気楽にブログ
楽しい音楽 おいしい食事
厚木のオータムフェスタに行ってきました。キッチンカーでタコスやラムチョップが売っていて、おいしかったです。
というわけで映画「シェフ 三つ星フードトラック始めました」のレビューを書いてみました。未見の方はぜひご覧下さいませ。
仕事、家族、旅、料理と音楽、これらが詰まっている。つまり、人生の映画だ。そして、コメディタッチだから、見ていて楽しい。ハッピーエンドだし、私の勝手な「気楽ムービー」に認定したい。
男の仕事(この表現嫌われそうだが)
自分のやり方とボスの考えに違いが出てくる。主人公のトップシェフはオーナーと合わず、勤め先を辞める。「時期」ってあるものだ。もうここに居ることはないんだな、と思う時期が。ナンバー2はお店に留まる。一緒に来いではなく、君はここでがんばれ、というのは、人によってその時期が違うのを、主人公が分かっているからなのだろう。
父と子
子どもは本気の父、仕事をしている父を感じたい。だが、一緒にやるとなれば子どもにとって大人の本気の仕事は過酷だ。キッチンカー洗いの場面でひと悶着するし、美味しいものを出そうとしたら、子に対しても厳しくもなる。そんな中でも本気で向き合い、仕事とは何かを子どもに伝えることで、自分にとっての仕事もまた、再確認したのだと思う。そして「He is ready to cook」というセリフは、子どもが仕事としての料理を知ったのと同じく、父と子の関係も準備が整ったということだと思う。
男の仕事2
仕事に対するシェフの情熱は本物だ。だからこそ、元職場のスタッフがシェフについてくる。「あんたについてくよ」という感じだ。そう、味方はいるものなのだ。そして、それはぶつかり合った批評家にも最後には伝わる。分かってくれる人もいる。これは救いだ。
主人公はフレンチのシェフだが、伝統や格式にとらわれず常に美味しいものに探求心がある。様々なジャンルや食材に刺激を受け、新しいメニューにも挑戦したい。家庭料理や地域料理も大好きだ。お高く止まっていない所が良い。だからこそ高級レストランを辞して、キッチンカーで再出発できる。自分のプライドはどこにあるのか、それは決して場所ではないことは確かだ。監督・脚本・主演のジョン・ファブローは、この映画に自分の仕事への思いを投影したのではないか。
アメリカ旅行
色んな地域の色んな料理、そして色んな音楽が彩りを加える。ジャマイカ、キューバ、ニューオーリンズ、どの音楽もいい。日本も地域によって料理も変わるが、流れる音楽がこれほど地域で変わることはないだろう。食べて、音楽を聞いて、アメリカの旅は楽しそうだ。
スカーレット・ヨハンソン、ロバート・ダウニー・jrも出ていて、確かな存在感を放つ。おすすめ!
理学療法士の整体in本厚木
手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)
今日も明日も振る舞う
以前、「しまう」について書いたが、今回は「ふるまう」について書いてみようと思う。「仕舞う」と「振る舞う」ということで、「舞う」というのが同じだ。舞う、は動く様だ。重力、空気(水)抵抗といった己をその場に留めようとする力に対し、自分の意思、または気分に任せて、軽やかに動くことだ。
最近読んだ福岡伸一さんの「生物と無生物のあいだに」という本の中に、この「ふるまう、ふるまい」が出てくる。京都大学時代に「behavior」を「ふるまい」と訳すことがあることを学んだ、というエピソードが書かれている。
本では、「物質のふるまい」そして「原子のふるまい」という話になる。物質がふるまうとはこれいかに?という感じだが、原子というのは絶えずまったく無秩序な熱運動に翻弄されているそうだ。高校で習った気がする「ブラウン運動」だ。そして、その動き(振れ?)は重力や濃度といった周囲の影響も受ける。
そして、元々がランダムな動きが、周囲の影響を受け「全体として平均すると」動いている、つまりふるまっているように見えるということだ。言われてみれば濃度の違う液体が拡散していく様は、振る振るしたブラウン運動と、ゆっくり広がる舞いで、確かに振る舞いだ。
シュレーディンガーは「生命現象は最終的には物理学や化学の言葉で記述できる」と述べたとあるが、生物とは呼ばない原子の世界からすでに動きはランダムであり、記述には統計が用いられる。つまり「全て必ず」ということではないようだ。このあたり、ファジーなところが科学にあることを、文系の私は最近知った。
構成体である原子がそうであるなら、当然「生物」もまたランダムな動きや、周囲の影響を受け、全体としては「平均としてのふるまい」を見せる。そして、生物のふるまいは、その影響の中に置かれた自分に秩序を生み出し、またその秩序を保つために自分自身を絶えず作り変えている。そして、そこには制約に縛られない自由もある。福岡伸一さんが言う「動的平衡」である。
