気楽にブログ

2023-12-05 10:20:00

灯せ!友情の火、の巻

特に人気のあった(気がする)投稿です。小学校のときの運動会のお話です。

 

私のときは6年生で組体操があり、先生は「お前たちならできるようになる!」とか「仲間と力を合わせることが大事だ!」と、熱血指導でした。私も、当時はひねくれておりませんでしたので、「がんばってできるようになって、先生や親に見てもらいたい!」という思いが強くありました。

 

当日は曇りだったのですが、組体操の頃には雨が降り出しました。今なら安全上、中止も十分ありえますが、当時は昭和。当然続行です。

 

先生が太鼓をひとつならすと、1つのポーズ。雨が強くなるなか、技が決まっていきます。1人の体操から2人での組体操、5人での扇のポーズ、4段のピラミッド。

 

そして、ついに最後の見せ場、「キャンドル」になりました。これは肩車で乗っている上の二人の肩に、さらにもう一人が乗り、最後に立ち上がって頭の上で丸を作って炎を形作るという、難易度Zのボーズでした。

 

私は下で肩車をしていたのですが、人の体なので、なにせ揺れます。そして、首の付け根から肩あたりの狭いところに足を置いて立ち上がるのは、今思えば相当危険です。雨ですし、キャンドルだけは中止もあり得ます。ええ、でも当然やります。昭和ですから。

 

どーん、先生の太鼓が響きました。下が立ち上がる合図です。ドーン、もう一度鳴って、いよいよ一番上の人が立ち上がります。私は肩車をしているので、上は見えません。「うっちゃん、立てたかな」祈る気持ちで、下で必死にバランスを取りました。揺れながら、でもバランスは取れています。

 

どーん、どーん、ややあって、先生の太鼓が2回鳴りました。ポーズが完成した合図です。「やった、できたんだ!」そーっと、そーっと、気を抜かずに降ろしていきます。

 

後日、8ミリの上映会。こわごわゆっくり、でもしっかりと立ち上がったキャンドルの先端に、炎の形が作られていました。降りしきる雨の中でも消えることのない、友情のキャンドルの灯が、ほんの2秒ほど、ともったのです。

 

一番上で炎を作ったうっちゃんは、「あれはこわかったよー、やんないでしょう普通」と、大人になって飲み会で言ってました。

 

そして、ちょっと笑ったあとに彼は言いました。

 

「でもね、できる気がしていたよ」と。

 

以上、サン仲村の気楽じゃなかった昔話でした!気楽に屋では、皆さんの熱血(たまに)を応援しています。

 

手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)

2023-12-03 10:18:00

耳をすませば

(今月は手抜きをして、今年ホットペッパービューティーに載せたブログから転載します。)

 

今年は宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」が公開されました。ジブリの中では「耳をすませば」が、大好きな映画です。私、じゃなくて私の妹が。私は主人公の男の子がかっこ良すぎて、当時は好きになれませんでした。しかし、そういえば何に耳をすましたのか、気になります。

 

というのも、「声を聞く」という表現を、色んなところで見聞きするからです。最近だと、料理研究家の土井善晴先生が仰っているのをテレビで拝見しました。「ほらー、タラがお湯の中で気持ちよくしてはるでしょう?これが良い火加減なのですよー。」という感じです。

 

切り身のタラの声を聴く。そしてそれに合わせる。計らわない。

「余計なことせんでよろしい。」「自然においしくなる。」土井先生はおっしゃいます。

 

この話をある研究職の方にしたところ、「私の上司も同じこと言ってましたー。」とおっしゃっていました。何でも、長年研究をしていると細胞の声が聞こえてくるそうです。何か変化を出したくて操作を加えると、上司の方に「だめだよー、そんなに乱暴にしたら。細胞が嫌がっているよ」と注意されるそうです。余計なことをしないで、自然に変化するのを待つことが、大事だそうです。

 

自分が扱う対象に敬意を持ち、こちらからの計らいは極力抑え、良くなる変化を待つ。これは自然と書いて「じねん」です。「おのずからそうなること、ひとりでにそうなること、人為の加わらないこと」goo辞書より

 

料理も研究も教育も、そして一流の治療家も、耳をすませ、じねんに合わせるのが、大事なのかもしれません。筋肉の声が聞こえ、余計なことはせず、心地よさを整え、良くなることを「待つ」ことができれば、私の施術も一流に近づけるかもじねん(しれん)、と思う、今日このごろです。

 

私はジブリだと「紅の豚」がお気に入りです。最後の加藤登紀子さんの歌がすてき。あのときのポルコは、風の歌を聴いていたのかな。

 

手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)

