気楽にブログ

2023-12-15 18:50:00

気楽にね☆

今年ホットペッパービューティーのブログに載せたものです。今読み返すと、なぜこんなに自分は力んでいるのか謎です。。

 

ネガティブに屈せずに思いを言葉にする。例として一つご紹介します。手塚治虫「ブラックジャック」からの引用です。自分の仕事の意味を問われ、ブラックジャックは思いを言葉にします。

 

「それでも私は人をなおすのだ、自分が生きるために!」ここで言う生きるためにというのは、お金を稼ぐため、というよりも、自分が自分であるために仕事をする、ということだと思います。彼が高額な治療費を要求する理由は、他にあると私は考えています。

 

このように、強い思いとそれに伴う言葉は、力です。パワー(なかやまきんにくん)です。続けられる理由となり、そしてそれは夢につながります。でも、それはまた、両刃の剣でもあります。自分も相手も傷つけるかもしれません。

 

相手への思いの強さは、強い分だけお互いの負担にもなるものです。それは注意したいところです。魔女の宅急便での「私このニシンのパイ嫌いなのよね」の、例もあります。思いが届かないことも、世の中いろいろあるものです。

 

そして、思いが形になったとしても、グスコーブドリの伝記のブドリのように、または銀河鉄道の夜のカンパネルラのように、自己犠牲が過ぎたら、それは悲しいことにもなりかねない、と思うのです。

 

「利他」や「仕事」に関して、つらつらと書いてきました。私的なブログ感が出てきましたので、ここから、気楽に屋の集客につながるように持っていきます。誰かのために働ければ、自分も嬉しくなれるし、元気にもなれます。だからこそ、頑張り過ぎには注意なのです。「頑張りすぎのダメージは、蓄積しすぎると体を壊してしまいます。適度に休息を取りましょう。」これこそ、私が持っていきたい結論でした。労りのすすめでした。

 

だから、ここで文字を大きくして、えーと、出来ませんでしたが、「頑張って疲れてしまったら、どうぞ気楽に屋へお越し下さい!」と、最後に記して終わります。

 

手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)

2023-12-14 10:46:00

町田にはリス園がある(どや)

今年は「翔んで埼玉2」が公開されて話題となった。主演のGACKTさんが「くだらない、と思える時間や作品があっていい」というようなことをインタビューで答えていて、度量の広さに私は敬服した。

 

興味が湧いたので早速劇場へ行き、ではなくて「翔んで埼玉1」をアマゾンプライムで観た。そして、面白かった。自分が好きなシーンは埼玉と千葉が川を挟んで対峙し、自分の県の出身有名人を掲げるところだ。高々と掲げられる「高見沢俊彦」。おおー、というどよめき。最高におかしい。

 

そして、エンディングに流れた「はなわ」のさいたまの歌もすばらしかった。歌に乗せるから、歌詞のおもしろさが増す。あまりの出来の良さに、思い切り嫉妬した。

 

と、笑える時間で終わりで良いのだが、この作品のメッセージを勘違いして受け止めていこうと思う。誰の言葉かは忘れたが、「作品の解釈は観客がそれぞれすればいい。」のだ。

 

私はこの作品から「争い事の可能性とその回避」について考えた。家族愛、郷土愛、厚木愛、それらはあってしかるべきものだろうし、私も持っている。だが、それは他との対立を生むきっかけともなり得る。自分や自分に近いものと「違うもの」に対して、どう接していくかは、いじめや戦争とも関連があると考える。いや、わりとまじめにそう思っている。

 

我々は寛容や愛があるとともに「対立」や「競争」も起こしやすい。これは子どもの頃を振り返ると、例えばドッチボールのクラス対抗でも、「メラメラしたもの」はすぐに起こる。何なら、じゃんけんで決めたチーム分けでもすぐに起こる。普段は仲が良い友達だとしても、「敵チーム」に決まった途端、倒す相手となり得るのである。

 