こういったことを自分の馴染みの分野につなげてみると、人間も反射・反応や無意識の影響、もしくは与えられた社会の中の自分の役割にも影響を受ける。しかし一方で、制約の中でときにそれに抗い、自分を保つとともに、自由にも動ける存在である。そして、それらを社会全体の動きとして記述をするなら、同じく統計の手法が用いられる。うーむなるほど。社会学部の学生は生物学を必修にした方が良さそうだな。と、なんの効力もない提案をしてみる。
「ランダムであること」「制約があること」「全て必ずではないこと」そして「自由に動けること」。この前読んだ茂木健一郎さんの本には「自由意志はない」と書いてあったが、私はあると思う。単に私が言葉を理解していないだけかも知れないが(バカの壁)。物質の制約、環境の制約、生物の制約、社会の制約、の中で、エントロピーが増大し、この私の生命活動を終えるまで、これからも大いに人間としてふるまいたいと思う。
と、たまには知的を装った話を居酒屋でしてみたら「よし分かった、じゃあ仲村さん今日は大盤振る舞いね!瓶ビール追加で!」とうまいこと返されて心地よかった秋なのに暑い日の夕方。
最後はやっぱり町田康に似せて
理学療法士の整体in本厚木
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パソコソ
その後、親知らずを抜いたところは順調だ。よかったよかった。
久しぶりに言葉について書こうと思う。つまり、ちょっと暇だ。今日のテーマは語感だ。言葉の響き、その印象は絵のように、音楽のように、私たちの心を刺激する。
例えばこの前に書いた「カリカリ」も私が好きな語感のひとつだ。ついでに言うと、私は梨が好きなのだが、なしの食感はやはり「シャクシャク」だろう。水分が多いのが私は好みだ。洋梨はそれほど好きではない。シャクシャクしないから。
つるつる、すべすべ、なども良い語感だ。「つるつるした氷」よく滑りそうだ。これが「ぐつぐつした氷」だとどうだ、とてもスケートしようとは思えないではないか。
すべすべのお肌。私の憧れだ。秋冬の私のお肌はカサカサだ。さらに付け加えると「ひびひび」だ。そんな言葉はないが。あととりあえず、ニベアクリームはすばらしい。
こうやって言葉の語感は、自分の人生経験の中でより確かなものになっていく。与える印象が決まってくる。だから、少しズラすと、いきなり違和感が出る。
例えば粉々だ。これを我々は「こなごな」と読む。「私の思いは粉々に砕け散った」などで使える。しかし、これが「こなこな」だったらどうか?「私の思いがこなこなになった」なんだろう、ものすごい違和感がありはしないか。こなごなは、まだ粒が大きくて尖ってそうだが、こなこなだともう微塵も尖ってはいない。こなこなになってしまった思いはもう、どうやっても修復不能な感じだ。
ほんの少し変わっただけでこの有様だ。気をつけて正確に言葉を発しなくてはいけない。「たいく」ではなく「たいいく」だ。「ふいんき」ではなくて「ふんいき」だ。どちらも私はもう直せないが。
そしてよくある例だが、文字にも気をつけたい。特に「ン」と「ソ」が似ているから厄介だ。「それいけ!アンパンマン」と書くところを「それいけ!アンパソマソ」と書いてしまったら、何ともパサついた主人公になってしまう。ロンドンと書くから良いのであって、ロソドソだと謎すぎる。「来週はロソドソへ出張か」どこだそれは。
以上、衆院解散に向けて言いたいことは言ったので、最後に私の好きな宮沢賢治の表現で終わるとしよう。
「私たちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、あのすきとおった風を食べ、桃色のうつくしい朝の日光をのむことができます」
すきとおった風。この語感よりいい表現を、私はまだ知らない。
理学療法士の整体in本厚木
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不惑のグリグリ
歯医者に通っている。日頃、「人生100年!健康に過ごすためには体のメンテナンスが大事!」と喧伝している手前、自分の体もお手入れしなくてはいけない。と言っても、実は10年ぶりなのだが。
人間には自己治癒力があるから大丈夫だとか、なかなか時間が取れなくて、などと自己欺瞞で歯医者を遠ざけていた。が、歯磨きの度に歯肉から血が出るのと、親知らずが見えてきてその周りの歯肉が炎症気味になり、ようやく通い始めた次第である。
そしてまず分かったことは、歯周病は放っておいても自己治癒しないという事実だ。確実に悪化だ。歯医者に2回通ってきれいにしてもらい、消毒をしてもらったら、血が出なくなった。うーむ、素晴らしきかな歯科治療。私の整体の施術も、このくらい分かりやすく効果が見えると良いのだが。
こんなことなら早くルンルンと通えば良かった。そう思っていたが、なかなかどうして。親知らずの抜歯は辛かったのだよ聞いておくれよ。レントゲンを撮ると親知らずは真横に向かって生えていた。一体どうしてこんなひねた育ち方をしてしまったのかわからないが、これを抜くのは難儀だな、ということは私も理解した。