2023-11-26 17:20:00

相手に得点させる しかも上乗せして

高校時代のテニス部仲間と、そのときの顧問の先生で町田で飲み会をしてきた。思い出話も出たが、わりと最近の話題が多かった。30年前と今では部活のあり方も変わってきており、先生の悩みも尽きないようだったが、「仕事が楽しい」という言葉と笑顔があり、嬉しく感じた。

 

「テニスや受験と集客は違うよー」とか「練習や受験勉強は努力が結びつきやすいもの」とか、私が愚痴ってみたところ、「陽介、それには反論するぞ」と言ってくれたのも嬉しかった。「周りのせいにしてはいけない」という基本を伝えられ、耳が痛いのだが、確かにその通りなのだった。

 

帰り際に、昔のように今も生徒に配っている部内通信を渡され(常備している)、翌日に拝読した。昔と変わらないところ、今の時代に合わせたところ、先生が学ばれ取り入れたところなど、ミックスされていた。ぱっと目にしたところにいきなり「岡潔」という文字があり、数学の先生だから有り得るのだが、今年私が影響を受けたナンバーワンと出会ったので、やはり人生の縁やタイミングはおもしろいなと思った。

 

岡潔の話として「成果が表層に現れるのには時間がかかる」とか、他の著名人からの引用で「厳しい環境に身を置くことで成長できる」「やらされるのではなく、自分からやる」「知識を得てそれを試す」「自分で考える」「上を目指すならやるときは120%でやる」などが書いてあった。

 

他には「利他について」や「自分が部活をやる社会的意義」というものもあり、自分たちだけの活動ではないという視点は、私が教えてもらったときにはあまり書かれていなかったように感じた。

 

いや、そうではなくて昔も書かれていたが、私が読めていなかったことも考えられる。高校時代の私は、自分のテニスが強くなることの他は、あまり考えていなかった。まして、自分の部活での成長が、周りの人に刺激を与えるなんてことは、微塵も考えていなかった。

 

自分が強くなる、うまくなる、勉強ができるようになる。そういう自己完結型の成長には「あきらめずに努力する」「今するべきことを把握する」「試し、失敗し、自分で改める」ということが必要だと思う。だが、それだけでは足りないのだ。と、大人になってようやく私は気づけてきた。

 

〈利他に関して〉

利他はこのブログでもときおり出てくるワードなので、考えてみたい。

 

「自分がこうしたい」という思いをまずぶつけるのが必要だが、その先に相手のことを考えることも必要だ。それはテニス(シングルス)や勉強で、自分が得点することだけを目的に据えていては、得られないことだ。

 

相手の得点を考える。とは何か。

 

テニスの得点、受験の得点のための考え方や努力の仕方、それらを学ぶだけではもったいない。学校や部活で「利他」や「折り合い」についても学んでいけたなら、生徒のためになると思う。シラフだから冷静に言えるが、私がビジネスと違うと言ったのはこの点で、ビジネスは必ず相手のデマンド(あなたが必要だと思うこと)がある。だから、こちらが合わせる必要がある。そして、こちらが提供したいこと、それが顧客が気づいていないニード(私があなたにとって必要だと思うこと)に合致すれば、より素敵なことだと思う。相手の得点に自分が(上乗せして)寄与できる。

 

相手の希望に沿うだけでも難しい。しかし、自分の思いも伝えたい。誰にとって、どうなるのが良いことなのか、正しいのか、は本当に難しいことだと思う。そういう難しさがあることを、生徒も感じられたら、この先のために良いかもしれない。自分の得点だけでOKな仕事につく人は、多くはないだろうから。

 

その辺りを伝えるために、部内通信に「利他」が出てきているのだろうと考えた。そして、昔と同じように先生自身もまた、教育における利他や折り合いに、生徒に得点をさせる難しさに、悩んでおられるのだと思う。

 

そして、相変わらずそのお悩みが、部内通信から漏れ出てしまっているところから、生徒たちはそれぞれ自然(じねん)と感じ取っているのかもしれないなとも思い、さすがです!と最後に高尾山より高く持ち上げて、この稿を了とします。

 

町田高校テニス部 97年卒 元キャプテン 仲村陽介

2023-11-21 15:25:00

眩しい音を、放つ

映画「BLUE GIANT」を観て

 

ジャズで世界一になる。ジャズの自由さと己を表現する喜びの虜になった主人公に、ブレるところはない。確固たる目標があり、それに向かって努力を惜しまない。一つに賭けられる輝きを、今の若者世代も感じ取ってもらえたら嬉しい。

 