「敵である」ということに決まった途端、誰かを「自分で」敵にしてしまう、これは良く考えると怖いことだ。世の中に色んな争いがあるが、「敵と決まったから」という要素も少なくないと私は推測する。そこにもってチーム内で仲間意識が高まれば、もちろん敵意識も増加する。加えてお互いが悪者扱いや忌み嫌うものとして扱えば、益々煽るのは容易で、勝手に競い争い合う。

 

映画では都知事と神奈川県知事が共謀し、埼玉と千葉を対立させたが、このような「仕組まれた対立」にはよっぽど注意しないといけない。敵とみなして対立するのは、生物学や社会学を持ち出さなくても、自分を振り返れば簡単に起こり得ることだと分かる。「メラメラしたもの」はスポーツやビジネス競争において必要だが、注意も必要だ。

 

もちろん映画はフィクションでファンタジーである。だが、現実でも「対立は起こりやすい」。極端に言うと、いじめも簡単に起こるし、戦争も簡単に起こる。

 

敢えて極端に言ったのは、対立は起こりやすいものだという認識を持てば、その回避もしやすくなると考えからだ。更に「仕組まれた対立」に対しても敏感でありたい。「何で争っているんだっけ?」と冷静になる時間や、寛容さや愛を広げていくことも大切だ。世の中はゼロサムゲームだけではないのだと、知っておきたい。もちろん良きライバルの競い合いなら、対立も悪くない。

 

最後に

たとえ対立したとしても現実に埼玉と千葉が血を見るような争いは起きない。何故起きないのか、その回避できている術が応用可能ならば、国家間にもぜひ応用したいと考えた。

 

手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)

2023-12-12 10:56:00

ミスされる人であれ

大谷翔平選手がエンゼルスからドジャースに移籍となりました。ドジャースと言えば先駆者「野茂英雄」が在籍したチームですね。彼のノーヒットノーランのニュースは、よく覚えています。

 

大谷選手が移籍となり、ドジャースチームとファンは盛り上がっているようです。一方で、去られる側のエンゼルスは「行ってしまうのね」という感じでしょうか。今までありがとう、これからもがんばってという惜別は、いつでも寂しい気持ちがするものです。

 

以前、missについてよく分からない投稿をしましたが、シーズンが始まったらファンの人たちは、大谷選手のことを更に「miss」することでしょう。居なくてさみしく思う。居てほしい。恋しいと。

 

https://kirakuniya.jp/diary/76397

 

そして、ここで今年何回もご登場の岡潔です。彼は学校の先生から「ミスされる人であれ」と言われたことを、良く覚えているそうです。孤高の人のイメージですが、先生からの影響を受けてきたからこそ、自身も教育についての文を書いたのだと思います。

 

ミスされる、とはもちろん「間違ったことをされる」という意味ではなく、今回の大谷選手のようなことだと思います。「ミスされる人であれ」いい言葉だと思います。まだ「少年よ大志を抱け」よりもマイナーだと思いますので、これから広げていきましょう。広がれ広がれ、ひろがるスカイプリキュアです。

 

手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)

 

2023-12-10 11:07:00

そこに思いはあるか

「21世紀の道徳」ベンジャミン・クリッツアーを読んで 

 

仕事に関して。自分の思いがある、つまり自分ががんばりたい、という仕事をしたいと思います。働いたら負け、やりがい搾取、資本主義の奴隷、などなど言われる世の中です。私も昔は「やりたいことないし、どうせ取られるんだし、利用されるのはいやだな」と、若者の青さをまとっていた時期がありました。でも、仕事が自分がやりたいこと(に近い)であれば、その他の周りはどうでも良い(に近い)と、今は考えています。

 

搾取されている愚痴や、誰かの悪口を言う。これは私も居酒屋での楽しみですが、そうやって発散するだけでは、やはりかっこ悪い。もちろん、不当な働き過ぎや不当な扱いを受けることに対しては、声を上げて変えることが必要です。ですが、その仕事を楽しめるかは、自分の思い次第だと感じます。

