なんだそれ、いいかげんにしろ。そのドアぶち破って帰るわ!もういいよ!」

 

ふたり「どうもありがとうございました〜。」お辞儀して終わり。

 

*注 あくまで私が考えたネタであり、こんな整体院はありませんからご安心ください。

 

あなたの暮らしに気楽時間

 

手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)

2023-12-16 11:22:00

そして、心の琴が鳴り響く

物語の流れは いつもそっと消えて 振り向いた瞬間 何も見えないよ「救われる気持ち」ザ・フィッシュマンズ

 

心の琴線にふれる。そんな表現があります。私がこれを「ことせん」と読んでいたことは秘密です。正しくは「きんせん」ですね。心には琴があり、その弦が揺れると響くのです。感動は振動であり、それは音楽となるのです。

 

私は町田市にある都立M高校に通っておりました。そこでは6月頃に、合唱祭がありました。「テニス部のキャプテンは毎年、クラスの指揮者をやる決まりだから」そう先輩に言われ「うす、度胸つけまっす!」と軽はずみな私は、めでたく指揮者となりました。

 

歌うことは好きだったのですが、指揮者なんぞやったことはなく、後悔し始めた頃には「時すでにIt’s too late」練習が始まってしまいました。近くの市民球場にクラス毎に集まって、6月の明るさが暗くなる時間までの練習は、さぞ近所迷惑だったと思います。今では、もう「球場練」は、行われていないのではと推察します。90年代、世間はまだまだ寛容でした。

 

私は部活で疲れたふりをしてかったるそうにし、吹奏楽部の女子が「早く練習しようよ」と言ってくれるのを待っていたものでした。なんでしょうね、あの女子を困らせたいという気持ちは。まじめがかっこわるい、みたいな感じは。

 

そうです、そのときピアニカを抱えた吹奏楽部の子に、しっかりと指揮者の何たるかを教わっておけば良かった、のに。練習では何となく良い感じだったので、私はすっかり調子に乗って本番を迎えたのでした。

 

そして当日。ものの見事に緊張し、あわあわあわ。と3回くらい泡を吹いたのは、練習のときと違い、私の立つ指揮台から歌うみんなが遠かったからです。天使にラブソングをのウーピーゴールドバーグのように、にっこりしてから指揮を始めるつもりが、竹中直人の「笑いながら怒る人」みたいな顔になっていたと思います。

 

物理的な距離は、心を遠くする。

 

私は練習のときに、音の響きを聞いていたのではなく、皆の表情を見て指揮をしていたのでした。それが良く見えたいとなると、頼りがありません。ノッている感もありません。不安なまま、手応えなく終えました。「表情が見えない今こそ、耳をすませてみんなのVIBESを掴め!」と、映画やドラマのようにはいきませんでした。見て感じるのも大事だけど、聞いて感じるのも大事だよん。

 

指揮はうまくいったのか、合唱はうまくいったのか、まったくわからないまま終わりました。皆もなぜか私に声をかけてくれません。「やっちまったか」と、落ち込みかけたそのときです。

 

「陽ちゃん、良かったよ」

 

S君が声をかけてくれたのです。そんなに親しかったわけでもないS君。でもその一言で、本当に救われた気持ちがしました。

 

結局、確か総合2位という順位で終わり、みんなで仲良く打ち上げに行きました(どこに行ったかは今では書けません)。歌声はあのとき会場に離散してしまったし、課題曲の歌詞もメロディもあんまり覚えていません。でも、S君のかけてくれたうれしい一言は、私の心にずっと残っています。

 

勇気が出ないとき、くじけそうになったとき、自分をもう一度信じたいとき、思い出すのは誰かが言ってくれた、そんな一言です。

 

手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)