トリオを結成しているベースは、主人公が遠慮なく言ってくるのが心地よさそうだ。音楽にしろスポーツにしろ、一番を目指すとなれば気を使い合うお友だちでは、うまくいかないのだろう。上から目線の物言いもあるが、彼のやさしさが随所に感じられ、嫌なやつとは思えない。私の高校時代からのAB型の友人にそっくりだなと思った。

 

ドラムの彼は高校時代サッカーに熱くなったが、大学時代は打ち込めるものが見つからない。「おれはこのバンドが楽しいからずっと続けたい」という素直な気持ちは、「今だけこのメンバーでバンドを組んでいる」という他の二人と相違がある。だが、それを受け入れ、とにかく彼は「今の自分」を輝かすことができた。引っ張られながらも、最後は堂々としてかっこいい。

 

私も若い頃は地元の友だちとバンドの真似事をしたことがあったが、まさにお遊びであった。それはそれで楽しかったが、もう一段階上の景色も見てみたかったなとも思う。そして、更にその先となると実力と努力があっても、才能がついていかないという段階があるのかもしれない。

 

ちょうどこの前フィッシュマンズのドキュメンタリーも観たが、メンバーが脱退していくのは、バンドの中でのプレーヤーとしての位置がなくなることが、原因にあるようだった。ジャズの世界ではよりそれが当たり前で、バンドは同じメンバーで続けるものではないらしい。

 

形あるものは崩れていく。だから、壊れていく前に壊していく。そして常に新しく作り続ける。留まらずに奏で続ける。そう、まさに音楽やバンドはローリング・ストーン(ズ)なのだ。福岡伸一さんが生命と音楽の類似性を述べていたが、自由なリズムと旋律、たまにの静寂がまさに「いのち」そのものなのだろう。そう言えば最近、ザ・クロマニヨンズが「イノチノマーチ」という曲を作った。

 

眩しい若者の青春を目にし、映画に出てくる彼らを応援する大人(おじさんおばさん)の年代に、自分がなっていることを実感した。若者たちには輝きを放つ今を、高らかに奏でて欲しい。そして私は若者だからこその音楽を、楽しめるおじさんでいたい。

 

理学療法士の整体in厚木

手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)

2023-11-14 11:49:00

お土産は12個入りを

大学入試で数学と理科を使わなかったド文系の私だが、森毅さんの「数の現象学」で、おもしろく数学を学び直している。初版は私が生まれた1978年だが、私にとっては古くなく新しい。この本で数学の決まりは「それが人にとって都合が良いから」とか、いわゆる「文化」の影響を受けて決まっていったことも多いと知り、半ば愕然としている。

 

例えば、10で位が上がる、10でひとまとまりなのは、数学の揺るぎない決まり事のような気がしていた。だが、実際は「人の指が10本だから」というのも大きいらしい。区切りやすいということなのだ。このあたりの話をおもしろく聞ける文系の人は多いと思うし、数学嫌いを減らすには、とっかかりとして文化と絡めて学ぶのが良いと思う。

 

前にも書いたが、私はずっと1/3が嫌いだった。10が3で割り切れないから。実際は1ダース、12で区切る習慣もあったのだという。12でひとまとまりだ。なぜなら3とか4とかで割れるから。例えば「お会計、ちょうど10000円です!」という場合、キリがよいようで切れないのだ。3人での宴席なら割り切れない。「じゃあ浮いた1000円は次の店で」などと、わけのわからないことを言ってしまうのだ。しかしこれが12000円だったらどうだ。すんなりだ。こっちのほうがよっぽど「切りのいい数字」だ。高くついたが。

 

あとはゼロ0の話の例で、階段の話だ。階段の1段目と言えば、もちろん1つ上がったところだ。だが、これが建物だとどうだろう。1階というとき、1つ上がったところだろうか?いや、違う。1つ上がったところは2階だ。なんだこれは。では1つ下がってみよう。階段を1つ下がれば下の階段の1つ目だ。建物の場合はどうだ。1つ下がったら地下1階だ。1で同じだ。12月の次が1月であるように、ゼロがあったりなかったりの文化世界で私たちは普通に生活をしている。

 

こんな感じでまず数の数え方からやり直している。次はいよいよ足し算に入るが、個数が増えていくのと、何番目かの数字から次の数字というのでは違うようだ。引き算になると数が減っていくのと2つの「差」のことで、また違うようだ。掛け算は倍と掛け合わせ(乗法)でも違うようだ。そして、そこでもまた文化の影響が出てくる。読んで、自分で考えて、時間がかかる。苦手な分数まで、なかなかたどり着かない。

 

でも、私はこういったことを学びたかったのだ。45歳にして初めて算数・数学がおもしろくなってきて、うれしいい。

 

理学療法士の整体in本厚木

手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)