 

「金儲けのために生まれてきたわけじゃないぜ」忌野清志郎

 

と、言えるような大人には、私はなれませんでした。お金儲けも考え、独立しました。でも、この先で変わるかもしれませんが、そのときどきの思いを大事にして、仕事をしていきたいと思うのです。それは、労働のポジティブな面があることが、分かったからです。

 

「本当のことは見えているんだろう? その思いよ消えないで その思いを僕に見せて」

サヨナラcolor

 

気楽に屋は、思いを持って働いている方、思いを探りながら働いている方、働いている全ての方々を応援しています。

 

手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)

2023-12-08 09:12:00

作為と無作為のあいだに

「訂正する力」東浩紀 を読んで。

 

本を1日で読み終えたのは久しぶりで、まずは一気に読めた。面白いしためになるなと思い、読んだ。「終わりに」を読んで、東氏が「考えない方法の本が好まれる」とか「論壇で評判が悪い」とか、書かれていたが、本当なのだろうか。私は、大きな間違いはしたくないし、小さな間違いを、都度訂正したいと思っている人間だ。自分の過去のブログの文章も、実はちょこちょこ訂正している。本書は、多くの人が支持すると思うのだが。

 

自分の思いを形にしていくには考えが必要で、その拠り所を自分のみに頼むのは心もとない。自分が思い込みで間違うことも知っている。だから、私はそう多くはないが色々な本を読み、考え方や捉え方を真似たり試したり、振り返ってみたりしている。

 

これは自分が成長したいからというよりも、そうしないとうまくいかないからだ。私は後輩にテニスを教えたり、患者さんにリハビリをしたりの過去があり、今ならセラピストとしてお客様に施術をしているが、学び、試し、振り返り、訂正しないと、良くはならない。

 

東氏は「何かを世界に残したい人であれば、すんなりと入ってくる」と期待されているが、私はすんなりと入ってきた部分が多かった。東氏が「訂正する力」を世に広めたいという思いがあるように、私もまた「手当ての力」を世に広めたい野望があるからかもしれない。

 

本書では色々なワードやテーマが書いてあり、それぞれについて一つずつブログが書けそうだが、その中でも「自然を作為する」というものに惹かれたので少し書いてみたい。

 

私は今年、自然(じねん)という言葉を知り、はからわないことの有用性もわかった。だが、適度な手入れもまた必要なのだ。どうにもならないことに目を向けたあと、自分が変えられる(と言うとおこがましいので関与できること)ことに意図を持ってはたらきかけることが、セラピストとしての自分の仕事だと思う。これは父親としても、一市民としてもそうだと思う。

 

現実をもう少しだけ良く生きるために必要な、ストーリーやファンタジーの創作。柔軟さとしたたかさを持って、自然や社会に対峙すること。自分も相手も得点できるような、ついでに二人でゲームの外に追加点を取れてしまうようなこと。決めつけはいつでも訂正できる可能性を残しておくこと。本書は私が今年考えたことや学んだことに、つながりを感じる内容だった。

 

にぎやかで乱雑でも良い。度を超えない程度なら。私が、そして東さんもそうだろう、最も避けたい「戦争」が起こらない程度なら。いや、戦争が起きないためにこそ、にぎやかに自由に振る舞い、一方で冷静に受け止め作為し、訂正を続けたい。

 

最後に一つ、文系の東さんへ。私も文系なのだけど、「理科系には最新の教科書が必要で、過去の著作は不要」というのは違うかもしれません。例えば数学は文化の影響を受け、歴史の中で(人の思惑によっても)形つくられて来たと、森毅さんの著作で最近私は知りました。文化の影響を受けていれば、解釈は後から訂正できます。数学史を学ぶことで新たな発見があることは、文科系と同じだと考えます。ですから理系にも「じつは・・・だった」の論理、過去を学ぶ、訂正する力があった方が良いと、ぜひ勧めて下さい。

 

手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)