でもまあ、15分から20分くらいだろうな、あと麻酔しているから痛くないだろう。と、いつもの気楽主義を発揮し、当日を迎えた。「どのくらいかかりますか(お金、時間)?痛いですか?」という質問を先生にしておきたかったが、心に余裕のあるおじさんを演出したかったので、やめておいた。でも、不安だから一応お金はコンビニで下ろした。
「じゃあ、今日は親知らず抜きますねー」と先生が気楽に始めたので、私も安心していた。かっこ悪い質問などしなくて正解だったと思った。が、しかし、30分経っても一向に抜けなかった。「なかなか抜けないなー」と先生は余裕がまだあったが、明らかに力の入れ方が変わってきた。何をされているのかよくわからないが、とにかくグイグイするのである。そして、そのグイグイで歯の根元あたりが割りと痛んだ。削る痛みは感じないのに、圧痛は感じるのかな?などと痛みの不思議について考える余裕も、次第になくなっていった。
「はい、じゃあ1回ゆすいでください」「ぐりぐり」「はい、じゃあゆすいで下さい」「ぐりぐり」一向に終わらない。終いには次の患者さんが来てしまう始末。先生がその方の治療を隣でされている間、麻酔で少しぼーっとしながら思った。「いつ終わるかわからないって、つらい」
「もういつ抜けても良いんだけどなー(おかしいな)」戻ってきた先生は言い、またグリグリを始めた。これが先生の予想通りならもう少しの我慢だし、先生の疑問通りならまだまだかかる。発言をどう受け取れば良いのか。私は朦朧としながら、疑問の方に展開していかないことを祈った。
そして、先生が今までより力を込めるときがやってきた。ぐいぐいぐいのぐり。ぬぽ。麻酔をしていても、歯が抜けたのが分かった。「やった、抜けた、やっと終わった。」安堵で少し涙ぐむ私。そして思った。・・・出産はこれよりもっともっと大変なんだろうな。
「先生ありがとうございます。少しは出産した妻の大変さがわかった気がします」と、感激の感想を述べたところ「そうですねー、でも出産は喜びがありますからねー」と返された。
「確かに」。抜けた親知らずは削られてボロボロになって、ガーゼに横たわっていた。私の体から出てきてこれから生きるのではなく、そのまますぐに廃棄されるのだ。それが分かっていたから、あんなにしがみついて離れなかったのかと思うと、少し寂しい気持ちがした。
止血をしてひと針を縫ってもらい、会計をして外に出た。予約時間から2時間半が経過していた。金額は思ったほど高くなかった。
「思ってたのと違ったな。」ベロで親知らずのあったところをひと舐めだけし、コンビニで夕飯にウィダーインゼリーを買った。レントゲンに写っていたもう一本の親知らずを舌で探し、まだ歯茎の下にあって分からないのを確認した。「こっちはまだ、いいよね」
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手当て整体 気楽に屋(KIRAKUNIYA)
魅惑のカリカリ
アマゾンで買った商品をレビューして、アマゾンから何かもらおう作戦始めました。
カリカリはおいしい。ベーコン、羽付き餃子、クリスピーチキン、少し焦げたそれぞれのカリカリの部分は、メインとは別のうれしいお楽しみだ。カリカリは食感もいいし、あとは香ばしさもある。カリカリ部分だけを大量に食べろと言われたらそれは嫌だが、カリカリなしではガッカリだ。
。。
そして、私が一番好きなカリカリは、何と言ってもホットサンドのパンの耳のカリカリだ。食感も香ばしさも抜群だ。カリカリしたところだけ、つまり周りだけすべてかじってしまい、中身が飛び出てくることもしばしばだ。
ホットサンドメーカーとして愛用しているのがToffyの「簡単、耳まで焼けるハーフサイズ」のやつだ。これを実家に置いてある。小学生の娘を連れて行ったときに、じいちゃんばあちゃんや私に作ってあげるのが、彼女の楽しみになっている。
1回で一人分しか焼けないが、それでもゆったり待つのも良い。娘が得意になってハムやらチーズやらを載せてくれるのは、とても嬉しい。パパで良かったと思う時だ。このまま料理が好きになってくれたら将来ラクだな、とつい安易な期待をしてしまう。
器具にはタイマーがついていないので、スマホで計るかしないといけない。まあでも、大体で大丈夫だ。取り出しは大人がやったほうが良いだろう。熱いから。あとははみ出さないようにとかあるが、まあ使っているうちに慣れる。
最後に食パンのおすすめだが、私の以前の職場の近く、祖師ヶ谷大蔵駅の「サンセリテ」を推しておきたい。ここの食パンの耳はほんとうにおいしい。でも、遠いから普段はコープの「小麦の匠」を買っている。ホットサンドのときは、8枚切りとか10枚切りとかのやつだ。そのパンを見たら娘は言うだろう。「あ、明日はばあちゃんちに行くんだね!」
理学療法士の整体in本厚木
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